続きです。
母死去に慈しみのお言葉頂き
感謝と御礼を申し上げます。
5日の午前3時、介護病院から
実家に電話があり、まもなく呼吸を止まります連絡。
直ぐ弟と夫人は車で向かった。
到着と同時に呼吸は止った。
私は直ぐに向かうとしたが
待機してくれの要請。
10時 横浜の葬儀社が母の引き取り
運ぶ連絡を受ける。
弟は混乱の最中と携帯電話が不通となった。
繋がったのは午後2時過ぎ。
行き違いはあったが自宅を出て横浜に向かう。
船橋駅で横浜方面行写真を撮りラインで送る。
横浜駅に着くが人混みで相鉄線が判らず。
東京まで直通となり湘南方面にも延伸。
相鉄線1
相鉄線2
ローカル路線沿線の地価は上昇を続けているそうだ。
特急も走り利便性は良い。
実家のある駅ではなく、もう一つ先の駅に
葬儀場はある。
下り立った駅舎は裏に中学校があり卒業した。
駅前は小さなロータリーになり
麦畑が拡がっていたが、戸建て住宅が密集。
60年前の勘を頼りに葬儀社に向かう。
住宅内で方向感覚失う。
掲示板に貼り紙している老婦人に訊ねた。
街道に出て真向いに葬儀場はあった。
16時静まり返った葬儀場は人影無し。
事務室に訊ねる。
小部屋に兄と弟夫婦が担当者打ち合わせしていた。
最終決断の後であった。
後で兄に言われた。
お前が早く来てくれて打ち合わせの場にいたら良かった。
「弟はお人好しなので駆け引きが不得手」
私は葬儀場の裏を知っていた。
坊さんの金儲けも知った。
「やらずぶったくり」の言葉そのものだ。
最近 ネットで葬儀案内がある。
ここでは手口は公開しない。
終わって 担当者の慇懃な見送りを受けた。
担当者は、心中
「やった!8割は儲かる」
実家に着いた。
家は建て替えられた。
全てが違う。
時間、空間、息遣い
60年前
幼い頃とは当然違う。
父は花々を育て愛でた。
母は父の逝去とともに
植栽は止めた。
前の家はずっと一人暮らしであった夫人が亡くなり
更地になり新しい土台が作られてゆく。
石塀に沿って植栽された木々の名残と夏ミカンの実
寂しげに次の住人を待ちわびている。
裏の家も10年前、ご夫婦で有料老人ホーム入居。
この地域の住宅は敷地が100坪から、250坪の家が並ぶ。
住人が代わると土地は分割分譲され
密集となる。
大きな邸宅には独居老人が住み
小さな家には家族で暮らす。
輪廻である。
およそこの世のことで、いつまでも変わらぬものはなにもない。
道があり、通りがあり、曲がり角があり、路地があり路地裏があり
人々が歩いていく、どこへいくのか誰も分からない。
50年以上前、家の前は何処までも続く森で、
野兎がいた、庭にはもぐら、蛇もいた。
中学高校大学、社会人28歳まで暮らし
時代の流れに添い、成長してやがて家を離れた。
幼馴染も遠く行って、時間が止まった住処には
連れ合いを亡くした老人達がひっそりと暮らしている。
午後9時 実家での酒盛りを終え
兄と駅に向かう。
弟の嫁さんは長野飯山の出身。
帰りがけに、信州の米、蕎麦、リンゴをくれた。
リュックに詰めた。
夜冷の住宅地を歩くが迷い道になる。
ホームでは兄は鶴巻温泉駅へ
私は横浜駅に向かう。
総武横須賀線に乗り換え
総武横須賀線
横浜駅1
11時半 下車。
午前0時自宅着。
11時半 下車。
午前0時自宅着。
幼馴染は一人として住んでいない。
逢いたいなァあの人に/Foresta
逢いたいなァあの人に/Foresta