1月8日(金)朝10時 船溜まりを通って駅まで。
先日 都心で大雪。
安物の登山靴で歩くが、単なるゴム底
凍っしまた水氷には、フリクションが効かず不安定。
全国の郵送網には遅れが出たようです。
帰宅後、本格的雪山登山の最後はいつだったか調べた。
多分 昭和48年3月の記憶。
一部 抜粋して再掲
自宅に戻り、3月の山行写真スクラップ帳をひろげた。
尾瀬ケ原の3月の写真が数枚。
ボケたひび割れ画像。
登山日の日付はないが、おそらく卒業後
最後の雪山登山。
尾瀬ケ原の3月の写真が数枚。
ボケたひび割れ画像。
登山日の日付はないが、おそらく卒業後
最後の雪山登山。
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無雪期にも尾瀬ケ原には登ったことはなかった。
どのスタート起点ルートも憶えていない。
急登の樹林帯をスキーとかんじきを使い分けながら
登るが、恐れたのは雪崩であった、
平原は、吹雪く白。
黒の樹林先に、燧ケ岳の頂きが白の覆いから現れては消える。
山小屋に辿り着くが閉じられていた、。
小屋の屋根下に雪洞を作った。
50年前粗末な登山装備品での二人での登山。
その後 尾瀬ケ原に山小屋を持つ
ワンダーフォーゲル部の友人に誘われ
夏秋に登った。
写真が見つからない。
振り返れば最も危険なスポーツと言える。
暴走族の如くバイクで突っ走る勇気はないが
彼らは、カッコよくもない誰も見物しない
雪山登山は恐怖で小便チビル。
事実新入部員でバイク野郎がいたが、
合宿中に逃亡した。
雪山登山は忍耐と瞬間的判断 決断が
分かれ道。
尾瀬にに登った先輩は
74才の先輩は今でも 単独スキー登山。
いや~元気だったが
去年75歳になり前立腺がんで摘出手術してから
気力が失せたと言う。
男性ホルモンが無くなるとそうなるか。
放射線治療はその後遺症はないらしい。