続きです。
1月10日(成人の日)
母97歳死去の葬儀。
私と妻は9時40分自宅を出る。
横浜駅に11時着
息子に連絡を入れた。
「東西線木場駅で吐いた」
私と妻はカフェで待機。
息子からラインメール
「都営浅草線に乗り宝町まで着いた。
下車した」。
画像は
殆ど認知されていませんが
助けを求めるプレート
車内で見かけましたら
救助をお願いします。
電車内は危険が突然に!
タクシーに乗ったが直ぐ下りた」。
私は言った。
「葬儀は来なくて大丈夫だと
自宅に帰りな」
パニック障害を抱えた息子にとって
遠距離の移動は恐怖なのだ。
やっと都内の電車は乗れるようになった。
まだ、横浜まで来るのは無理。
おばあちゃんの葬儀へ出なければの思いが
更にプレッシャーとなりパニック状態になる。
皮肉な事だが6年前
息子はお袋の見舞いに地下鉄銀座線に乗車
表参道駅で車両故障で停止
大混乱になった。
息子は小学3年生の時
エレベーターに一人、閉じ込められた。
ランドセルを足台にして知らせた。
フラッシュバックが脳内を駆け巡り
パニック障害発症。
ずっと苦しみ続けている。
娘は葬儀に出るはずであったが
職場内でコロナ感染者出た。
急遽、濃厚接触者として
自宅待機と外出禁止が発令。
11日PCR検査を受ける。
公務員としては遵守が当然。
葬儀場では、既に読経が始まっていた。
親族席に向かう。
身内は兄と娘一人
私と妻
施主である弟とその妻
6人
知らない参列者が
10人いる。
読経の響きが粛然とした館内の冷たい壁に撥ねる。
身内の最後が私だ。
参列者に相対し一礼。
香を静かに灰に落とす。
お坊様の背後からお袋の生前のふくよかな顔を見詰め
直立不動で黒靴のかかとをカチリと鳴らす。
お袋の口を大きく開け
笑う顔を睨み
体を直立不動にして
一呼吸
右手を耳の横に近づけ
真っ直ぐに上げた。
頭を下げた。
「おっかさん
さあ~ 逝ってくれ」
心で呟く。
24歳で北アルプスで滑落死した同期
涸沢で寝袋に包まれた遺骸が
車で釜トンネルを抜ける時
送り人は俺一人
山での戦友へ
せめての敬意が、俺に無意識に敬礼になった。
51歳で脳腫瘍で逝った同期
生まれ故郷の緑なす富山平野
緑の果てに屹立する立山連峰と
田の畦道にひっそりと立つ墓標に地酒立山と線香をささげた。
そうして、敬礼を続け
山で格闘した戦友を回想した。
これが最後の葬儀での敬礼見送り。
続く
「山路えて」 日本基督教団賛美歌404番