馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

 母97歳死去、捨そこなった駄犬である次男の想い、私に踏み絵を迫る。

2022-01-31 08:23:05 | 日記

続きです。
幕張 茜浜海岸
2004年(平成16年)3月が終わり、桜が一気に開花し始めた。
早朝、遊歩道をゆっくりと歩き、海岸に向かった。
海原の景色と潮の香が飛び込んでくる。
テトラポットに激しく叩きつける波頭。
空虚な頭でみつめながら、その海面下では
静かに生き物達が荒れる波が収まる待っている。
僕は忘れな盆から突然、拾われた。
前年11月義父が脳溢血で倒れ一週間後に亡くなった。
78歳であった。
中国に従軍、工兵部隊兵隊として、軍用トラックを運転
更に馬に跨る写真と兵役功労賞の額が狭い部屋の壁に飾られ
誇りと自慢であった。
戦地から引き揚げて、大型トラック運転手になった。
当時、重量物、工場移転での運送親方として働いた。
しかし暮らしは、貧しかった。
大酒飲みの義父は、赤ん坊であった妻を抱いて飲み屋に入り
赤ん坊を忘れて帰宅。
飲み屋の女に届けてもらった。
気は荒いが優しかった。
野球の長嶋が一茂を球場に忘れて帰宅したのは有名である。
次の年、平成16年3月春分の日
義父の法要を親族が集まり
まだスカイツリーが建設される前の近くでの寺で行うこととなった。
実母に出席する必要はないが事前に伝えてあった。
3月初め、お袋から暗い声で電話があった。
春分の日に喜寿の祝いをするので実家に来るように促す言葉。
私は言った。
その日は、義父の法要があり、長女の夫として
代表挨拶をしなければならない。
更に宴席も用意してある。
喜寿の祝いは、兄弟3人と弟の嫁さんのみ。
祝い日の変更を求めた。
お袋は返事をしないで電話を切った。
当然、変更するであろうと思ったが
連絡は来なかった。
春分の日、親族が20人以上集まり
墨田川を見下ろすホテルの最上階で宴席が開かれた。
日々の疲れで酔いが脳を駆け巡りした。
携帯電話がなった。
実家の電話番号表示。
兄の声がする。
「今、お袋の喜寿の祝いをしている」
「お前は、何している」
「義父の法要している」
それだけ聞くと電話は切れた。
宴席が終わり墨田川言問橋を渡り
名にしおはばいざ言問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと(在原業平
の歌で有名な
言問橋で対岸に渡る。
 
都鳥が乱舞していた。

桜並木をみんなで歩き浅草に向かった。
隅田川花見スカイツリー
途中、カフェに入った。
僕は突然失語症になった。
声が発せられないのだ。
言葉が出ない。
思いの丈の会話が出来ない。
息子は、私の異変に気付いた。
何故なのかは知る由もない。
お袋は、私に踏み絵を迫ったのだ。
義父の法要と実母の喜寿の祝いを
量りにかけたのだ。
冷酷非情な行いにそれこそ言葉を失った。

隅田テラス花見船

隅田川堤 花見 なぜか?昴の歌。

クラフト 言問橋