続きです。
捨てそこなった駄犬である二男の私と
お袋との確執対立闘争を経て
お袋の死によって
怨讐は彼方に消えるのだろうか?
冒頭から主文。
私は生涯お袋から疎まれ可愛がられることはなかった。
兄、弟、私の妻も認めてて言った。
6畳一間のアパートで一家5人暮らしであったが
ポツンと一軒家ではないが
心はポツンと一人置き去りだった。
両親の故郷に里帰りしても、一人取り残された。
密集した下町の洗濯場で
お袋がオバサン達の会話が聞こえた。
「内は 3人の男の子、うるさく邪魔だ
二人だけでよかった」
小学3年生の記憶だ。
74歳の年になっても憶えている。
いつもお袋から叩かれ泣いている記憶
兄、弟の楽しそうな笑い。
小学3年生、休み時間に裏門を出て川べりに一人行った。
川の上流に向かって歩いた。
おじいちゃんが一人釣りをしていた。
傍で見詰め続けた。
おじいちゃんが話しかけられる。
学校に戻りたくなかった。
時間は判らないが学校に戻った。
学校は大騒ぎであった。
女の先生が職員室から
ゆっくりと僕を見詰め近づいたきた。
僕を抱きしめ涙を流し。
先生の不思議な香りがした。
後にそれが化粧だと知る。
令和4年1月10日
実家でのお袋の遺骨を前にして
酒と肴を掘り炬燵に並びきれず
畳みにまで置いた。
兄が言った。
幼い頃の僕の行方不明事件を語り出したのだ。
教室内で「お前の弟が行方不明になった」
僕にとっては思い出したくない
心の深くに閉じ込めていた。
呼び覚ましたのだ。
この出来事には前段があった。
とても仲良かった小学2年生の同級生が2日間行方不明事件があり
大きく報道された。
少年達数人に連れられて遊んでいたのだ。
その同級生はその後引っ越し転校した。
兄は知らない。
幼心だがお袋がオバサン達と
何気に話した会話に
嫌になって学校を飛び出したことを。
そして青年となり無頼の青春を
この川辺の土手が舞台となる。
恋の戯れ
この川辺の土手が舞台となる。
恋の戯れ
僕には小学6年生卒業までに
一人での写真は一枚しかない。
学校行事での遠足等の集合写真はある。
戦後直ぐは国民皆貧しかった。
カメラは高価貴重品であった。
小学校入学記念写真である。
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上等なおべべでしっかり前を向いている。
駅前に写真館と時計店を営む店があった。
店頭のショーウインドウに
僕の小学校入学写真が飾られていた。
僕の家にあった写真と同じだ。
一緒にショーウインドーを見る
同級生は僕だとは思わない。
そうだろ!
粗末なミシン目の入った半ズボン姿の僕である。
お袋に聞いたことがある。
「何で 僕の写真が写真館のあるの」
お袋は拭き掃除をしながら
曖昧に言った
「頼まれて写真撮った」
それ以上は言わなかった。
今でいう子供服と写真館のの宣伝。
記憶にある限りではずっと飾られていた。
そのような服、一度も見たこと着たことなかった。
写真館が衣装を揃えたのだ。
続く
映画『母さんがどんなに僕を嫌いでも』予告編
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