日々徒然なるままに

日々感じたことを書いていきます、よろしくお願いします

あの日のこと 

2018-03-11 20:47:33 | ちょこっとスピリチュアル
こんばんは。
陽射しは春のそれに変わってきましたね。
風はやはり冷たいですが季節の移ろいを感じます。
朝は眩しい太陽が昇って来ておりました。




                                    




 
                                    





昨日少し申しておりましたけれど、7年前のあの日のことを書かせて頂こうかと思いましたが自分の中、あるいはどなたかの中の辛いことを敢えて
書くよりも、その頃に撮っていた空の写真が残っておりましたのでそちらを揚げさせて頂くことに致しました。
よくそんなのあるねと言われそうですがあの年から何回か携帯も変わっているのに、その度にメモリもそのまま引き継いだ形となっていたようです。
それ以前の写真もあったりしてそれらを見ると自分でも不思議なくらい、その頃に感じていたことも思い出します。
あの日の前日に偶然写していた空、あるいは当日の午前中に撮っていた空など多数です。
それよりもっと前に撮ったものなどもあり、申すように見る度にあの頃はこうだったと感じる自分です。
遠く離れた広島の地のものですので、全く関係ないような写真といわれれば、確かにそれまでです。
それでもこれらの写真を見ると、自分の中にはあの日の記憶が蘇ってきます。



                    

前日に撮っていた写真。
                                   
                                    





当日の朝、撮った写真。


                                    



 
                                   

                                        





                                     






次の日の夕方。


                                    






3月8日の写真。
これはなんとなく亀の背中に鳥が乗っているように見えたので撮ったと記憶しております。



                                     
              



これらの写真を載せたからといって何があるわけでもありません。
言ってしまえばあの日に自分自身が感じたこと、それだけの話です。

当日のまさにあの時刻、自分はある女性と電話で話をしておりました。
彼女は地震のあった地からそれほど遠くはない場所へおり、受話器を通して聞こえてくる凄まじい程の大音響に、聞くだけしか出来ない自分でも
思わずたじろぐ程のものでした。
電話を切ろうかという自分に、このままにしておいて、もし私に何かあっても聞いてくれていた人が居たと分かるから、と電話の向こうで彼女は
叫んでおりました。
どれほどの時間そうであったのか、かなりの長きに渡り轟くような物音がしておりましたけれど、やがてその音も一段落したようで何とか無事で
いられた彼女は周りの惨状にどこから手をつけてよいのかわからないと呆然としておるようでした。
部屋の中に居たときだったようで、凄まじい物音の正体は周りの家具や大型のテレビがずれ落ちる時のものだったようです。
そのような中でかろうじて無事でいられたことだけでも奇跡的でしたけれど、その後彼女やそのご家族にとっての辛い日々が始まったことは想像に
難くありません。
苦しい部分をそれほど語らない人ですけれど、その分余計に厳しい状況であったろうことは察せられます。
その頃自分は主人がその年の1月に帰幽し、やはりなんとなく落ち着かない日々を送っていた頃でした。
その落ち込む自分を最も支えてくれていたのがこの彼女でもあり、しかしこのような状況に陥った彼女自身を、では自分はどのようにさせてもらえ
るのか、わからぬまま時間だけが過ぎていくようでした。

そんな日々の前後にこれらの写真を他にも数多く撮り、遠く離れたその彼女に思いを馳せるしかない有り様でした。
というよりも、そのような状況になりながらも、それ以降もずっと支えられたのは自分自身の方でした。





                                     






                                     





上の写真、一枚目はまるで葉っぱだか羽のように感じ撮りましたけれど、雲が大き過ぎて画面に入らなかったのを覚えております。
下の写真は大きな雲の下に、まるで天女が舞っているように感じた一枚です。
彼女にこれらの写真を送り、せめてもの慰めにしてもらえればと考えていたのかもしれません。






                                     





いくら時が経とうと心の中の風景は風化することは無いのでは、とも思います。
あまりにも苦しい記憶は自分が気づかないうちに記憶の彼方へ葬り去ることもままあることです。
けれど、消そうとしても消えない記憶、消してはならない記憶、それも厳然としてある、そう思います。
今この時代に生きている自分達だからこそ忘れてはならない記憶、留めておかなければならない記憶、そう感じております。
自分自身、己自身が出来ることなど、取るに足らないちっぽけなものです。
それでも心の中には忘れ得ない記憶としてその場所を確保しておきたいと感じます。





                                      

                                      




そんな今朝も祝詞奏上させて頂き、その時に感じたことを書かせて頂きますね。


 目を閉じると 未だに報われない御霊の声が聞こえるよう・・・



 〝  闇の中にも光はある それも強烈な光

    光が眩いからこそ 闇も強い

    だからといって 闇が悪いのではない
     
    どのように (闇を)使うか 受け取るかだ

    それにより (物事は)全く反転する    〟
 



                                      





震災の事をそれほど意識していたわけではありませんけれど、御霊というのはそういうことですね。
未だにさ迷っておられる御霊も少なからずおられるのかもしれません。
もし想いを飛ばしてそれらの御霊を慰める事が出来るのならば、自分でよいのならば、いくらでも自分を使わせてほしい、そう感じます。
それが能わないのならば、せめて想いの中だけでもいつかそうしたように彼の地へ光を送りたい、そう思います。
今こうして書いていて、確かにこれなら非力な自分でも出来ることかと思えます。
いつに限らず、これからも変わらずさせて頂こうと思います。

今日のこの言葉は大神であるのか、かなり力強い声で言われたように感じました。
これまでも同じように言われてきた事柄かと思います。
闇であってもまったきの闇ではなくその中にも必ず光を内包しておること、これはどのような中にあっても光は必ず存在するということでしょうか。
決してそのような状況ではないと思われる闇の中にも臨みとしての、希望としての光があってほしい、そう思いも致します。
光が強ければ強いほど、その影も強くなるともどなたかに言われたようにも思います。
ならばこそ、此処で言われておるようにそれを裏返したならば、その暗闇こそが眩いほどの光の只中にいるように反転するのかもしれません。
光と闇、あるいは光と影、それは陰と陽でもあり決して切り離せない関係であるともいえるのでしょう。
それでもなお、尚更その光を追い求めたい、そう感じます。 

復興、そう言われながらもまだ遠いとも言われておる道程かと存じます。
光がどうぞ彼の地へ降り注ぎますよう、そう願ってやみません。





                                      





先だってよりお伝え致しております厳島神社参拝並びに宮島周辺探訪、三月十六日、九時半広島駅を車にて出発です。
お一人一万三千円この中には正式参拝の玉串料を含みます。(フェリー代、飲食代は含まれません)
ご参加お待ち申しております。

  kimikimiblue13@gmail.com

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おじの思い出 神殿の龍

2018-03-10 21:03:09 | ちょこっとスピリチュアル
こんばんは。
今日は朝から雲ひとつない快晴の空が広がっておりました。
風は冷たかったのですが、遠くまで空気も澄み気持ちよい一日でした。
昨夜までは風も強く雲も多かったのに不思議なほどです。
そんな日でしたので人によってはどこかへお出かけされたかもしれませんね。
朝は申すように眩しいほどの朝日が上ってきておりましたよ。




                                     





                                     





                                     





自分自身も、こんなお天気のよい日はどこかへ出掛けてきたいよねぇ、と思いつつも結局はネコと二人?特に何をするでもなく家の中で過ごして
おりました。
なんとも勿体無い話だな、とも感じておったのですけれど。
広島県の県北、庄原市の総領町という辺り、本来なら季節はもう少し前のようですが今年は気温が低かったせいもあるのか、節分草というかわい
い花が今満開を迎えているようです。
一度見に行ってみたいよねぇと思いつつも、やはり足がないため;なかなか出向くことが出来ません。
以前は仕事でよく訪れていた地でもありますが、このような植物の話を聞きだしたのはおそらく近年のことではないのかなと思います。
何かしら特徴のあるもので他所からの人に訪れてほしいという地元の方々の地道な努力の甲斐もあってか、その可憐な節分草も自生地を絶やす事
なく守られているのだと感じます。
はじめは4,5センチ程の大きさの花なのかなと思っていたのですが、どうやら直径が2センチほどの本当に小さな花のようです。
今ネットで検索してみると、やはり冷涼な気候の地で自生しているようですね。
おそらく一年の中でもそれほど長い期間は花をつけることはなく、ひっそりと咲いて終わるようです。
旧暦の節分の頃に咲くと言われていることから、その名が付いたとも聞いております。
まだ今年は各地で見られるのでしょうか、お住まいの近い場所でそのような自生地がある方はお出かけになってみられては如何かでしょうか。
可憐な花の妖精が出迎えてくれるように咲いているかもしれませんよ。
(下の1枚目はネットより拝借致しました)                                      



                                        




                                     
 



申すように何するでもなく居たわけですけれど、ふと他界した叔父の事を思い出しておりました。
正確には「叔父」ではなく自分の父の従兄弟であり、多分同い年だったのではと思います。
父の母親、つまり自分の祖母の里、祖母の兄の子供ということで父からすれば従兄弟ということですね。(ややこしく書いてしまった;)
父とはお互い年齢を重なるにつれて会う事も無くなっていたようですが、自分自身は幼い頃や中学生の頃、祖母に連れられてそのおじのところへ
泊まりに行った覚えがあり、なんとはなしに覚えておりました。
自分が結婚してひょんなことから父の姉、伯母と共にこのおじの家に行く事があり、それ以降何故かしら自分達家族とこのおじとの間で交流を持つ
ようになりました。
多分神棚やそれに関することで相談を受け、それ以降定期的にその神棚のお祭り等をする事やら、入院したおばの様子やらその後一人暮らしとなっ
たおじを訪ねるということも兼ねて、4ヶ月に1度程はその田舎のおじのところへ遊びに行っておりました。
当時息子は幼稚園の頃で、初めて訪ねるそのおじの家でも全く物怖じすることなくニコニコしておりました。
その頃の息子は知らないお宅へ伺うと、ともすれば玄関先から動けなくなるようなこともしばしばあり、何かを感じ取っていたのだと思います。
けれど申すようにこのおじのお宅は最初からよく様子がわかっているかのように、まるで自宅で過ごすように寛いでおりました。
おじも私のことを自分の娘のように感じてくれておったのか、息子に対しても孫を迎えるようにして可愛がってくれておりました。
そのような交流が主人が倒れるまで続いておりましたけれど、自分もそうなるとなかなかおじのところへ出向く事も難しくなり、次第に疎遠になって
行っておりました。
それでも中学生になった息子を連れて、時たまおじの家に行ったりはしておりましたけれど、以前ほどにはおじ自身も元気が無く、行けば必ず一緒
にしていた食事も自分達だけで行っといでというようになり、ますます足が遠のいておりました。
やがておじ自身が肺がんが見つかり手術をする事になり、身体も弱り、それでも月に一度はおじの家から20数キロあるおばの入院先まで自分の
軽トラで通っていたようでした。
そんな月日の時の流れと共に我が家でも主人を介護しつつおりました頃に、おじの訃報が届きました。
その頃にはおじも自分の故郷を離れ(その2、3年前におばも他界しました)娘さんが居る大阪の施設へ入っていたようで、明日また会いにくる
からね、と娘さん方が帰った直後に、それまで元気だったおじは急逝したようでした。
おばが亡くなったことで、それまで離れて暮らしているとはいえ心の拠り所となっていた連れ合いを亡くしたことで気持ちも落ち込んでいたと後で
聞きました。
一人暮らしをしていたとはいえ、とても几帳面なおじでしたので、いつ行っても家の中は整然としており男の人が一人だけで住まっておる様子では
ありませんでした。
そんないつ会っても穏やかで明るく気さくなおじは、自分にとっても会わずにいてもどこかで懐かしい感じのする人になっていたのかもしれません。
高速を使えば我が家からはものの1時間で行けるおじの家、お墓もその近くの見晴らしのよい場所に建立されております。
これも申すように最近はとんと足が遠のき、お墓参りにも行っておりません。

蘇った場面は、おじや主人がまだお互いに元気で、近くの温泉施設へ出向いてそこの休憩所で談笑しておる姿でした。
なんの前触れも無く、不意にその場面が目の前のことのように感じられ、その時のおじや主人の声、またはしゃいでいた息子の様子までもが思い起
こされたのでした。
彼岸も近いこの頃、おじ自身が温泉にでも入りに来んさいや、と誘ってくれておるのかもしれません。
自分ひとりでも近いうちに車を借り出してお墓参りをして来ようか、と思います。





                                       




今朝も祝詞奏上後、感じた事を書かせて頂きます。


 濃緑の龍 後ろに控えている 雄々しい姿
 窓の向こうから金龍と白龍 此方を覗きこむけれど一瞬でいなくなる
 
 
 “   我が 守る    ”


 濃緑の龍の言葉

 光る海 湖? 白い光の中 包まれているような
 当分はこの龍と共に現実(三次元)を行くみたい
 モコが 私が龍を見ている 感じている間は 神殿を覗き込んでも入って来ない
 気配を感じるのか?




                                         





今日の龍についてはそれほど多くを語らずにいたようでした。
神殿では昨日からこのようにかなり畏まっているようですね、どうしてんでしょうね;。
自分の背後にある吐き出し窓からは大きな金龍とその後ろに白龍が覗き込んでいるようでしたが、あっという間に掻き消えたようでした。
どうやらどんな様子であるのか、気になってか心配なのか覗きにきたのかもしれません。
今おります濃緑の龍の姿を見て、これならまずは安心して(任せられる?)と思ってもらえたのかどうか、すぐに居なくなったようでもありました。
ある意味、親心のようなものでしょうか;。
確かに昨日辺りから急に頼りがいのあるところを見せてくれておりますね、この龍。
見掛け倒し?にはならないよう、お互い努めて参りたいものだと感じております。
モコというのはうちのネコの名前です。
どうやら彼女はこの龍達を感じているのか、普通に祝詞奏上しております際には平気で神殿に入って来てその辺りに居るくせに、龍の気配を感じ
たのでしょうか、私が向こうと交信?し終わるまで、神殿の外でじっと此方を見つめながらも待っておりました。
人の膝にはなにがどうあろうと乗ってくるネコですけれど、龍の姿には一目置いた?ということなのでしょうか;。
ネコの考えることはどうにも理解出来かねます;。(苦笑)




                                       






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おじのことを思い出して、少し感傷的になってしまいましたけれど。
明日はあの震災から7年目ですね。
その事について書かせて頂こうか、とも思っております。


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ミカエルザヤットのオイルの力 龍の姿は

2018-03-09 20:40:05 | ちょこっとスピリチュアル
こんばんは。
つい先日まで暖かくなったと申しておりましたが、今日は一転また寒い一日でした。
先ほど歩いてきましたがかなり風が強く耳が痛くなるほどでした。
三寒四温の寒が強い、そんな日だったのかもしれません。
朝は雲の合間から日が射す感じでした。



   

                                    





                                         
                                     






                                    



                                      

                                  
昨日、午後から千田さんの講座へ出かける前に神殿にて感じたことなどを今日の分と纏めて書いて行きます。
まずは昨日のから。


 Tomokatsuさんの言葉から瞑想へ
 特に何も考えず在るがまま目を閉じる 周りの物音も耳に入る 静か
 下から上へと突き抜けるエネルギー いつもより穏やかに感じる 頭上はまたホワホワ
 第一チャクラからずっと見て行くようにして順番に
 特にハートチャクラまで来ると周りへの広がりを感じる
 温かいほんわりとした感じ
 眉間 第六チャクラは深い感じ
 けれどそれ以上に頭上をかなり感じる

 続いて祝詞奏上後の神殿での龍



 “  宮島でのプランあるの?  ” 



 いや特に

 
  
 “  社殿で感じる龍をリポートしてもらいたいね(それ、自分の方じゃない;?) ”

 
 “  今回は行か経んけど 次はやっぱり弥山へ登らんとあかんのと違うの?

    必ず あんたさんに関係すること 感じる事ありますよ

    一人で行ってもええねんけど どなたかと一緒の方が安心やね

    もちろん わてもついて行くさかいに    ”



 ところで大阪のどこから来たの? 呉服神社?

 
 “ あ、いやそれは・・・   ”


  

 と此処で上から被さるようにして より高次の龍が現れる
 我が家の濃緑の龍はフリーズした感じ 
 


 〝 その方 その御霊のルーツとしての尋ね方として 一度 京へ参れ

   御所である

   何かを感じるであろう    〟
                                             
                                        
 



                                       



何やら次から次へと出て来られる感じですけれどね;。
我が家の龍、いつも最近出てきてくれますが、こうも頻繁ですと何か彼に名前を付けさせて頂いた方がよいのかもしれませんね。
そのうちに考えようと思います。

ところで此処で話したこと、宮島でのこと、未だにどなたもご応募御座いませんし、自分で自分を案内しても仕方ありませんので;どうしようかな
と考えておるところです。
社殿での龍の感じ方、これはもしお越しになられる方がありましたらば、その方一人ひとりに合わせて出てこられるものなのか、今一度確認させて
頂きたかったのですけれど、どうもそれも出来そうにありませんね;。
おそらく今回自分ひとりで参らせて頂いて感じるのは前回と同じようなことなのかなとも思うのですけれど。
いずれにしても何かを感じ取って参りたいと、そこのところは思っておりますよ。
またこの龍が言うように次回は弥山へ登って参ろうとも考えます。
いつぞやも申しましたけれど、以前登ったのは遥か昔高校生の頃であり、殆どどうであったのかは覚えておりません;。
次に登ります時にはしっかりとそこのところを感じてきたいと思います。

またこの龍、話し方からして大阪の出身?と感じ、名前を出したのはこれ主人が生まれた近くの神社さんです。
呉服と書いて、くれは、と読まれるようです。
ここの宮司さんがどうやら主人の名付け親のようでして、機会があれば一度また訪ねさせて頂こうかとも思います。
そんなことから推測?して少し鎌をかける感じで聞いてみましたが、龍が答えに詰まったところで今度はいきなりより大きな龍がその頭上に現れた
のでした。
その龍が出現すると同時に我が家の龍の方はあたかもフリーズしたかのように固まって動かなくなりました。
この龍の言われることには、どうやら同じ関西圏でも京都、それも御所まで参れとのこと、もう何が何だか;ですけれど;。
以前イルカのエーヴィンは私のことをこちらの宇宙の出ではないと話しておりましたけれど;、これとてどこまでがそうなのかわからない話ですし
今回のこの龍の話もどこまでそうであるのか全くわかりません。
ただ一つ言えるのは宇宙の向こう側は探ろうにも探って来られませんが、京都でしたらまだ可能な範囲です。(当たり前だ;)
早いうちにこの言葉に従えるよう努めさせて頂かねば、という思いです。
尚、今回出て来られたより大きな龍、その姿は感じられましたけれど色まではどうもうろ覚えでした、すみません;。





                                        
                                 




此処からは今朝の事です。

 Tomokatsuさんのところのアーロンに繋がってみる




 ‘  その方 Tomokatsuと共に各地へ参れ

    数多の人々 集うであろう

    またその方の言の葉により

    人々に気づきと 癒しを与えよ    ’


 ミカエルザヤットのオイル 1&8のブレンド 少量しか取れない;けれど指に付けて頭上へ塗る
 下腹部は量が出ず 断念
 けれどきついと最初感じていた香りが何とも言えず優しさをましてくるようで 着けてしばらくすると眉間に知らず知らずに力が入っていたのが
 抜けて行くように思える
 ともするとぼんやりとしてリラックスし過ぎる感じも と思うけれどそうでもないかな
 心地よさは継続する

 祝詞奏上後、ミカエルザヤットのオイルのせいか目を閉じると真っ暗の中で座る自分に真上から強い白い光がズドンというように降り注ぐ
 上を仰ぐと眩し過ぎて目がくらむ



 “  光の中を進め   ”


 濃緑の龍の言葉か?


 “  我と共に参ろうぞ   ”


 強いほとばしる程のエネルギー とても強い いつも以上に ぐわーんと突き抜ける感じ
 上へ引っ張られる程の勢い
 これほどとは思わなかった

 眼下にまるで飛行機から見ているような広島の?町並み
 上空から下を見ているような景色

 龍 お供え物を換えている時はごく普通にいつもの調子(関西弁で)で話しかけてくるけれど今日は全く違う
 こう見えてもこの世界では結構 人気者みたいな自分 みたいなこと言ってるし 本当かいな;
                       

 “  見た目が大事やろ? いけてるやん自分   ”


 まぁこの感じ;  自分には向いてるのかねぇ; 
 




                                      



                                     

朝は大抵Tomokatsuさんのブログを拝読しそこへ書かれておられます存在等へ自分も繋がってみたりします。
今朝はそれがあの金龍のアーロンでした。
今回このようにアーロンが話しかけてくれましたが、あくまで自分が感じたことですので、実際にそうであるのかどうかはわかりません;。
先だってのパターン(エーヴィン)の折もそうですけれど、どこまでも主観ですので、殊に自分に関することは果たしてそうであるのかの確証は
ありません。
しかしいつかどこかでTomokatsuさんとご一緒に参れる所があれば嬉しいなと感じております。
その時はもしかすると、エーヴィンやらアーロン、ひいては我が家の龍(わてか?)もついてきてくれるのかもしれませんね。

ミカエルザヤットのこのブレンドオイルは昨日からお風呂に入る時と寝る時以外はずっとペンダントとして肌身につけております。
申したように時たまフワッと香ってくる仄かな香りが、なんとも言えず安らぎを覚えます。
そのオイルをほんの少量指先につけて頭頂に塗り、それから今日は祝詞奏上を致しました。
その後に深い息をして目を閉じてしばらくすると書いておりますように、自分の頭上から相当に強い光がさながらズドンッと音を立てるかのように
太くしっかりと降り注いだように感じられました。
以前この仕事に初めて携わった折に感じた、何ともいえぬ眩く輝く強く白い光、その時の光を思い起こさせるほどの強烈な光でした。
心地よさを通り越したような至福感のような光でした。
その光の向こうから 光の中を進め とこれはいつもの濃緑の龍が声を掛けてきたのでした。
このところふざけているのか、それが地なのか、関西弁の面白い龍の姿しか見せていなかったのですけれど、今回は最初に感じた雄雄しい感じの
龍の姿でもあり、その目は赤く綺麗に輝いておりました。
これまではその目までは感じ取ることが出来ておりませんでしたけれど、今回はしっかりとそのように認識致しました。
この目の赤いことは先だってTomokatsuさんにお教え頂いておりましたが、自分では感じ取れておらず、むしろそうなんだと思っていた程でした。
それがこの度はこのように彼の目は澄んだ赤い色をしているというのがはっきりと見て取れたのでした。
元々の彼の本来の姿はおそらく此方なのでしょうね、多分。
ふざけた?姿は彼の息抜きの時のものなのかもしれません。
どちらの姿も彼なのだと思います。
いざという時には頼れる凄いヤツ、そういうことなのかもしれないです。
(上の絵のまずさはご了承下さい;)  





                                      

             



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気候のはっきりしないこのところ、来週には暖かくなってほしいものだと思っております。
龍と二人?宮島へ行って参ります。
まだご応募お待ちしておりますので、どうぞご連絡下さいませ。




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千田さんの講座  5回目

2018-03-08 21:40:09 | お出かけ
こんばんは。
朝からまた雨となりました。
昼から一時期、強く降ったえいしましたが、それもじきに小降りとなりました。
夕方、まだ降ってはおりますが、それほどひどくにはならないようです。
そんな朝はこのようにどんよりなお天気でした。




                               

                                     





                                






今日は午後から毎月受講させて頂いております千田さんの講座へ出席させて頂きました。
今回、いつもお顔を合わせるKさんとおっしゃる方が急用で出られないということでお休みとなられましたが、他には此方もよくご一緒するターラ
さん、またもうお一人新しい顔ぶれの方、主催者の千田さんを含め計4人の会となりました。
今回は『魚座、海王星から理想を見る』と称して行われました。
毎回そうなのですけれど、内容はとても充実されており、占星術をよく存じない自分でもなるほどと理解出来るようにかみくだいて教えて頂いて
おります。
それと共に各講座で集う方達があるテーマに沿ってお越しになっておられるみたいで、示し合わせたわけではないのに不思議なご縁があるものだな
と、これも毎回感じさせて頂いております。
今回新しくお越しになられた方は特に何もしていないんですよとおっしゃっておられましたけれど、伺う年齢にはとても見えないほどの可愛らしさ
のおありになる方で、柔らかい感性をお持ちの方でした。
会を進めるのは当然主催者の千田さんなのですけれど、その話の途中で様々なところへ話が飛んでみたり、けれどそれが今此処へお越しになってお
られるどなたかの聞きたかった答えになっていたり、とそれこそ話が縦横無尽なように飛び交っておりました。
子育て世代真っ最中の千田さん、その少し上の年代のお子さんをお持ちの今日の新しい出席者のNさん、ターラさんと自分はどちらも50代という事
でそれぞれがその年代から見た子育ての話なども話題となっておりました。

                        


                                  
                  



その子育てのお話の中で、現実的には発達障害等の名前で表されている子供達ですけれど最近よく取り上げられるようになったスピ系から見れば
インディゴとかレインボーと呼び称される子供達なのではないか、という事に話が及びました。
実際、お子さんを育てていく際にどうしても集団生活ははずせませんが、その時にその集団に馴染めない子供たちというのが増えてきていると言わ
れております。
確かに此方側、これまでの自分達を基準とした側からすれば、その子達は非常に扱いづらい、いわば問題児だとして見られるようです。
言うことを聞かない、みんなと同じ行動をしてくれない、自分勝手等々、聞けば確かに統率して子供さんを預かる側としては難しい面が多々あるの
かもしれません。
けれど決してそのお子さん達が言われるようにどこかへ障害があるというわけでは無いのではと思います。
これまでの社会の枠組みの中で見れば、言うことを聞かない、仲間から逸脱する子というのは非常に扱いづらく接しにくいのかもしれません。
しかしそれらの子供達は、今の自分達からは想像出来ない部分の未知の能力を大いに秘めているのではと感じます。
誰しも自分の知らないことには最初恐怖を抱いたり、あるいは嫌悪感を持って排除しようとします。
それはあくまでも自分達側からの基準で物事を判断しているからだと感じます。
新しい彼らからすれば、自分達の方が古い部類の人類なのではと思います。
出来ていない部分を過大に評価して彼らを出来ない子供達として扱うのか、自分達には計り知れない能力を秘めたこれからの時代を担っていって
くれる素晴らしい子供達だと感じ取るか、そこからして受け取り方は正反対になるのではと感じます。
またこれらの子供たちをいわば薬で・・となるとまた別の事も絡んでくる話となるのだろうな、とも考えます。
伸ばせる能力を最大限に伸ばして上げられる教育、それが次代を担っていく彼らへの自分達の果たさなければならない課題なのでは、とも思います。




 
                                 




と話がかなり脱線しましたけれど;。
今日の講座はペンジュラムを用いて自分のチャクラの今の状態を見てみようということをされました。
ペンジュラムとは、糸や紐の先に水晶あるいは硬貨などをつけて垂らし、自分の片方の手に持ち絵や知りたい物の上にそれをかざしてどのような
動きをするのかを通して自分がその物に対してどう反応するのかを見るのに用いられるものです。
今回は千田さんがご用意して下さったチェーンの先にミニボトルを取り付けたものをペンジュラムとして用いることにしました。
後ほどこのボトルの中には、あるものを入れました。
最初、三人それぞれに各チャクラに合わせた色の絵を用意して下さっており、その絵の上に自分の持つペンジュラムを垂らして各人反応を見ました。
結論から言えば、Nさんはどのチャクラもペンジュラムが時計回りにきれいに円を描いておられました。
ターラさんは今回、少し体調が優れないとこのことでご自身がおっしゃるようにあまり反応は無いようでした。
自分はというと、出掛けにお腹が痛くなり講座が始まる前にも少しお腹が痛いんだよねと言っておったのですが、そのせいかどうか第1、2,3の
チャクラあたりまでは、今一つ反応が鈍い感じでした。
上へ上がるに連れ、揺れ方も大きくなっていき、6、7あたりになるとペンジュラムを持っている指先にまでその振動を感じ取れる程になっており
ました。
後で聞くと特に自分の場合、最初にお腹が痛いと申しておりましたのでそこに対応するチャクラ辺りの反応が弱くなっているのでしょうとのこと
でした。
なるほど、と自分が今回殆ど始めてこのようなことをしてみましたけれど妙に納得出来る思いでした。




                                 




その後に、先ほどペンジュラムとして使ったミニボトルに各自が好きなオイルを入れてみることにしました。
普段はアンシェントメモリオイルのみなのですが今回チャクラに関するミカエルザヤットのオイルもありましたので、自分自身は此方のミカエル・・
の方を使わせて頂きました。
各チャクラに対応し、1から8まであり(今回ペンジュラムで見たのは7まででした)、まずは香りを嗅いで確かめました。
先ほど弱っているかもといわれた第3チャクラの香りは、今回自分にはどうにも馴染めず(実際にはバジルの香りとのことでした)ペンジュラムが
よく回った5以上の香りはとても心地よく感じられました。
本来ですと此方のミカエル・・のオイルは1種類のみで香りを楽しむらしいのですが自分が気に入った8の香りが残量が少なかったこともあり、
それでは2種類でもかまいませんよと言って下さいまして、お言葉に大いに甘えて;2種類とさせて頂きました。
選んだのはその8となんと1のオイル;。
本当ならば近いチャクラのオイルならまだしもこのようなことをする人はまずいないかと思います。
けれど、どうもこの第1チャクラも気になり最近上の方ばかり感じておりますので、グラウンディングも必要と感じ、敢えてこの1と8を選んだ
という次第です。
この2種類、混ぜてみた結果は思っていた以上に案外イケル、という感じがしております。

実はこの文章を書く前、家へ帰ってきてから、ペンジュラムとして使用しておりましたけれど本来はペンダントでもありますので、首から提げて
早速使っております。
講座が終わりその後も所用を済ませて戻った来て、何故か身体的に疲れている感じでしたけれど、この香りを身につけていると不思議と心が安らぐ
ように思えます。
当然蓋をしておりますので漏れているわけではありませんけれど、時折ふわぁっと立ち上ってくる香りに癒されます。
言ってみれば、アンシェント・・の方は製作者が女性ということもあるのか全体的に甘さがベースな部分も見受けられますが(それだけでは決して
ありません、あくまでも相対的にということです)此方のミカエルの方は男性が作成しているということも関連しているのか全体的にキリッとした
香りに感じられます。
それでもそんな強さの中にもどこか優しげな香りも含まれていて、そこがなんとはなしに心穏やかにしてくれる要素なのかもしれません。
この度、いつもと違う香りにしてみようと試してみたのは正解だったようです。





                                     




                                      






その他に今回は千田さんが前回の講座の折にお持ちになっておられた月相の絵を絵葉書にしておられ、各自が一枚ずつ引かせて頂きました。
それがこの写真の一枚ですけれど、この題名が『ありのままに』というものでした。
他の2名の方もそれぞれに不思議なくらいその方に合った絵を引き当てておられるようにぴったりの絵を選んでおられました。
よく物事は偶然ではなく必然である、と言われますけれどこのことも強くそれを感じられた出来事でした。
(って、自分の場合、ありのままだと、あれ、どうなんでしょうね;) 




                                       




千田さんの講座は毎回、此処までして頂いて本当にいいの?というくらい、充実しておられます。
彼女自身も楽しんでおられるとのことですけれど、研究熱心な方なのだなぁ、と常に感じております。
たおやかな中にも芯の強さを秘めた女性、そう思います。

今回はそんな彼女の講座についてお伝えさせて頂きました。




                                      





先だってよりお伝え致しております厳島神社参拝並びに宮島周辺探訪、三月十六日、九時半広島駅を車にて出発です。
お一人一万三千円この中には正式参拝の玉串料を含みます。(フェリー代、飲食代は含まれません)
ご参加お待ち申しております。

  kimikimiblue13@gmail.com

此方までご連絡下さいませ。

尚、最初に申しておりましたターラさんはご都合により今回は見合わせるとのことですので、何卒ご了承下さいますようお願い申し上げます。





                                       




本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。
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シリウス 久々の虹色纏う龍  我が家の?龍も

2018-03-07 20:36:10 | ちょこっとスピリチュアル
こんばんは。
また少し寒の戻りという感じの日でしたね。
夕方になると先ほどまでよいお天気だったのが急に曇って来ました。
明日はまた雨だとか。
酷く降らねばよいけれどと思います。
朝は眩しい朝日でした。




                                     





                                     





                                       





昨夜は久しぶりで綺麗な星空が見えておりましたのでシリウスの言葉を聴かせて頂いたと感じております。



 “   あなた方の挨拶では 久しぶりと言うことになるのでしょうね

     経済のことは心配しないで下さい

     あなたが望む状況 (金額)を思い描いて下さい

     ぶれると それだけ波動がずれるのです

     そこのところから 逸脱してしまいます

     ですから こうありたい自分の姿を正しく思い浮かべて下さい

     過去の自分がこのようで嬉しかったと思うのなら

     その楽しい部分の波動に繋がって下さい

     より早く そのなりたい ありたい貴方になれるはずです

     私は シリウスです  貴方方を見守っています   ”



澄んだ空気の中でシリウスの青い光を見つめていると、このような言葉を感じました。
ほんの少しだけ、しばらくぶりの気がします。
話す内容もいつもとそれほど変わらないかと思いますけれど、話し方はやはりこのような口調で話して下さいます。
望む状況を思い描く時にぶれないで欲しいと言われるのは、こっちがいいかな、いやそっちの方がいいのかも、とコロコロと自分のありたい姿を
変えているとどこへ焦点を合わせていいのか分からず、その分波動自体、つまりは望む姿も定まらないということなのだと思います。
言われていること、そのままですけれど。
過去の自分、というのは過去に自分自身がとても好調な時があり、今はそうでもないのだとしたら、その楽しく感じていた時期の自分を思い出して
その頃の自分の波動になって欲しいということのようです。
その時の楽しいと感じる感覚が感じ取れたならば、同時にその時の波動も呼び起こすことが出来るということのようです。
そうなればその波動に自分を乗せることも可能になり、その頃の楽しい自分にも戻れ、また好調な自分も取り戻すのに一役買うということにも繋がる
わけですね。
グズグズと自分なんてどうせもう無理だし、などと考えず楽しく嬉しい波動をまずは取り戻すこと、それに尽きるようです。
楽しい感覚、いつも忘れないようにしたいものですね。





                                    



今朝、祝詞奏上の後、あの濃緑の龍にまたもや話しかけられました。
その前に、まずは大神の言葉から。



 〝   厳島のこと 人が集まらぬは まだ機が熟しておらぬのだろう

     しかし 気落ちせず 行って参れ

     やがて人が集うようになる   〟


 このような言葉を頂戴する
 続いてはあの龍か



 ‘   せやで 今回 だあれも来んでも わてが一緒に行ったるさかいに

     あんじょう 気落ちせんといてや

     わても 仲間に会えるのが楽しみやわぁ    ’



 え、そうなの?



 ‘   せやで あんたら分からんかも知れへんけど わてらには わてらの世界があるからね

     楽しみやわぁ   ’


 
 いつでも会えるんじゃ?



 ‘   そらいつでも会おう思うたら 会えるけどな

     それでもこうしてわざわざ 三次元的に 足運んで行くっちゅうのも

     ええもんやよ

     あんたも 久々車で走って楽しんできたら ええやん

     一緒に行くさかいにな~   ’



 聴くといつも最後は笑って終わってしまう



                                  


                                     
                                                                   

                                   
                                           
このところ毎日告知させて頂いております厳島神社並びに宮島周辺の探訪、なかなかご応募がございませんのでそこのところを大神が言われた
ようですね。
確かに自分ではどなたとでもご一緒して楽しんで頂きたいという気持ちに変わりはありませんけれど、待てど暮らせどどなたのお申し出も未だに
御座いません。
言われるように今はその機が熟しておらないのかもしれません。
時期が来れば、いつか必ずご一緒させて頂ける方も出てくるのかもしれない、そう思い気長にその時を待ちたいと思います。
あ、それでもあと一週間ありますし、まだ応募は致しますよ;。

そんな自分の気持ちを察してか?龍がこのような言葉を掛けてくれたようですね。
本当にこんな関西弁なのか?と訝しがられるかもしれませんけれど、本当にそうなんです;。
頭の中へポンポンと次から次へとこのように言葉が入り、話してくれます。
出身はどこぞ、あの辺りなのでしょうかね、そこのところは確かめておりませんけれど;こうしてお付き合いして行く分にはとても楽しくて面白い
龍ではあります。 
この会話の中で話しております仲間の龍、これはいつか感じた厳島神社の拝殿でのあの龍達のことかと思います。
全部で幾柱の龍が坐したものなのか、いずれにしても所狭しとでもいうように互いの顔を突き合わせて此方を覗き込むようにしておりました龍達、
その龍らとこの我が家の龍は会いたいのだと思います。
また本来なら瞬時にどこへでも行けるはずの彼?ですけれど今回は自分と共に、彼の言葉を借りれば三次元的にわざわざ出向いて行く、と言って
くれております。
彼自身、そのようにして参る宮島、確かに楽しみなんでしょうね。
自分達には自分達の世界がある、これも然りかと存じます。
向こうで仲間と合流し、何を話してくるのでしょうか。
自分にしてみれば、なんだかその方が楽しみなような気持ちもしております。





                                   





                                      




この後に富鷹成易の白水明さんの呪文  『令令 戌合、子 急急如律令』(れいれい いぬごう、ね きゅうきゅうにょりつりょう)の言葉を
唱えて目を閉じてみました。

 
 真っ白い雲の遥か上を翔る 虹色を纏った白龍
 悠々とたおやかに しかしかなりのスピードで翔けていく
 見えているのはその視点(龍の)から
 眼下に雲が白く見える
 風を切る音が聞こえるよう

 
 《  迷わず 進め   》

 
 虹色の龍の言葉  
 雄大な眺め
 
 頭上がいつも感じるホワホワの感触
 眉間で見ているように感じていても 頭の上がそんな感じ





                                       



呪文を唱えると、此方も久々にあの天翔ける虹色を纏う白龍の姿を感じられました。
白い雲に覆われておりますその場所は遥か下へと見えております。
遮るものなど何一つなく龍の上には輝く太陽が見えておるだけの壮大な空の眺めです。
その空を悠々とでもいうように翔けていく龍、とはいえかなりのスピードでもあり、さながら風を切る音さえも聞こえてきそうな勢いです。
その龍が一言 「迷わず 進め」  このように声を掛けてくれたように感じました。
自分が感じているこの虹色纏う龍、此方は地上を行く龍達とは少し違い、どちらかといえばより次元の高い処へ存在しているように認識しており
ます。
自分に今遣わされている龍とはかなりかけ離れた処に坐す、いわば神に近いような存在に感じております。
その龍からの言葉と感じられました。
これから先、どのように展開していくのか、自分でもその姿をしかと把握出来ておりませんけれど(前述のシリウスの言葉のようにはなっており
ませんね;)明るい方へと向かって参りたい、そう思います。
それにしても、の雄大な眺めです。
いつも申すことですけれど出来るものならこの眺め、皆様にも感じて頂きたい、そう思うばかりです。




      
                                      





先だってよりお伝え致しております厳島神社参拝並びに宮島周辺探訪、三月十六日、九時半広島駅を車にて出発です。
お一人一万三千円この中には正式参拝の玉串料を含みます。(フェリー代、飲食代は含まれません)
ご参加お待ち申しております。

  kimikimiblue13@gmail.com

此方までご連絡下さいませ。





                                      



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