こんばんは。
今朝はまだ鈍色の雲に覆われた空で、雨は降らずともどんよりとしておりました。
晴れ間が覗きだしたのは午後も3時を回った頃。
ようやっと青空も見え空気も心なしか洗われたように感じます。
気温が少し下がり余計に爽やかに感じているのかもしれません。
雨が上がり、狭いながらもある庭の草引きをしておりました。
草を引くというよりは園芸鋏で地上に出ている部分を切っていったくらいのことですので、いずれまた生えてくるのでしょう。
よもぎや場所によってはドクダミが生えており、いくら刈り取っても後から後から茂ってきます。
これまでにも刈り取ることはできたのですけれど、ふと見たよもぎにかなりの数のてんとう虫がくっついていたりして、それを無下にするのもどう
かな;と感じてしまい、つい刈り取ること自体が延び延びになっておりました。
それでも雨上がりのあまり暑くない時にと思い、よし!と気合をいれて刈り取りました。
これら下から生えてきている草と、後は裏のもの干し場の柱に絡み付いて段々と増殖、進出をしておるツタを少しでも食い止めようと、これもまた
鋏片手に塀の向こうすぐ下の流れを用心しながら切り取っておりました。
このツタという植物、切っても切っても手強い相手でして、いつぞや植物には雑草なんてない、全て彼らも生きていると書いたのですけれど、そうは
言っても放っておけばどこまでも蔓延る様にはやはり手を焼きます;。
枝を切り取る度にハックションッ!!とくしゃみを連発させつつ、さながらオジサン(ま、オバサンですけど;;)みたいな様相を呈しておりました。
しかし、こうして刈ったり切ったりしている時は良いのですが、大抵明日以降あちこちが筋肉痛ならぬ凝り;で悩まされます;。
筋肉のないオバサンの弱点というところですね。(苦笑)
昨日、大神神社について書かせて頂きましたけれど、自分がいつかこれも書かせて頂ければなと思っておりました場所があります。
それは神社ではなく空海が開いたとされている高野山について、です。
自分自身、これまでに3回ほど参らせて頂いたことがあります。
そのどれもが交通手段が違っておりました。
一度目はバス、ついで電車、最後は車であったかと思います。
また自分もですけれど、若かりし頃の主人自身、何度もこの高野山へは足を運ばさせられて?おったようです。
主人の方の事は後として(これね、また面白いような不思議なような話なんですよ;)先に自分が参らせて頂いたことから綴ってみようと思います。
しばしお付き合いのほどを。
自分が最初に訪れたのは信者さんご夫婦とご一緒にでした。
我が講社の信者さんですけれど、元々ある方について信仰されておられ、その方ご自身が弘法大師、俗にお大師さんと称される呼び名で親しまれて
おる空海を崇めておられたようです。
その関係で一年に一度は高野山へ参られるとかで、その時もご夫婦でツアーを利用して高野山までお越しになるとのことでした。
その頃は仕事の上で仏像やらお大師さんといわれる御像やらの御祓いを頼まれることも少なくなく、自分としては一体このお大師さんと言われている
空海、また高野山てどんなところなのだろうという好奇心とまた後学のためと感じ、ご一緒させて頂くことと致しました。
当時はまだ主人も元気な頃で、小学生の息子と二人目玉焼き作って食べとくから行っといで~と送り出してくれました;。(目玉焼きって;)
ツアーバスは広島を夕方に出発し朝方高野山へ着くように夜通し走っていくようでした。
大体がこのツアーの趣旨?としては四国の八十八箇所を巡った後、結願(けちがん)として一番最後に参る場所としてこの高野山を訪れるとの事で
そのような方々を対象にしたもののようでした。
そんなことはこの時初めて知った自分でもあり、ご一緒したご夫婦以外はどなたも知り合いもおらず隣に座られた女性もこの時に初めてお会いした
方です、当然ですけれど;。
とはいえ夕方から夜に掛けての行程ですし、走るうちに車内の明かりも消され、後は寝て過ごすしかありませんでした。
しかしあまりリクライニング出来る程のシートでもなく;、寝ようとしても寝付けないまま、ひた走る暗いバスの中で身体もさほど動かせずにまん
じりともしないまま時間だけが過ぎていくようでした。
途中、何度かトイレ休憩を兼ねてSAへ停車しておりましたが、元々おトイレの近い自分はこの決められた時にしか行けない状況にかなり辛い思いを
していたのを覚えております;。
昨日も申したように普段はマイカーですので、好きな時にどのようにでも停まれるというのはこういう時にとても便利なんだなと改めて感じており
ました;。
団体行動には向かない人間ですね;。(笑)
そんなこんながありつつも、それでもうつらうつらしておる間にバスはいつの間にか高野山の麓、九度山の辺りまで来たようでした。
それもふと目を覚ました時に、窓から見える外の景色でそれと知れたことでした。
ここからはこの山を登っていくわけですけれど、その道はまさにつづら折り、幾重にもヘアピンカーブの重なる道が高野山と言われております山頂
の町まで続きます。
殆どの方が寝入っている車内、そんな中でおぼろげに外が白み始めてきており、なんとはなしに景色がぼんやりと見えております。
バスは車内の皆さんを起こすことがないよう気遣うようにして、ゆっくりとカーブを一つずつ登って行きます。
少し目が覚めた方が小声で、あれ、ここどこ? もう高野山に着いたんかな?などど話しておられました。
山頂に到着しバス専用なのでしょうか、かなり大きな駐車場にてしばし待機のようでした。
予定の時刻より少し早く着いたようでした。
その後、宿坊とされていたある寺院へ向かいまずはお風呂へ入らせて頂きました。
眠気の覚めやらぬ身体も、これでしゃっきりしたようでした。
泊まるわけではありませんでしたがこのようにお風呂を頂き、続いて朝の食事も此方にて頂戴させて頂きました。
真言宗のお寺ですので当然精進料理であり、その中での朝御飯ですので動物性蛋白は用いておられなかったと思います。
しかし量的にはかなりのボリュームがあり、残してはいけないとされておったかと思いますので自分自身はかなり無理をして詰め込んだ;ように
覚えております;。
一つだけ覚えておりますのが、わかめのお味噌汁。
大きなわかめが入ったもので、屈強とも思えるような雲水さん(になるのかな;?違っていたらばすみません;)が黙々と給仕をして下さって
おりました。
そんな食事を終えると次はその寺院にて朝の勤行です。
此方の寺院で一番年長者とされておられます高僧の方が読経をされながら護摩を焚かれます。(他の僧侶の方もなさっておられたと思います)
神道とは全く違うその祈念の仕方にかなり戸惑いを覚えながらも燃え盛る護摩の火を見ておったように感じました。
時間的にはどのくらいであったのかもう覚えておらないのですけれど、このお勤めが終わり先ほどの高僧の方が若い方に脇を抱かかえられるように
して退かれました。
その後自分達も休憩に入ったかと思いますが、この際申すようにトイレの近い自分はまたしてもそのトイレに向かいました;。
行くすがらの廊下であったか先ほどの高僧の方とすれ違ったのですけれど、お歳を召されたその方ご自身、何故かしらとても有難いお姿に思え、我
知らず深々と頭を垂れておりました。
あの時の感覚は、ただ単に御歳を召されておられたからではない、何か崇高な感じを受けたからでした。
全てを達観しておられるようなその面差しに、長年の修行のその先をも果たされたかのように感じられたのかもしれません。
空海、その方に近づいておられたお顔であられたのかも、とも思います。
あの方にお会い出来ただけでも参らせて頂いた甲斐があったと、これもまた今にして感じておるところです。
その後、高野山で一番大事とされております奥の院へ参ったかと思います。
此方では多くの墓があり、日本の主だった企業のそれもあるとされておるようです。
この地へ墓を設けられれば、その企業は衰えることはないともされている、と案内のガイドの方が説明しておられました。
その他にも歴史に名を留めておる人物や様々な人の墓があります。
一々に説明を聞かせて頂いたのですけれど、なんせ今から十数年前のこと;そんなトリビア?みたいなことだけは忘れずに覚えておるみたいですね。
歩みを進めて行くうちにこの場所の最も奥、弘法大師空海、その方が未だに瞑想を続けておられるとされる御廟の手前まで辿り着きました。
そんな世界を隔てるのは、これまでにも幾つか通ってきた橋ですけれど最後の御廟橋、無明の橋とも言われる橋です。
此処から向こうはあちらの世界とされておるようで、この先は写真撮影は禁止されております。
今一度気持ちを厳かに保ちながら、歩みを進めます。
御廟へ着くとやはり何がしかの説明を受けながら地下へと下りて行きました。
その中は何であったか、これはうろ覚えで申し訳ないのですけれど壁面一面が同じものでびっしりと埋め尽くされており、それだけでも圧巻でした。
その中央に空海が手にしていたとされる金剛杵(こんごうしょ)と思しき物(おそらくレプリカかと思います、よく存じませんですみません)が
ガラスのケースに飾られたいたように思います。
此処のところも自分の古い記憶ですし定かではありませんのでご了承下さい。
その場所で説明を受けつつも自分は此処で弘法大師に想いを馳せておりました。
ツアーの皆さんがおられたのですけれど、あらかたの方がその場を離れられた後で、その場で一人心落ち着けて目を閉じてみました。
その時に
〝 目で物を見るのではない
心の目で 物を見るのだ 〟
このような言葉が頭に入ってきました。
これは空海の言葉?と思いながら聞こえてきた言葉に有難うございましたと思いつつ、その場を後にしようとすると先ほどのガイドの方が私一人を
待って下さっておりました;。
どうやら普通は大勢の方を引率して通り一遍に、ではないのでしょうがご案内はすんなりと済まされるのでしょうけれど、自分ひとりが静かに頭を
垂れておるのを見て、せかしてはいけないと思って下さったようでした。
あら、悪いことしました;と思い、一言すみませんと謝り、先を行く皆さんに早足で追いついて行きました。
後ほどご一緒したご夫婦の方に、こんな言葉が聞こえてきましたとお話すると、あのお大師さんならおっしゃるだろうね、とさして不思議とも思わ
ず聞いて下さいました。
空海という方、その当時の自分にはどのような方であるのか殆どというほどまともな知識は持っておらず、そういうものなのかしら、とこれもまた
取り立てて凄いことをおうかがい出来たものとも考えておらず、そのくせその言葉だけは何にもましていつまでも覚えておる事なのでした。
実際、このお言葉は今でも何か事があるごとに、否、何もなくてもよく思い出す言葉でもあります。
幾度も反芻するようにこの言葉をそれこそ心の中で唱えてみて、大事なことはそういうこと、と自分に言い聞かせるような思いがする事もしばしば
です。
あの御廟の地下で大事な宝物を頂戴させて頂けたのかもしれません。
高野山を巡るツアー、まだ続くのですけれど、ここですみません;、書いてみると案外と長いことに気づきました;。
ですので、これしばらくシリーズ化;?してお届けいたします。(笑)
神主なのに、どうよ;?ですけれどね。
ま、気の向くまま書かせて頂きたいと思います。
お暇な方は、どうぞお付き合い下さいませ。
先日よりお伝え致しております五月十四日月曜日午前十時より出雲大社例大祭が斎行されます。
ご参列ご希望の方がおられましたら下記までご連絡下さいませ。
尚、大社側への返信が5月7日までとされておりますので、それまでにご連絡頂きたく存じます。
追って詳細をお伝えさせて頂きます。
kimikimiblue13@gmail.com
ご参列の程、お待ち申し上げております。
本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。
今朝はまだ鈍色の雲に覆われた空で、雨は降らずともどんよりとしておりました。
晴れ間が覗きだしたのは午後も3時を回った頃。
ようやっと青空も見え空気も心なしか洗われたように感じます。
気温が少し下がり余計に爽やかに感じているのかもしれません。
雨が上がり、狭いながらもある庭の草引きをしておりました。
草を引くというよりは園芸鋏で地上に出ている部分を切っていったくらいのことですので、いずれまた生えてくるのでしょう。
よもぎや場所によってはドクダミが生えており、いくら刈り取っても後から後から茂ってきます。
これまでにも刈り取ることはできたのですけれど、ふと見たよもぎにかなりの数のてんとう虫がくっついていたりして、それを無下にするのもどう
かな;と感じてしまい、つい刈り取ること自体が延び延びになっておりました。
それでも雨上がりのあまり暑くない時にと思い、よし!と気合をいれて刈り取りました。
これら下から生えてきている草と、後は裏のもの干し場の柱に絡み付いて段々と増殖、進出をしておるツタを少しでも食い止めようと、これもまた
鋏片手に塀の向こうすぐ下の流れを用心しながら切り取っておりました。
このツタという植物、切っても切っても手強い相手でして、いつぞや植物には雑草なんてない、全て彼らも生きていると書いたのですけれど、そうは
言っても放っておけばどこまでも蔓延る様にはやはり手を焼きます;。
枝を切り取る度にハックションッ!!とくしゃみを連発させつつ、さながらオジサン(ま、オバサンですけど;;)みたいな様相を呈しておりました。
しかし、こうして刈ったり切ったりしている時は良いのですが、大抵明日以降あちこちが筋肉痛ならぬ凝り;で悩まされます;。
筋肉のないオバサンの弱点というところですね。(苦笑)
昨日、大神神社について書かせて頂きましたけれど、自分がいつかこれも書かせて頂ければなと思っておりました場所があります。
それは神社ではなく空海が開いたとされている高野山について、です。
自分自身、これまでに3回ほど参らせて頂いたことがあります。
そのどれもが交通手段が違っておりました。
一度目はバス、ついで電車、最後は車であったかと思います。
また自分もですけれど、若かりし頃の主人自身、何度もこの高野山へは足を運ばさせられて?おったようです。
主人の方の事は後として(これね、また面白いような不思議なような話なんですよ;)先に自分が参らせて頂いたことから綴ってみようと思います。
しばしお付き合いのほどを。
自分が最初に訪れたのは信者さんご夫婦とご一緒にでした。
我が講社の信者さんですけれど、元々ある方について信仰されておられ、その方ご自身が弘法大師、俗にお大師さんと称される呼び名で親しまれて
おる空海を崇めておられたようです。
その関係で一年に一度は高野山へ参られるとかで、その時もご夫婦でツアーを利用して高野山までお越しになるとのことでした。
その頃は仕事の上で仏像やらお大師さんといわれる御像やらの御祓いを頼まれることも少なくなく、自分としては一体このお大師さんと言われている
空海、また高野山てどんなところなのだろうという好奇心とまた後学のためと感じ、ご一緒させて頂くことと致しました。
当時はまだ主人も元気な頃で、小学生の息子と二人目玉焼き作って食べとくから行っといで~と送り出してくれました;。(目玉焼きって;)
ツアーバスは広島を夕方に出発し朝方高野山へ着くように夜通し走っていくようでした。
大体がこのツアーの趣旨?としては四国の八十八箇所を巡った後、結願(けちがん)として一番最後に参る場所としてこの高野山を訪れるとの事で
そのような方々を対象にしたもののようでした。
そんなことはこの時初めて知った自分でもあり、ご一緒したご夫婦以外はどなたも知り合いもおらず隣に座られた女性もこの時に初めてお会いした
方です、当然ですけれど;。
とはいえ夕方から夜に掛けての行程ですし、走るうちに車内の明かりも消され、後は寝て過ごすしかありませんでした。
しかしあまりリクライニング出来る程のシートでもなく;、寝ようとしても寝付けないまま、ひた走る暗いバスの中で身体もさほど動かせずにまん
じりともしないまま時間だけが過ぎていくようでした。
途中、何度かトイレ休憩を兼ねてSAへ停車しておりましたが、元々おトイレの近い自分はこの決められた時にしか行けない状況にかなり辛い思いを
していたのを覚えております;。
昨日も申したように普段はマイカーですので、好きな時にどのようにでも停まれるというのはこういう時にとても便利なんだなと改めて感じており
ました;。
団体行動には向かない人間ですね;。(笑)
そんなこんながありつつも、それでもうつらうつらしておる間にバスはいつの間にか高野山の麓、九度山の辺りまで来たようでした。
それもふと目を覚ました時に、窓から見える外の景色でそれと知れたことでした。
ここからはこの山を登っていくわけですけれど、その道はまさにつづら折り、幾重にもヘアピンカーブの重なる道が高野山と言われております山頂
の町まで続きます。
殆どの方が寝入っている車内、そんな中でおぼろげに外が白み始めてきており、なんとはなしに景色がぼんやりと見えております。
バスは車内の皆さんを起こすことがないよう気遣うようにして、ゆっくりとカーブを一つずつ登って行きます。
少し目が覚めた方が小声で、あれ、ここどこ? もう高野山に着いたんかな?などど話しておられました。
山頂に到着しバス専用なのでしょうか、かなり大きな駐車場にてしばし待機のようでした。
予定の時刻より少し早く着いたようでした。
その後、宿坊とされていたある寺院へ向かいまずはお風呂へ入らせて頂きました。
眠気の覚めやらぬ身体も、これでしゃっきりしたようでした。
泊まるわけではありませんでしたがこのようにお風呂を頂き、続いて朝の食事も此方にて頂戴させて頂きました。
真言宗のお寺ですので当然精進料理であり、その中での朝御飯ですので動物性蛋白は用いておられなかったと思います。
しかし量的にはかなりのボリュームがあり、残してはいけないとされておったかと思いますので自分自身はかなり無理をして詰め込んだ;ように
覚えております;。
一つだけ覚えておりますのが、わかめのお味噌汁。
大きなわかめが入ったもので、屈強とも思えるような雲水さん(になるのかな;?違っていたらばすみません;)が黙々と給仕をして下さって
おりました。
そんな食事を終えると次はその寺院にて朝の勤行です。
此方の寺院で一番年長者とされておられます高僧の方が読経をされながら護摩を焚かれます。(他の僧侶の方もなさっておられたと思います)
神道とは全く違うその祈念の仕方にかなり戸惑いを覚えながらも燃え盛る護摩の火を見ておったように感じました。
時間的にはどのくらいであったのかもう覚えておらないのですけれど、このお勤めが終わり先ほどの高僧の方が若い方に脇を抱かかえられるように
して退かれました。
その後自分達も休憩に入ったかと思いますが、この際申すようにトイレの近い自分はまたしてもそのトイレに向かいました;。
行くすがらの廊下であったか先ほどの高僧の方とすれ違ったのですけれど、お歳を召されたその方ご自身、何故かしらとても有難いお姿に思え、我
知らず深々と頭を垂れておりました。
あの時の感覚は、ただ単に御歳を召されておられたからではない、何か崇高な感じを受けたからでした。
全てを達観しておられるようなその面差しに、長年の修行のその先をも果たされたかのように感じられたのかもしれません。
空海、その方に近づいておられたお顔であられたのかも、とも思います。
あの方にお会い出来ただけでも参らせて頂いた甲斐があったと、これもまた今にして感じておるところです。
その後、高野山で一番大事とされております奥の院へ参ったかと思います。
此方では多くの墓があり、日本の主だった企業のそれもあるとされておるようです。
この地へ墓を設けられれば、その企業は衰えることはないともされている、と案内のガイドの方が説明しておられました。
その他にも歴史に名を留めておる人物や様々な人の墓があります。
一々に説明を聞かせて頂いたのですけれど、なんせ今から十数年前のこと;そんなトリビア?みたいなことだけは忘れずに覚えておるみたいですね。
歩みを進めて行くうちにこの場所の最も奥、弘法大師空海、その方が未だに瞑想を続けておられるとされる御廟の手前まで辿り着きました。
そんな世界を隔てるのは、これまでにも幾つか通ってきた橋ですけれど最後の御廟橋、無明の橋とも言われる橋です。
此処から向こうはあちらの世界とされておるようで、この先は写真撮影は禁止されております。
今一度気持ちを厳かに保ちながら、歩みを進めます。
御廟へ着くとやはり何がしかの説明を受けながら地下へと下りて行きました。
その中は何であったか、これはうろ覚えで申し訳ないのですけれど壁面一面が同じものでびっしりと埋め尽くされており、それだけでも圧巻でした。
その中央に空海が手にしていたとされる金剛杵(こんごうしょ)と思しき物(おそらくレプリカかと思います、よく存じませんですみません)が
ガラスのケースに飾られたいたように思います。
此処のところも自分の古い記憶ですし定かではありませんのでご了承下さい。
その場所で説明を受けつつも自分は此処で弘法大師に想いを馳せておりました。
ツアーの皆さんがおられたのですけれど、あらかたの方がその場を離れられた後で、その場で一人心落ち着けて目を閉じてみました。
その時に
〝 目で物を見るのではない
心の目で 物を見るのだ 〟
このような言葉が頭に入ってきました。
これは空海の言葉?と思いながら聞こえてきた言葉に有難うございましたと思いつつ、その場を後にしようとすると先ほどのガイドの方が私一人を
待って下さっておりました;。
どうやら普通は大勢の方を引率して通り一遍に、ではないのでしょうがご案内はすんなりと済まされるのでしょうけれど、自分ひとりが静かに頭を
垂れておるのを見て、せかしてはいけないと思って下さったようでした。
あら、悪いことしました;と思い、一言すみませんと謝り、先を行く皆さんに早足で追いついて行きました。
後ほどご一緒したご夫婦の方に、こんな言葉が聞こえてきましたとお話すると、あのお大師さんならおっしゃるだろうね、とさして不思議とも思わ
ず聞いて下さいました。
空海という方、その当時の自分にはどのような方であるのか殆どというほどまともな知識は持っておらず、そういうものなのかしら、とこれもまた
取り立てて凄いことをおうかがい出来たものとも考えておらず、そのくせその言葉だけは何にもましていつまでも覚えておる事なのでした。
実際、このお言葉は今でも何か事があるごとに、否、何もなくてもよく思い出す言葉でもあります。
幾度も反芻するようにこの言葉をそれこそ心の中で唱えてみて、大事なことはそういうこと、と自分に言い聞かせるような思いがする事もしばしば
です。
あの御廟の地下で大事な宝物を頂戴させて頂けたのかもしれません。
高野山を巡るツアー、まだ続くのですけれど、ここですみません;、書いてみると案外と長いことに気づきました;。
ですので、これしばらくシリーズ化;?してお届けいたします。(笑)
神主なのに、どうよ;?ですけれどね。
ま、気の向くまま書かせて頂きたいと思います。
お暇な方は、どうぞお付き合い下さいませ。
先日よりお伝え致しております五月十四日月曜日午前十時より出雲大社例大祭が斎行されます。
ご参列ご希望の方がおられましたら下記までご連絡下さいませ。
尚、大社側への返信が5月7日までとされておりますので、それまでにご連絡頂きたく存じます。
追って詳細をお伝えさせて頂きます。
kimikimiblue13@gmail.com
ご参列の程、お待ち申し上げております。
本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。