日々徒然なるままに

日々感じたことを書いていきます、よろしくお願いします

心の目で

2018-04-25 22:04:26 | 高野山
こんばんは。
今朝はまだ鈍色の雲に覆われた空で、雨は降らずともどんよりとしておりました。
晴れ間が覗きだしたのは午後も3時を回った頃。
ようやっと青空も見え空気も心なしか洗われたように感じます。
気温が少し下がり余計に爽やかに感じているのかもしれません。


                            


                              





                             




雨が上がり、狭いながらもある庭の草引きをしておりました。
草を引くというよりは園芸鋏で地上に出ている部分を切っていったくらいのことですので、いずれまた生えてくるのでしょう。
よもぎや場所によってはドクダミが生えており、いくら刈り取っても後から後から茂ってきます。
これまでにも刈り取ることはできたのですけれど、ふと見たよもぎにかなりの数のてんとう虫がくっついていたりして、それを無下にするのもどう
かな;と感じてしまい、つい刈り取ること自体が延び延びになっておりました。
それでも雨上がりのあまり暑くない時にと思い、よし!と気合をいれて刈り取りました。
これら下から生えてきている草と、後は裏のもの干し場の柱に絡み付いて段々と増殖、進出をしておるツタを少しでも食い止めようと、これもまた
鋏片手に塀の向こうすぐ下の流れを用心しながら切り取っておりました。
このツタという植物、切っても切っても手強い相手でして、いつぞや植物には雑草なんてない、全て彼らも生きていると書いたのですけれど、そうは
言っても放っておけばどこまでも蔓延る様にはやはり手を焼きます;。
枝を切り取る度にハックションッ!!とくしゃみを連発させつつ、さながらオジサン(ま、オバサンですけど;;)みたいな様相を呈しておりました。
しかし、こうして刈ったり切ったりしている時は良いのですが、大抵明日以降あちこちが筋肉痛ならぬ凝り;で悩まされます;。
筋肉のないオバサンの弱点というところですね。(苦笑)





                                    




昨日、大神神社について書かせて頂きましたけれど、自分がいつかこれも書かせて頂ければなと思っておりました場所があります。
それは神社ではなく空海が開いたとされている高野山について、です。
自分自身、これまでに3回ほど参らせて頂いたことがあります。
そのどれもが交通手段が違っておりました。
一度目はバス、ついで電車、最後は車であったかと思います。
また自分もですけれど、若かりし頃の主人自身、何度もこの高野山へは足を運ばさせられて?おったようです。
主人の方の事は後として(これね、また面白いような不思議なような話なんですよ;)先に自分が参らせて頂いたことから綴ってみようと思います。
しばしお付き合いのほどを。

自分が最初に訪れたのは信者さんご夫婦とご一緒にでした。
我が講社の信者さんですけれど、元々ある方について信仰されておられ、その方ご自身が弘法大師、俗にお大師さんと称される呼び名で親しまれて
おる空海を崇めておられたようです。
その関係で一年に一度は高野山へ参られるとかで、その時もご夫婦でツアーを利用して高野山までお越しになるとのことでした。
その頃は仕事の上で仏像やらお大師さんといわれる御像やらの御祓いを頼まれることも少なくなく、自分としては一体このお大師さんと言われている
空海、また高野山てどんなところなのだろうという好奇心とまた後学のためと感じ、ご一緒させて頂くことと致しました。
当時はまだ主人も元気な頃で、小学生の息子と二人目玉焼き作って食べとくから行っといで~と送り出してくれました;。(目玉焼きって;)

ツアーバスは広島を夕方に出発し朝方高野山へ着くように夜通し走っていくようでした。
大体がこのツアーの趣旨?としては四国の八十八箇所を巡った後、結願(けちがん)として一番最後に参る場所としてこの高野山を訪れるとの事で
そのような方々を対象にしたもののようでした。
そんなことはこの時初めて知った自分でもあり、ご一緒したご夫婦以外はどなたも知り合いもおらず隣に座られた女性もこの時に初めてお会いした
方です、当然ですけれど;。
とはいえ夕方から夜に掛けての行程ですし、走るうちに車内の明かりも消され、後は寝て過ごすしかありませんでした。
しかしあまりリクライニング出来る程のシートでもなく;、寝ようとしても寝付けないまま、ひた走る暗いバスの中で身体もさほど動かせずにまん
じりともしないまま時間だけが過ぎていくようでした。
途中、何度かトイレ休憩を兼ねてSAへ停車しておりましたが、元々おトイレの近い自分はこの決められた時にしか行けない状況にかなり辛い思いを
していたのを覚えております;。
昨日も申したように普段はマイカーですので、好きな時にどのようにでも停まれるというのはこういう時にとても便利なんだなと改めて感じており
ました;。
団体行動には向かない人間ですね;。(笑)

そんなこんながありつつも、それでもうつらうつらしておる間にバスはいつの間にか高野山の麓、九度山の辺りまで来たようでした。
それもふと目を覚ました時に、窓から見える外の景色でそれと知れたことでした。
ここからはこの山を登っていくわけですけれど、その道はまさにつづら折り、幾重にもヘアピンカーブの重なる道が高野山と言われております山頂
の町まで続きます。
殆どの方が寝入っている車内、そんな中でおぼろげに外が白み始めてきており、なんとはなしに景色がぼんやりと見えております。
バスは車内の皆さんを起こすことがないよう気遣うようにして、ゆっくりとカーブを一つずつ登って行きます。
少し目が覚めた方が小声で、あれ、ここどこ? もう高野山に着いたんかな?などど話しておられました。
山頂に到着しバス専用なのでしょうか、かなり大きな駐車場にてしばし待機のようでした。
予定の時刻より少し早く着いたようでした。
その後、宿坊とされていたある寺院へ向かいまずはお風呂へ入らせて頂きました。
眠気の覚めやらぬ身体も、これでしゃっきりしたようでした。
泊まるわけではありませんでしたがこのようにお風呂を頂き、続いて朝の食事も此方にて頂戴させて頂きました。
真言宗のお寺ですので当然精進料理であり、その中での朝御飯ですので動物性蛋白は用いておられなかったと思います。
しかし量的にはかなりのボリュームがあり、残してはいけないとされておったかと思いますので自分自身はかなり無理をして詰め込んだ;ように
覚えております;。
一つだけ覚えておりますのが、わかめのお味噌汁。
大きなわかめが入ったもので、屈強とも思えるような雲水さん(になるのかな;?違っていたらばすみません;)が黙々と給仕をして下さって
おりました。
そんな食事を終えると次はその寺院にて朝の勤行です。
此方の寺院で一番年長者とされておられます高僧の方が読経をされながら護摩を焚かれます。(他の僧侶の方もなさっておられたと思います)
神道とは全く違うその祈念の仕方にかなり戸惑いを覚えながらも燃え盛る護摩の火を見ておったように感じました。
時間的にはどのくらいであったのかもう覚えておらないのですけれど、このお勤めが終わり先ほどの高僧の方が若い方に脇を抱かかえられるように
して退かれました。
その後自分達も休憩に入ったかと思いますが、この際申すようにトイレの近い自分はまたしてもそのトイレに向かいました;。
行くすがらの廊下であったか先ほどの高僧の方とすれ違ったのですけれど、お歳を召されたその方ご自身、何故かしらとても有難いお姿に思え、我
知らず深々と頭を垂れておりました。
あの時の感覚は、ただ単に御歳を召されておられたからではない、何か崇高な感じを受けたからでした。
全てを達観しておられるようなその面差しに、長年の修行のその先をも果たされたかのように感じられたのかもしれません。
空海、その方に近づいておられたお顔であられたのかも、とも思います。
あの方にお会い出来ただけでも参らせて頂いた甲斐があったと、これもまた今にして感じておるところです。

その後、高野山で一番大事とされております奥の院へ参ったかと思います。
此方では多くの墓があり、日本の主だった企業のそれもあるとされておるようです。
この地へ墓を設けられれば、その企業は衰えることはないともされている、と案内のガイドの方が説明しておられました。
その他にも歴史に名を留めておる人物や様々な人の墓があります。
一々に説明を聞かせて頂いたのですけれど、なんせ今から十数年前のこと;そんなトリビア?みたいなことだけは忘れずに覚えておるみたいですね。
歩みを進めて行くうちにこの場所の最も奥、弘法大師空海、その方が未だに瞑想を続けておられるとされる御廟の手前まで辿り着きました。
そんな世界を隔てるのは、これまでにも幾つか通ってきた橋ですけれど最後の御廟橋、無明の橋とも言われる橋です。
此処から向こうはあちらの世界とされておるようで、この先は写真撮影は禁止されております。
今一度気持ちを厳かに保ちながら、歩みを進めます。
御廟へ着くとやはり何がしかの説明を受けながら地下へと下りて行きました。
その中は何であったか、これはうろ覚えで申し訳ないのですけれど壁面一面が同じものでびっしりと埋め尽くされており、それだけでも圧巻でした。
その中央に空海が手にしていたとされる金剛杵(こんごうしょ)と思しき物(おそらくレプリカかと思います、よく存じませんですみません)が
ガラスのケースに飾られたいたように思います。
此処のところも自分の古い記憶ですし定かではありませんのでご了承下さい。
その場所で説明を受けつつも自分は此処で弘法大師に想いを馳せておりました。
ツアーの皆さんがおられたのですけれど、あらかたの方がその場を離れられた後で、その場で一人心落ち着けて目を閉じてみました。
その時に

   
   〝  目で物を見るのではない

      心の目で 物を見るのだ   〟


このような言葉が頭に入ってきました。
これは空海の言葉?と思いながら聞こえてきた言葉に有難うございましたと思いつつ、その場を後にしようとすると先ほどのガイドの方が私一人を
待って下さっておりました;。
どうやら普通は大勢の方を引率して通り一遍に、ではないのでしょうがご案内はすんなりと済まされるのでしょうけれど、自分ひとりが静かに頭を
垂れておるのを見て、せかしてはいけないと思って下さったようでした。
あら、悪いことしました;と思い、一言すみませんと謝り、先を行く皆さんに早足で追いついて行きました。
後ほどご一緒したご夫婦の方に、こんな言葉が聞こえてきましたとお話すると、あのお大師さんならおっしゃるだろうね、とさして不思議とも思わ
ず聞いて下さいました。
空海という方、その当時の自分にはどのような方であるのか殆どというほどまともな知識は持っておらず、そういうものなのかしら、とこれもまた
取り立てて凄いことをおうかがい出来たものとも考えておらず、そのくせその言葉だけは何にもましていつまでも覚えておる事なのでした。

実際、このお言葉は今でも何か事があるごとに、否、何もなくてもよく思い出す言葉でもあります。
幾度も反芻するようにこの言葉をそれこそ心の中で唱えてみて、大事なことはそういうこと、と自分に言い聞かせるような思いがする事もしばしば
です。
あの御廟の地下で大事な宝物を頂戴させて頂けたのかもしれません。
                             
                                   



                                   





高野山を巡るツアー、まだ続くのですけれど、ここですみません;、書いてみると案外と長いことに気づきました;。
ですので、これしばらくシリーズ化;?してお届けいたします。(笑)
神主なのに、どうよ;?ですけれどね。
ま、気の向くまま書かせて頂きたいと思います。
お暇な方は、どうぞお付き合い下さいませ。





                                  





先日よりお伝え致しております五月十四日月曜日午前十時より出雲大社例大祭が斎行されます。
ご参列ご希望の方がおられましたら下記までご連絡下さいませ。
尚、大社側への返信が5月7日までとされておりますので、それまでにご連絡頂きたく存じます。
追って詳細をお伝えさせて頂きます。

  kimikimiblue13@gmail.com

ご参列の程、お待ち申し上げております。




                                 




本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。
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不確かな記憶

2018-04-24 20:40:16 | 神様等について
こんばんは。
朝から一日雨降りです。
夕方の今もまだ止まず降り続いております;。
もう少しすれば止みそうなのですけれど。
これまで雨も長らくありませんでしたので、この雨は恵みの雨となったかもしれません。
ただ願わくはどこへも酷い被害がないように、ということですね。




                               



                            


                              





そんな雨の中を先ほど歩いてきましたら、わずかの時間で横殴りの風が吹き、穿いていたパンツがずぶ濡れになりました;。
もう少し歩く予定を切り上げて早々に帰って来た次第です。
それでもレーダーを見るとこの辺りはそんな雨もそろそろ抜けていきそうですが。
出た時が一番悪かったのかもしれません;。
濡れて少し寒いです;。


そんな雨降りの日はいつも以上に何することも出来ず、我が家のネコと二人して大人しく家でおりました。
とはいえ、出られずにウズウズしておるのはネコとて同じようでして窓の外を眺めては恨めしそうに此方を(そう私を;)見やります。
いやいや、この雨、お母ちゃんが降らせとるんじゃないよ;と言うのですけれど彼女にしてみれば当たるところもない思いをせめて近くにおります
人間にぶつけておるのかもしれません。
まぁ仕方ありませんね。(笑)






                                     

                              

昨日、大神神社からの巳さんがくっいて?帰ったという話を致しましたけれど。
その大神神社について弊ブログで『ワンちゃんの話が蛇の神様へ?』というタイトルにて昨年の7月9日に少しだけ書かせて頂いておりました。
(https://blog.goo.ne.jp/kimibluekimi/e/f8803e6c4fe947b3099d9912cfca6d95)
大神神社の御祭神等について書いております。
それほど詳しくではありませんけれどね;。
参らせて頂いたのはどちらも仕事上の事であり、信者さんのいわば代参、代わりの参拝のようなものでもあり、神様のお言葉を賜るためでもあった
かと記憶しております。
ただしそのどちらもが主人が倒れた後の事でして、その一回目はおそらく主人の初めの脳梗塞の直後であり既に奈良へ参る日程も宿も手配した後
であったかと思います。
しかしそのような混乱の直後でもありましたので、何をしに参らせて頂いたのか肝心のところが今ひとつ記憶に定かではありません。
入院している主人を気遣いながらも行かねばならず、自分一人で車を駆り奈良まで到底走りおおせる自信は到底無く、どうしようと途方に暮れつつ
も同じ市内に住む弟にだめ元で頼むと、無口な彼はそれならばと引き受けてくれたかと覚えております。
大抵出張する際には何故か息子の学校の休みと重なっており、まだ小学生の息子と弟とその娘という計4人で車を走らせ行ったように思います。
当時はカーナビなどという便利なものもうちの車にはあったようには覚えておらず、全てマップルという地図を頼りに走っていたかと思います。

どのようにして走って行ったかの記憶はもう抜けてますね;。
ともあれ大神神社近くまで行くと、大きな鳥居があったのは覚えております。
駐車場へ車を停め拝殿へと続く広い階段を登って行く最中、何もかもが大きく感じておりました。
境内も相当に広く、知識も持たずに参らせて頂いた身にはどこへ参らせて頂けばよいのか、ただ三輪山へ登れればと思いそこまで参りますと既に
時刻は登頂して下山するまでの時間の余裕がありません、とこの登頂口の手前にあります狭井神社の方(社務所だったか定かに覚えておりません)
に言われ、止む無く断念致しました。
三輪山の頂上にて大神様のお言葉を賜ろうと考えておったのだろうと思います。
そんな狭井神社へ参る途中の参道の脇にどうも巳さんに関する案内も出ていたように思います。
その後、どちらでお言葉を賜ったのか、それも既に記憶に留めておりません;。
ただ何がしかのお言葉を頂戴して戻ったのは確かであろうと思います。

その後おそらくまた車を走らせて、この大神神社より更に奥の吉野というところまで行ったのではと思います。
思います、というのは本当に記憶がところどころしかなく、覚えておらないからですね、すみません;。
吉野ではこれもお話したことがありますが、水分神社(みくまりじんじゃ)という神社へ参拝させて頂くために参りました。
季節は秋で吉野のとても美しい紅葉を見た記憶がありますので、そこだけは確かですね;。
弟とその娘、姪っ子の写真を撮ったようにも思うのですけれど、もしかするとそう感じただけでカメラはその時もっていなかったかもしれません;。
何にせよ、全てが殆どそのように記憶の欠落があり、弟がついて行ってくれなければ自分ひとりで往復する余裕はなかったかと思います。

次に参らせて頂いたのは、これもまた息子との二人旅プラスやはりもう一人、運転をして下さる方とで参らせて頂きました。
この時にもやはり主人の入院中でもあり、本人が行かれないということで結局は運転に自信のあるという信者さんにお願いしてある程度を走って
頂いたかと思います。
この時にはこの方も伴い、三人して祈祷殿にてご祈祷して頂いた覚えがあります。
この大神神社は三輪山自体がご神体とされておりますので、その三輪山を遥拝(ゆうはい)するという形を取られており、社殿には神様は祀られて
おりません。
そのような説明を受けながら長い廊下を渡りその祈祷殿まで参ったように記憶しております。
何をご祈祷して頂いたのかこれも代参致したこととて覚えておらないのですけれど;ご一緒に参拝しておられた女性が、これからハワイへ嫁ぐ娘
さんのご無事を願って一心に祈っておられた姿が印象に残っておりました。
このご祈祷を終え、運転を依頼しておりました方とは此処でお別れし、自分たち親子はまたしても吉野へと赴いたように思います。
その前にご一緒した信者さんの写真を撮らせて頂こうと、その方お一人を拝殿をバックに一枚撮っておりました。
その頃はまだデジタルカメラも無かったのではと思います。
後日、現像から戻った写真を見ますとその方を取り囲むようにして大きな輪っか、まるでオーブのようなものが写っておりました。
少し小雨模様でしたので、もしかするとレンズに水滴でも着いていたのかしらとも考えましたが、その前後の写真にはそのようなものは写っており
ませんでしたので、何がしか大神様からの伝言代わりのものであったのかもしれません。

大神神社を語るにはあまりにも乏しいほどの記憶しか自分の頭の中には留めておりません;。
これから訪れようとなさいます方は、どうぞご自身の目と足とでお確かめになられてみて下さいませ。
ご自身にしかわからない素敵なことと出会えるかもしれませんよ。





                                 




大体がどこへ行くのも西日本であるならば、大抵は車に荷物を放り込み出発していたように考えます。
それまでは主人もおり、たとえ運転を私一人がしていたといてもどこかしら安心感がありました。
しかし主人が倒れたしばらくはまだ年端の行かない息子と二人、車を走らせるのが少し怖い気がしていた頃でもありました。
こうして振り返ると、その折々に色んな方に支えて頂いていたのだな、と改めて思うところです。
その節はみなさん本当にお世話様になりました、今更ながらですけれど御礼申し上げます。






                                  




先日よりお伝え致しております五月十四日月曜日午前十時より出雲大社例大祭が斎行されます。
ご参列ご希望の方がおられましたら下記までご連絡下さいませ。
尚、大社側への通達が5月7日までとされておりますので、それまでにご連絡頂きたく存じます。
追って詳細をお伝えさせて頂きます。

  kimikimiblue13@gmail.com

ご参列の程、お待ち申し上げております。




少し降る雨は収まってきたようです。
この辺り明日は多少は日が射すでしょうか、どうもなってみないとわからないようです。
どなた様もお足元、また殊に車の運転等にはくれぐれもお気をつけてお過ごし下さいね。



本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。
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夢の白蛇

2018-04-23 20:48:55 | ちょこっとスピリチュアル
こんばんは。
午前中は雲に覆われながらもまだ少し陽射しを感じられましたが、午後になるにつれ怪しげな雲行きとなってきておりました。
この後ポツリと来始めるかもしれません。
それでも朝日は見えておりました。
                                    



                                    





                                    





今朝起きたときに何やら複雑な;?夢を見たのを覚えており、すぐさま書き留めておこうと思いながらそのまま日常の雑事をしている間に忘れて
しまいました。
実は昨夜また夜中にガタガタッと揺れまして;目が覚めました。
先日の地震の余震かどうかはわかりませんけれど、前回震度5であった地域は今回震度3だったらしく、この辺りはおそらく震度1程度だったで
しょう。
けれどどうにも夜揺れるのは感じ取りやすいのか前回のが堪えたのか、自分でも敏感になっていたようでしばらく寝られませんでした。
そんな事があったからかどうか、ストーリー的には一応筋が通っており、登場人物が知っている人ばかりではあってもどこかちぐはぐな感じが否め
ない、起きて今見た夢を思い起こしながらそんなことを考えておりました。
いつもは会ってもいない人だとか、どうしてそんな人が出てくるのかというように感じていたようですね。
どこまでも夢ですので何がどうとはいえないところではあります。




朝のうちに下界まで買い物に行ってきました。
当然いつものように歩いてです。
昨日一昨日のような気温ですと、歩くだけでへこたれそうですし;今日くらいの天気のほうが何かと楽かと感じたのもありますね。
帰りはバスをどうしようかと思っているとバス停近くまで戻ったところで運よくバスがやって来ましたので、これ幸いと乗って帰りました。
ものの2分と乗っていなのですけれど、歩けばゆうに2、30分は坂道を登って帰る道です。
文明の利器(出ました;)助かっております。(笑)

それと最近は歩けても戻ってしばらくすると脚が硬く固まったようになり、痛みが出てきます。
太股の外側が硬く痛みを覚え、膝も痛い;どんだけ歳取ってんの?と呆れられそうですが、このところそれが酷くなってきているようでもあり
何か対策はないもんだろうかと感じておるところです。
上半身は肩凝りとかの「さとう式リンパケア」で割りと楽になるのですが、下半身はもしかすると良い方法をいわれているのかもしれませんが
自分ではよく存じません。
足の痛みもとれ楽になる、そんな方法をどなたかご存じでしたら教えて頂きたい、そう切に感じておる最近です。





                                       
                                    



先日、知り合いの女性から、この夢はどうなんでしょうか、とご相談がありました。
主人の介護をしていた時に我が家へヘルパーとして来て頂いていた方でもう長いことお会いしておりませんでしたが、私がスマホに変えた時点で
彼女とは時折ラインで話?をしたりしております。
元々感じ取りやすい性質のようですので、雰囲気的に変だなと思うところは近づかないようにしておられるようですけれど。
ただし、対象が夢ですと防ぎようがないですしね;。
見た夢というのは、白い蛇が出てこられたのだとか。
どんな感じで出てきたの?とうかがうと、割と大きな蛇でこっちへ向かって来るようだったので首を捕まえてギュッとしたと話しておりました。
蛇の首って、どこよ;な感じですが。(笑)

その蛇の夢の前に彼女は友人と共に京都に遊びに行っておられたようでラインで色んな写真をあげておられました。
伏見稲荷等もお越しになったようでしたが、写っている写真は行列しているのかというくらい大勢の人たちが並んで鳥居の道を歩いている様でした。
それほど人混みで込み合っていたということでしょう。
そんな京都旅行を終えて帰って来た後でそんな蛇の夢を見られたようでした。

そのような経緯を伺っておりましたので、その白蛇の夢は悪いことを言っているのではないと思いますよと返事をし詳しいことはwebで、ではなく;
神様にうかがってからまたお知らせさせて頂きますということにしておきました。(ふざけちゃいけませんね;)
その後、彼女にどんな場所へ行かれたのかより詳細に聞かせて頂きました。
どうやら一緒された友人が行きたいと思われていた社寺に足を運ばれたようでそちらの写真も拝見致しましたが此処はどうだろう;と感じる場所
が幾つかありました。
彼女にそれらの場所はどうだった?とうかがうと、肩が重くなったりしんどかったと言われましたので、元々感じやすいのだからそういう所は近
づかない方がいいよと話しておきました。
そのような場所とこの白い蛇は結びつきがないように思え、その後大神様にうかがってみることに致しました。



 〝 この者の白蛇
 
   三輪の山より来たる

   (はじめは)他の者につきしが その者では

   蛇の力使えぬ故

   この者につきしなり

   力を悪しきことへ使うことなく

   良きことへと用いよ   〟

                                
                                 

                                   




このような言葉を賜りました。
どうやら、はじめにどこかのどなたかに付いて戻っていたと思われる大神神社(おおみわ)に神の遣いとしておられる巳さん(みいさん)が
その方につきがいが無い;?と思ったらしく、その時点で彼女に鞍替えして付いて帰ったようでした。
そんなことがあるのかと言われそうですけれど、どうやらそうらしいですよ;。
申すようにどなたかが大神神社を訪れ、その際にこれまたどういうわけかその方について帰ったは良いけれど、その方ご自身の心根が今ひとつで
あるとその巳さんが思われたのでしょう、この人間では駄目だと感じ、たまたま京都へ遊びに行っていた彼女とすれ違いざまに、お、この人間なら
と感じて乗り換えられた?ようでした。
その事を彼女に知らせるために夢に出てこられたということらしいです。
信じられないような話ではありますけれど、無いことはないと思います。
大神神社のご祭神は主祭神として大物主大神(おおものぬしのおおかみ)、また配神として大巳貴神(おおなみちのかみ)少彦名神(すくなひこ
なのかみ)とされており、その名前からもお分かりかと思いますが、この大巳貴神、その姿は巳、蛇であるともされていたようです。
そのような経緯からおそらく眷属として巳さんが遣わされているのではと拝察致した次第です。
その巳さんですので、付くとするならば心の純粋な人間であらねばならず、この先彼女自身が邪な想いを抱くと直ぐに彼女からも離れていくことに
なるのでしょう。
そういうところまでを含めて彼女に伝えさせて頂きました。
彼女ご自身、心したいと思いますと話しておられました。
世の中、何があるかわかりませんね。

そんな大神神社、以前参らせて頂いたことがございますが、またいずれかの折にお話させて頂こうと思います。





                                   




祝詞を奏上させて頂いたのはそのようなわけで午後からとさせて頂きました。
その際にふと頭に浮かんだのは、神様を感じる香りを作ってみてはどうかなというものでした。
先だってより良く出てこられる女神のガイア、あるいは大神として拝させて頂いております大国主大神等、あくまでも自分が感じる神としての
香りです。
閃いたというだけで全く具体的にどうしようというアイディアは御座いませんが、いつか形、香りに出来れば良いなと感じた次第です。
いつの話になるやらわかりませんけれど、皆様にお届けさせて頂ければ嬉しいなと思っております。




                                    




先日よりお伝え致しております五月十四日月曜日午前十時より出雲大社例大祭が斎行されます。
ご参列ご希望の方がおられましたら下記までご連絡下さいませ。
追って詳細をお伝えさせて頂きます。

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大神 ガイア 瀬織津比売

2018-04-22 20:52:28 | ちょこっとスピリチュアル
こんばんは。
全国的に気温が上昇、まるで夏を思わせるところもあったようですね。
多くの方が言われているようにこれで夏が来ると一体どうなるのやら、そんなことを思わせるお天気でした。
それでも空にはだんだんと雨が近いことを感じさせる巻雲が多く見られました。
気温も少しは下がるかもしれません。




                                   


                                 



                                   




日々多くの方のブログを拝読させて頂いておるのですが、今朝さとうみつろうさんのブログを読んでおりますと今日は「地球の日」という事を書か
れておりました。
誰がどんなところへいようとそれは必ずこの地球の中、ということ。
そう、アメリカだろうと南極だろうとアフリカの奥地であっても、どこでもそこは地球の中。
至極当然のことなのですが、そうなんですよね。
この自分たち全員地球の中に居ますという感覚、この感じを昨夜自分は空の星を眺めながら感じておりました。
誰がどう言っていようと何をしていようと、貴方も私もこの星の中で暮らしているという事実。

何が言いたいんだと言われそうですけれど、それだけです、ということです。
なにをどうしていても、自分達は今この地球という星の中で暮らしております。
仲良くしている誰かさんがいれば、大嫌いな誰かも居る、でもみんなおんなじ星の中。

そんな感覚を感じておった、という本当にそれだけの話です。
でもそう考えると、なんだかどこかで何がしかが繋がってるんじゃない、という風にも感じたりします。

「アースディ」 地球自身?から、ちょっとだけ感じ取ってほしいんだけど、と言われたのかもしれません。





                                   



はい、毎度のまずい絵;でございます。(苦笑)
わかりますかね;?
こんな感じの絵をご覧になられたことはありませんか?
実は中学生の頃、夏休みの宿題か何かでポスターを描いてきなさいみたいものがあり自分は地球から大きな芽が出ているのを描いた覚えがあります。
その地球を下から手で支えているという絵です。(あ~、超下手っぴな絵;)
題材はなんであったのか肝心のところを覚えていないのですけれど、何か世界の平和みたいなものだったかと思います。
それで、この絵を描きました。
地球が割れてるのは、どうかいな;なところですけれどね;。
それから何年かして同じような感じの絵を見た覚えがあります、それも別々の方が描いたと思しき絵でした。

これも何が言いたいかといえば、全く関係ない人の間であっても同じような感覚を覚えることがあるのではということです。
もっと言ってしまえば、シンクロニシティということになるのでしょうか。
何かを考える時、それこそ何処ぞのクラウドに自分の感覚がアクセスして同じような事柄をダウンロードしてくるのではないのかという事です。
これとて、で、何が言いたい?と問われれば、いえそれだけの話です、ということなんですけれどね;。


すみません、クドクドと分けわからぬ事を並び立ててしまいました;。
いつにない暑さで少しおかしくなったんだねぇ、と思っておいて下さいませ。(笑)





                                  
                                  






                                 







                                  




巻雲が出る時は、どこかしら不思議な雲も多くみられるように感じます。
上の三角に見える雲は肉眼ではわずかに彩雲となっておりました。
その下の2枚はどことなく龍の頭部を思わせるようでした。(自分だけですけれど;)





                                  






                                   





                                 







                                
                                   



続いてのは、これ最初は長い方の雲が、まるで龍みたいと思ったのですが。
夕方歩きながら見ているうちに、下の方の雲がどこかイルカのように思えて「あ、エーヴィン?!」と感じると、すかさず‘ばれた?’と頭へ
言葉が浮かびました;。
そう、エーヴィンが雲に似せて龍と戯れているようでした。
この時に

 ‘  君たち人間は実際にある物しか信じられない人もいるけれど

    僕たちはこうして君たちにわかるような形で

    そばにくることもあるんだよ

    これを感じ取ってほしいな  ’

とも言われたようでした。
ちなみに龍に見えた?雲は、もしかしてテラ?と尋ねると

「あれは仲間のにいさんの龍やね 雨降らす前に出てきはったんやろね」

とのことでした。(ほんまかいな;)

いずれにしても見えているのはただの雲ですが、それをどのように感じるかで受け取るものも変わってくるようにも思えます。
それを感じてみて頂きたいですね。




                                      




いつもと順序が逆になりましたが朝は祝詞奏上致し、その折に感じたことがありました。


 大祓い(の祝詞)の最中 瀬織津比売(せおりつひめ)の直前 佐久那太理(さくなだり)に落ち多岐つ(おちたぎつ)の後で急に詰まる
 言葉が急に出てこない
 普通スラスラ出てくるところが全くだめ
 神拝詞集(しんぱいししゅう)を取り出して やっと読み上げながら確認する


 大神にうかがう


 〝 瀬織津 これより(そなたに)関係してくる

   心せよ  〟


 どこかの場所(神社等)の比売?

 
 〝 小さいところ 場所をいうのではない

   祓いとしての 役割としての

   より大儀な部分の役割である

   追って 沙汰する   



   ガイアという(神)も 関係致す  〟


 下から突き上げるエネルギー いつもより強い



 “ 空に水(水蒸気)があって 雲がわき 雨を降らします

   地と水 風 火

   切っても 切れぬ関係なのです

   概念としてではなく 体感そのものとして
  
   この要素を感じて下さい

   
   この地球に遍くある水 

   無いと思われている砂漠ですら 水は存在します

   その大いなる役割を感じて下さい   ”


 毎晩被る一杯の水に感謝することが瀬織津比売の神に通じていたのか?




                                      



毎日祝詞を奏上致す中の一つに「大祓詞」(おおはらい)というものがあります。
ご存じの方もおられるかもしれませんけれど、神道の中で一番大事とされております祓いの言葉、その祝詞ということになります。
毎日奏上致すものですし、当然何も考えずとも口からついて出てくるものでもあります。
それがどうしたことか書いておりますように『佐久那太理(さくなだり)に落ち多岐つ(おちたぎつ』というフレーズの後で急に次の言葉が出て
来なくなりました。
続く言葉は『速川の瀬に坐す瀬織津比売と言ふ神(はやかわのせにますせおりつひめというかみ』というフレーズなのですが、本当にど忘れした
かのように詰まってしまったのでした。
何秒か止まってしまい、必死で次の言葉を思い出そうとしても出て来ず、結局は神拝詞を取り出しそこの部分を奏上させて頂きました。
そんな経緯があったものですから、これはどうしたことだろうと思い大神にうかがってみた訳です。
答えは言われたように、何処かの社に坐す一柱等の瀬織津比売を指しているのではなく、これより後、祓いとしての本来の役割としての神の部分を
指しているとのことでした。
言われております言葉はわかりますが、その意味するところ、本当の所は自分にはまだわかりません。
これも今後、それこそ後になってみて初めて、こういうことを言われていたのかとわかるのかも知れません。
追って沙汰する この言葉こそその事を指し示しておるのとかとも感じております。

その次には、昨日まで続けて出て来ておられた女神、ガイアが三度お言葉を授けて下さったようでした。
ここでいわれる地、水、風、火というのはどうやら四つの元素からなるとされる概念をいわれたものかもしれません。
そう考えると地ではなく土なのかもしれませんが、この度は地と頭へ入ってきました。
自分自身がこの四元素というものの知識が殆どありませんので、どのように解釈するのか、これもまたわからないのですが今回は頭でわかるよりも
身体、体感として理解してほしいと言われたようでした。
とは言え、体感と言われても、これまたどのように感じれば良いのかさっぱりわからないのですけれどね;。
ただ、水は日々お世話になっておるものですし、風は吹くのを感じております。
地、土はそれこそこの大地でしょうか。
火、これもまた日常に使わせて頂いておるものです。
このような体感しか今のところはわかりませんけれど、もっとハートで感じ取れるようになりなさいということでしょうか。

どうにも今日のお言葉はこれまで以上に理解し難いもののようですね。
その中で殊に水は、大神にも言われましたように瀬織津比売とも大いに関係するものでもあります。
どうやら今後、この「水」に関することが大事になってくるのかもしれません。
                                                              
  
                                                 
                                    




先日よりお伝え致しております五月十四日月曜日午前十時より出雲大社例大祭が斎行されます。
ご参列ご希望の方がおられましたら下記までご連絡下さいませ。
追って詳細をお伝えさせて頂きます。

  kimikimiblue13@gmail.com

ご参列の程、お待ち申し上げております。
       



                                     



本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。  
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ガイア再び  龍達の集い

2018-04-21 20:30:08 | ちょこっとスピリチュアル
こんばんは。
朝晩、それに室内ですと若干冷える感じがしておりますが、外へ出るとそれだけで暑いくらいの陽射しでした。
皆様お住まいの辺りは如何だったでしょうか。
朝は雲ひとつな空へ日が昇って来ておりました。




 
                                    






                                     





お昼過ぎ頃、倉敷におります息子から写真が送られてきました。
どうやら仕事の途中で休憩に立ち寄った所から写した風景らしいですね。
瀬戸大橋が望める、そんな駐車場のある公園からだそうです。
連休にはこの大橋も渋滞となるのでしょうか。
本土と四国が結ばれて今年で30年、少し前には記念のセレモニーが行われたと聞きます。
自分も会社員時代、職場の皆と共にこの橋を渡り途中で記念撮影した覚えがあります。
当時はまだ通行量も多くなく、そんな途中下車?も出来ておりましたが当然現在はそのようなことが出来ようはずもなく、撮るとすれば途中の
与島のSAからでしょうか。
結婚後には仕事でこの橋を幾度か通りましたが、やはりいつ見ても通っても大きく長い橋だよねぇ、と感じておりました。
この瀬戸大橋をはじめあと二箇所別ルート、しまなみ海道と明石大橋がありますがそのどれもが魅力的な場所です。
機会があれば、またいつか訪れてみたい、そんな風に感じます。





                                    






                                   







                                   






今朝も変わらず祝詞奏上させて頂きましたが、今日は自分でも不思議なくらいお腹から声が出ている気がしておりました。
いつもそのようにしておるつもりですが、なんというのか元気が湧いてくる感じで自分でもどことなく朗々とした声のように感じておりました。
毎日のことですので、日によってはどうにも気乗りがしない時もありますし(おっと;)先日のように体調が悪いと声を出していてもどこか
張りのない感じになっていたりします。
神様と自分だけの空間ですので誰に聞かせるものでもありませんが、やはり声が前に出る感じの時は自分でも奏上しておりましても気持ちの良い
ものです。
そんな今日は昨日と同じ?あの女神、ガイアが出てこられたようでした。


 “ 私はガイア

   この星を守りしもの 大地を

   その方に遣われしテラ

   これは男性性を現わすなり

   動き 風を起こし 水を流す

   動の役割

   私はこの地を司る 静の役割

   
   これより後 自然と共にあろうとする者

   己は一人と 物質と共にあろうとする者

   分かれてくる 

   どちらが良いとかではなく どちらもある

   どちらも良い

   どちらもその者である   ”

   



                                    






                                    
 
                                                


今日のこのガイアの女神の言葉、分かるようで少し分かり難いですよね;。
ガイアというのはどうも大地を意味するようですのでこのように言われることは理解できますが、自分に遣わされた龍、テラが龍そのものが持って
いると言われております働きを全て内包しておるかと言われると、さてどうなのだろうととも感じます。
けれど女神、神様がおっしゃることですのでそういう部分を含んでおるのかもしれません。
普段は自分に付き従ってくれておりますが、その実はやはり龍らしく?時には大地を潤す水を与える役目を担っておるのかもしれません。

また自然と共にあろうとする者、物質と共にあろうとする者、この部分はやはり難解かもしれませんね。
自分自身もこうですよと上手く説明しにくいのですが、世の中がだんだんと暮らし方自体が変化してくるのではと思います。 
今も既にそのように変化しているのでしょうし時代と共に生活の仕方は変わって当然でしょうけれど、それがこれまで以上に加速度を上げて変わっ
ていきつつあるのでは、と考えます。
自然の流れに逆らわずに生きていこうとする人達と、あくまでこの物質文明に浸りながらなお進化していきたいとする人達、その差がより一層大きく
開いていくのかな、と感じます。
けれどそのどちらでもなく双方の良いとこ取りをして暮らしているのが今の自分達かもしれない、とも思えます。
今後どのように変わっていくのか、果たしてこの女神ガイアが話してくれたように隔たりのある世界へと変化していくのか、自分にはわかりません。
しかしそのどちらであるにせよ、その人そのものには変わりはない、そのように言われているのかもしれません。

頭の中では、自分ではわかっておるつもりなのですけれど、どうにも上手に説明が出来かねます、申し訳ございません。
皆様ご自身がご自分の解釈をして頂ければ、と存じます。


そんな女神ガイアの後には大神の言葉と他の光景も感じておりました。

 

 〝 このまま 思うこと 進めて行け

   思えば 行動へ移せ   〟 


 その言葉をうかがいながら自分の背後にはテラ いつもよりこれもまた一段と逞しく大きくなっているよう
 窓の外には別の巨大ともいえる龍達が此方を見据えている
 応援しに来ているのか様子を覗きに来ているのか いずれにしてもかなり力のありそうな龍ばかり


                                   


                                    
 


例によって例のまずい絵;で御座います;。(苦笑)
分かりますでしょうか。
大神の言葉は、これはそのままですね。
思うことをしてそれを行動に移せ、当たり前のことです;。
その当たり前が出来ていないから、こうしてけしかけるようにして言葉を頂いたのでしょう。
実際心に思うことがあってもつい二の足を踏んでしまっている自分です。
思えば即行動、心掛けたいと思います;。

そんな言葉を伺いながら自分の背後には、いつものようにテラが神殿にある時は大抵そうのように普段以上に逞しい姿で控えております。
神殿の後ろの窓からは相当に大きな数多の龍達がひしめき合うようにして此方を覗き込んでおりました。
件の白龍や金龍もおったのかもしれませんが、それ以上の位というのかクラスの龍が来ておったように感じました。
これは自分に来てくれたというよりも、この場所、狭く小さいながらもこの所へ坐します大神のもとへ参り越したという感じがしておりました。
何かまた龍たちにしかわからない大きな動きが今後あるのかもしれませんね。
そんな風に感じた今日の龍達でした。

それにしても下手くそな絵ですみません;。
一応絵の心得があるのならば、もそっとましに描けば良いのですけれど;。(苦笑)
あまりそこの部分へ注力していないというのが一目瞭然、分かる絵でございます、おぅ;。




                                    
                                      



昨日いに引き続いて出てこられたのは女神のガイアでした。
何か伝えられたいことがあるのでしょうね。
自分達が実際に住んでいるこの世界でも、今大きな変化が起ころうとしております。
そのようなことも何か関連があるのかもしれません。
それが何であるのか、そこのところはまさしく神のみぞ知る、のかもしれませんね。



               
                                     
                                    




先日よりお伝え致しております五月十四日月曜日午前十時より出雲大社例大祭が斎行されます。
ご参列希望の方がおられましたら下記までご連絡下さい。
追って詳細をお伝えさせて頂きます。


   kimikimiblue13@gmail.com

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