人はパンだけで生きるにあらず、神の言葉により生きる

イエス・キリストの福音をぜひ知って頂きたい

鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるが

2012年01月22日 | お気に入りの言葉

  シスター鈴木秀子の愛と癒しの366日より
霊の成長のため、すべての体験は益です。
病気はすぐには癒されないことがあります。
まったく癒されないこともありますが、それはわたしたちの成長に必要だからです。
霊の成長を助けるために、すべての体験が益となります。
時には、私たちの目にはどう見ても後ろ向きとしか思えないような体験を与えられることもあります。
この世で経験するあらゆる病気や事故も視点を変えてみると、静かに自分をも見つめ、周囲との無関係を修復するよい機会とみることも可能なのです。
 
 ヘブライ人への手紙12:10-11
 肉の父はしばらくの間、自分の思うままに鍛えてくれましたが、
霊の父はわたしたちの益となるように、御自分の神聖にあずからせる目的でわたしたちを鍛えられるのです。
およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、
後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのです。