人はパンだけで生きるにあらず、神の言葉により生きる

イエス・キリストの福音をぜひ知って頂きたい

いつも、快い言葉で語ろう 人に話す言葉には気をつけよう

2012年01月16日 | お気に入りの言葉

シスター鈴木秀子の愛と癒しの366日より

「シクラメンの太郎と花子」
 東工大の先生から聞いた話です。
同じ種類のシクラメンを、あることを除いて、同じ条件のもとで育てる実験をしま
した。水をやるたびに、花子と名づけたほうには
「花子さん、素敵な花を咲かせてね」とやさしく声をかけました。
 太郎と名づけた方には「太郎、おまえなんかどうでもいいんだ」と突き放しまし
た。1ヶ月たった時、花子は驚くほどたくさんの赤い花をつけました。太郎のほう
は、というと、一輪の花さえ咲かせなかったそうです。

コロサイの信徒への手紙4:6

「いつも、塩で味付けされた快い言葉で語りなさい。そうすれば、一人一人にどう答えるべきかが分かるでしょう。」

 植物でさえ、これほど反応するらしい。人に話す言葉には気をつけよう。


読書の目的

2012年01月15日 | お気に入りの言葉

    続一日一生 内村鑑三著より

   余は間暇(ひま)さえあれば読書にふけっている。余はもちろん読書は特別の美徳であるとは信じない。読書は余にとりては一つの道楽である。しかり、唯一の道楽である。しかし、読書は道楽であるが、悪い道楽ではないと思う。これによって、多くの無益の書と少なからざる有害の書を読むの害はあるが、しかし時には有利有益の書に接して、心に無限の快楽を感ずることがある。世に快楽の種類は多いが、真理を発見した時にまさるの快楽はない。その時われらは宇宙をわがものになしたるように感ずる。おのれ陋屋(ろうおく)にありて一人の貧生であるにかかわらず、王子か貴公子になったように感ずる。しかしてこの快感がほしさに、毎日毎時、書籍をあさるのである。あたかも墨川(ぼくせん)に釣(つり)を垂るる者のごとく、獲物(えもの)のまれなるは覚悟しつつ、獲(え)た時のうれしさが忘れられずして、真理の漁猟に従事するのである。

  読書の目的は、色々あると思うが、趣味によっては良い道楽と悪い道楽になると思う。

私の楽しみは、著者との出会い、真理の発見が主なるものである。


対立と調和

2012年01月14日 | お気に入りの言葉

「いっしょうけんめい生きましょう」講談社・永井次代著より

 対立ばかりでは争いになり、調和のみでも進歩はない。
対立しつつ調和してこそ成長もあり発展もする。
昔の道歌に、

まるくとも一角あれや人心、
あまりまろきは転びやすきに

とある。
何事に対しても、長所短所をよく見分け、
暖かい気持ちをもって調和を保ってゆきたいと願っている。

「対立ばかりでは争いになり、調和のみでも進歩はない」
人間関係は、難しいもの。長所短所をよく見分け、
暖かい気持ちをもって接していきたい。


ただ一つの行為が人生をだいなしにするかもしれない

2012年01月13日 | お気に入りの言葉

 ヨハネの黙示録3:11
  
わたしは、すぐに来る。あなたの栄冠をだれにも奪われないように、持っているものを固く守りなさい。

 山頂めざして L・B・カウマン著より

 ある秋の日、私は、一羽のわしがライフル銃で撃たれて、瀕死の傷を受けているのを見た。
わしの目は、まだ光の輪のように輝いていた。
やがてわしは、ゆっくりと首をもたげて、もう一度、探るようななつかしそうなまなざしで、
大空をながめた。わしは、この星をちりばめた大空を、その強い翼で、幾度も幾度も翔ったのだった。
美しい空は、わしの心のふるさとだったのである。空はわしの領域であった。
わしは、その大空で、自らのすばらしい力を存分に用いた。
限りない高空において、わしは、稲妻と戯れ、風と競争したのであった。
そして今、故郷からはるかに離れたこの地上に横たわり、死のうとしている。
それは、ただ一度だけ、自らの身分を忘れて、低く飛びすぎたからなのである。

  ただ一つの行為が
人生をだいなしにするかもしれない。
 また、ただ一つの行為が
人生を建て直すかもしれない。

  たとえば運転ミス、これで命が一瞬にしてなくなることもある。又一時の誘惑に負けて罪を犯し、人生をだいなしにすることしもある。

 

 


弟の想い 母の想い

2012年01月12日 | 

  最近は、弟の遺品の整理に追われている。
弟の手帳に、「新聞の切り抜き」が挟んであったのを見つけた。
弟が大病から回復して高校に通い出した時の気持ちを母(50歳)が
「留年」という題で新聞に投書し採用されたものだった。
弟はこの「切り抜き」を、毎年、手帳から手帳へ移し替えて大事に保管していたようだ。
もう、この「切り抜き」は、だいぶ傷んで黄色くなっていた。

 「留年」

 三月に入り県下の高校で卒業式が行われています。
私の三男も今年この日を迎えるはずでしたが・・・・・。
一昨年の八月突如ギランバレー症候群にかかり、一年間の入院生活。
一口に一年というものの、循環器麻痺のため、人工呼吸器を四カ月間つけたまま、
全く手足も動かず、ベッドで体位を変えるのにも二、三人の手を借りねば出来なかった日々。
それは今思い出しても気が遠くなるようです。
 一年ぶりに足に装具をつけ、松葉づえをつきながら一歩々々自分自身で病室を歩いた時は、
目の前がパッと明るくなり、何か信じられぬものを見る心地でした。
 一年有余療養のかいあって、去年の二学期から復学。
運動の方はまだ出来ませんが、毎日がんばって通学しています。
すでに進路のきまった、かつての同級生のことを
まるで我がことの様にうれしそうに話している子供を見るにつけ、
一年間の闘病生活で得た数々の体験が、この子の人生に何かしら
大きな教訓を与えてくれたと喜ぶのは親バカのせいでしょうか。
「期末テストの点が良くないから、この調子だと一年でなく、二年留年になるかも」
と笑いながら今朝も元気で出かける子供のうしろ姿に、そっと声援を送る私です。

 ぎこちなき 足踏みしめて 行く道の 草むらにやわき フキのトウ萠ゆ

 


主に願うことがすべてかなうようならば、私たちが神を支配すること

2012年01月11日 | お気に入りの言葉

   それ風のように生きる-旅ゆくあなたへ バレンタイン・デ・スーザ著より
    主に願うことがすべてかなうようならば、私たちが神を支配することになります。
 願ったことと違う結果が出たとしても失望、落胆などしないことです。
 時がたてば、それがあなたにとっていちばんよいことだったことが分ります。
 よく配偶者について不足を言う人がいますが、
 年をとれば、自分にとっていちばんよい選択であったことが分るようなものです。
 それゆえ、神様の解決法と私たちのケチな考えとに違いのあることを知らなくてはなりません。
 ですから、願うときには心にゆとりが必要です。
 そして同時に、求めるばかりでなく、自分の努力も十分尽くさねばならないことは言うまでもありません。

   ヤコブの手紙4:3
   願い求めても、与えられないのは、自分の楽しみのために使おうと、間違った動機で願い求めるからです。
 
 大事なこと
「願うことがすべてかなうようならば、私たちが神を支配すること」
「年をとれば、自分にとっていちばんよい選択であったことが分かる」
「神様の解決法と私たちのケチな考えとに違いのあること」
「願うときには心にゆとりが必要なこと」
「自分の楽しみのために使おうと、間違った動機で願い求めること」

 


人生はため息のように消えうせます、瞬く間に時は過ぎ、わたしたちは飛び去ります

2012年01月10日 | 聖書

  詩編90:9-12

   わたしたちの生涯は御怒りに消え去り
人生はため息のように消えうせます。
人生の年月は七十年程のものです。健やかな人が八十年を数えても
得るところは労苦と災いにすぎません。瞬く間に時は過ぎ、わたしたちは飛び去ります。
御怒りの力を誰が知りえましょうか。あなたを畏れ敬うにつれて
あなたの憤りをも知ることでしょう。
生涯の日を正しく数えるように教えてください。知恵ある心を得ることができますように。

生涯の日を正しく数えるように教えてください」という祈りは、

人生は一瞬であることを、肝に命じることであると思う。

いつ逝っても良いように備えをしておきたい。


弟逝く 弟の骨を拾おうとは!

2012年01月09日 | 

 私より先に弟が逝くとは・・・・。 

 昨年4月頃から、腹部に痛みを感じ、胃薬等を飲み通院検査していました。
その後の検査で8月上旬に膵臓癌と分り本人にも告知されました
膵臓癌は分りにくい癌で分った時には、すでに手遅れという場合が多いようです。
弟もその例にもれず、すでに手術はできず、抗がん剤治療をしていました。
入退院を繰り返して、治療していましたが、ついに昨日逝ってしまいました。51歳でした。
 入退院を繰り返しながらも、最後(12月5日)まで仕事を続けました。
  8月上旬に、私に「膵臓癌」であると報告がありました。
その報告に来た時、いつもと変わらずニコニコしながら話していたのが印象に残ってます。
最後までニコニコし、一切弱音を吐かず、仕事も続けていました、弟ながら感心しています。

このあいだ整理していたら弟の小学校の通信簿が出てきて
それには、ほがらか(明朗快活)で、人をよく笑わせる。
好き嫌いがはっきりしている、運動がよくできる、とありました。
私の弟に対する思い出は、3人兄弟の末っ子で、特に父母に可愛がられていたこと。
「おにいちゃん」「おにいちゃん」と呼んでいたので可愛い弟、反面しっかり者。

 小さい時から運動がよくできて中学、高校とバスケット部で活躍していました。
しかし高校2年の時、大病(難病)にかかり、その後遺症で手足に麻痺が残りました。
それ以来、スポーツからは縁を切ったようです。
 高校を終え、その後下関の水産大学を卒業しました。
それから下関の水産関係の新聞社に数年勤め、30歳から今日までの21年間、鳥取短大で事務員として勤務してました。
 生涯独身でした。なぜ結婚しなかったのか、聞いたことがありません。
私も長男として嫁の世話をできなかったことに、後ろめたさを感じてました。
晩年はマイカー登山を趣味として、温泉につかりのんびりと過ごしていたようです。

2度の大病を経験しましたが、色々な恵みもあった一生だと思っています。

 前々から少しづつ、信仰について話していました。
亡くなる2日前にイエス様を「信んじてみないか」と言ったら「大きくうなずき」私も救われたような気がしました。

 弟の遺志により、葬儀等を省略して、家族のみで火葬埋葬しました。
従って弔問、弔電、香典、生け花、花輪など全ておことわりしました。

 


死んだらどうなるのだろうか、しかし場所は用意されている。

2012年01月08日 | 聖書

 ヨハネによる福音書14:1-3
 「あなたがたは、心を騒がせないがよい。
 神を信じ、またわたしを信じなさい。
 わたしの父の家には、すまいがたくさんある。
もしなかったならば、わたしがそう言っておいたであろう。
あなたがたのために、場所の用意をしに行くのだから。
 そして行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう。
わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである。」

 イエスが十字架にかかられる前に、弟子に語られた言葉である。 
私は死んだらどうなるのか?
いくら信仰があっても、残念ながら不安である。
 しかしイエスは「あなたがたは、心を騒がせないがよい。
 神を信じ、またわたしを信じなさい。・・・・・場所は用意しておく」と言われた。


生まれる時、死ぬ時・・・・・出来事にはすべて定められた時がある

2012年01月07日 | 聖書

  コヘレトの言葉3:1-8 
 何事にも時があり天の下の出来事にはすべて定められた時がある。
生まれる時、死ぬ時
植える時、植えたものを抜く時
殺す時、癒す時
破壊する時、建てる時
泣く時、笑う時
嘆く時、踊る時
石を放つ時、石を集める時
抱擁の時、抱擁を遠ざける時
求める時、失う時
保つ時、放つ時
裂く時、縫う時
黙する時、語る時
愛する時、憎む時
戦いの時、平和の時。

「天の下の出来事にはすべて定められた時がある。」というのは運命論ではないと思う。
生まれる時も死ぬ時などなど、究極のところ、いつかは分らぬもの。
しかし、すべては神の支配下にあるということではないか?
そう思えば、心やすらかになれる。


人は死んだ後に裁きを受けることが定まっている・・・あなたはこれを信じますか?

2012年01月06日 | 聖書

     ヘブライ人への手紙

 人間にはただ一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが定まっている

   コリントの信徒への手紙二5:10

なぜなら、わたしたちは皆、キリストの裁きの座の前に立ち、善であれ悪であれ、
めいめい体を住みかとしていたときに行ったことに応じて、報いを受けねばならないからです。


キリスト教は、一つは、死んだ後に「裁きを受けること」
       一つは、その裁きを、イエス・キリストを信じることで救われる
この二つを信じるか、信じないか? これが最大の問題であるように思う。

 


人の言うことをいちいち気にするな! 聞き流せ!

2012年01月05日 | 聖書

  コヘレトの言葉7:21-22

 人の言うことをいちいち気にするな。
そうすれば、僕があなたを呪っても
聞き流していられる。
あなた自身も何度となく他人を呪ったことを
あなたの心はよく知っているはずだ。

  私も、他人を呪い、こころない事を言ってきたと思う。
そう思えば、人の言うことをいちいち気にせず、聞き流していられる。


近くにいる人を愛さないのはうそつき

2012年01月04日 | お気に入りの言葉

 マザー・テレサ 日々のことばより
「神を愛しています」と言うだけでは、十分ではないのです。
 周りの人も愛さなければなりません。
 聖書の中で、聖ヨハネはこう言っています。
 「神を愛していると言いながら、
 あなたの周りにいる人たちを愛していないなら、
 あなたはうそつきだ。
 見たり触れたりすることのできる人、
 ましてや、いっしょに住んでいる周りの人を愛せないで、
 どうして見えない神を愛せると言うのか?」
 聖ヨハネは強い言葉で言っています。
 「あなたはうそつきだ」と。
 読むのがこわくなるような言葉のひとつ。
 けれども、それは実にほんとうのことなのです。

 ヨハネの手紙一4:20-21
 「神を愛している」と言いながら兄弟を憎む者がいれば、それは偽り者です。
目に見える兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することができません。
 神を愛する人は、兄弟をも愛すべきです。これが、神から受けた掟です。

  神や遠くの国の人を愛することはできるが、案外近くの目に見える人を愛するのは難しいもの。


われわれは、これまで神のみ手の中にあったし、これからも永遠にそうである

2012年01月02日 | お気に入りの言葉

  眠られぬ夜のために ヒルティ著より

 われわれは、これまで神のみ手の中にあったし、これからも永遠にそうである。
この考えを抱くかぎり、死とよばれる滞在地の変更は、その重大さと恐ろしさを失ってしまう。

 生も死も死後も、すべて神の支配の中にあると思えば安心である。