庭の雪がずいぶん溶けて、クリスマスローズが固い蕾を膨らませている事に昨日気がつきました。こちらはまだ早春。
卒業の季節ですね。
高校を卒業した頃の私は、若くて可能性が無限にあるはずの未来が、とても不安に思えて時々無性に怖ろしく思ったものでした。
時代はお笑い大全盛の頃。
だからなんとか周りに合わせて明るく笑って振る舞うのだけれど、それでもふつふつと湧いてくる不安はどうしようもなく消えないのです。
その頃、母が買って読んでいた雑誌「ミセス」に連載されていた五木寛之さんの「生きるヒントー自分の人生を愛するための12章」を読むのが好きでした。
『深く悲しむものこそ本当のよろこびに出会うものだと思います。暗さのどん底におりてゆく人間こそ、明るい希望と出会えるのではないか。親しい友達や家族と顔をあわせたときに、「なんと悲しいことかしら!」と、率直に言えるような、そんな感性こそ、今の私たちにとても大事なもののような気がしてならないのです。』
生きるヒントー自分の人生を愛するための12章ー「悲しむ」より。文化出版局
暗くていいと言ってもらえた気がして、読んでいてとても気持ちが楽になりました。
それからは、五木寛之さんの本を時々図書館で借りて読むようになりました。
結婚して子どもたちが生まれた頃、五木さんが近くの町に講演に来られました。
初冬の夕方に道東の小さな空港に降り立った五木さんは、荒涼とした風景に「暗愁」を感じた、と話し始めたのを覚えています。
今では死語になってしまった「暗愁」
どこからともなくやってくる暗く、もの悲しい思い。
落ち込むことも、悩むことも、心が屈することも萎えることも、人間が持っている当たり前のこと。
それを悪いと思うのではなく、時には肩を落とし、背中を丸めてしゃがみこむのが本来の人間の姿。
大きなため息を何度かつくうちに、ふっと少し気持ちが落ち着いたら、また立って歩き始めればいい。
今は心が萎えている状態でも、じっと静かに成長する時間だと考えた方がいいのではないか。
そんなお話をされていたと思います。
高校を卒業した頃の私が感じていた不安は、「暗愁」だったのかもしれません。
気持ちが沈んで辛いときに、心を支えてくれた五木さんの文章。
また少しずつ読み返してみよう。