テコンドーを中心とした筋トレ、アンチエイジング

年齢に関係なく、筋肉、脳は鍛えるほどその重量、能力は増加します
テコンドーはインナーマッスルもバランスよく鍛えられます

旭堂南青さんの金蘭会阪急支部総会での講談

2017年10月11日 13時46分15秒 | 大手前高校昭和50年卒

大手前高校の同窓会組織、金蘭会の阪急支部総会は、毎年一回懇親会形式で行われ、アトラクションのコーナーがあります。今年は講談でした。講談師の旭堂南青さんをお呼びして、その熱演にすごく感動しました。赤穂義士外伝 誉の刀鍛冶という人情ものですが、思わず涙してしまいました。いろんな登場人物が生き生きと描写され、ぐーっとその世界に引きずり込まれます。それもそのはず、来年には、真打になられるとのことです。おめでとうございます。この方は、高校同級生の東住吉高校時代の教え子で、終わった後に、楽屋にお邪魔して名刺交換させて頂きました。これからも応援して、見に行きたいと思います。


大阪府立大手前高校発祥の地、中之島校舎跡訪問

2017年03月02日 12時23分06秒 | 大手前高校昭和50年卒

大手前高校は、1886年9月に大阪府女学校として独立した。創立当初の校地は師範学校と同じ北区常安町(現在の大阪市北区中之島4丁目、大阪大学中之島センター付近)とあります。

放射線取扱い主任者講習会が大阪大学中之島センターであり、受けてきました。
うん?中之島の大阪大学中之島センターといえば、確か母校大手前高校の発祥地だったはずと思い出して、講習会終わってから周囲を散策していきました。

元々あった大阪大学医学部の中之島の地には、現在ポツンと大阪大学中之島センターだけが立っており、周りは駐車場と整地された原野だけが広がっていました。
講習会の窓の外には、堂島川を挟んで、ABCホール、堂島リバーフォーラムがそびえ立っていました。ここは、大手前高校堂島校舎のあった所になります。
帰りには、ダイビル本館横に併設されている中之島四季の丘からの写真を撮ってきました。
関電ビルディングも立派ですね。
そのまま堂島川に沿って歩くと、中之島ダイビル、中之島三井ビルディング、住友中之島ビル、朝日新聞本社ビルと新しいビル群があり、素敵なフレンチ、イタリアンがあり、スターバックスもありました。

中之島四季の丘からは、整地された向こうには、大阪市立科学館、国立国際美術館が見えました。

お弁当は、中之島センター内の食堂で、適塾のお弁当を再現した、適塾御膳です。

是非、大阪府立大手前高校発祥地の碑を建てて欲しいものだと思ってしまいました。

 


2600年の歴史を持つ生國魂神社

2017年01月22日 10時02分31秒 | 大手前高校昭和50年卒

生國魂神社の発祥の地を訪れました。生國魂神社大阪城元お旅所の所です。

大手前高校の同窓会組織、金蘭会の新年互礼会の帰り、訪ねてみました。

 中々、グーグル検索でも、生國魂神社大阪城のお旅所が、はっきりと分からなくて、記事とかの文面を頼りにたどり着けました。

丁度、南外堀の西端のところというか、NHKのある上町筋の交差点の所にあります。この辺りから、松屋町筋の本町駅お旅所にかけての範囲で生國魂神社はあったようです。
境内に生えていた木を元に、難波宮が造設されたと、日本書紀にも記載されていたので、沢山の木々が生い茂っていたことでしょう。
歴史は古く、大阪で1番古い神社で、神武天皇が東征の折、淡路島から上町半島の先端の地の石山崎に降りたったときに、生島、足島大神をお祀りして建てられたのが、生國魂神社だそうです。皇紀からすると2600年の歴史があることになります。実際は、もう少し短いかもしれないということですが、それでも、西暦0年より古そうです。

大手前高校時代には、体育の授業、部活で、大阪城内堀コースと外堀コースを走りましたが、外堀コースの途中にある、こんな由緒ある古い神社のあったことは露ほども知らず過ごしていました。



 


岸和田浪切ホールの松竹大歌舞伎

2016年07月19日 23時53分50秒 | 大手前高校昭和50年卒

浪切ホールでの7月16日の松竹大歌舞伎公演に行ってきました。

南海岸和田駅から歩いて10分くらいのところに、立派な浪切ホールがあり、当日は丁度だんじりのお祭りと重なっていました。
大ホールは、豪華な桟敷席の完備された、三階席まであるものでした。メインの出し物は、歌舞伎十八番の一つの鳴神でした。僕は歌舞伎を生で見るのは初めてで、最初の、歌舞伎の見方は、大変参考になりました。今回のお目当の、大手前高校のクラスメートの息子さんの尾上緑さんの素敵な女形は、歌舞伎の見方の終盤に登場です。岸和田出身の尾上緑さんですと、紹介されると割れんばかりの拍手です。目鼻立のスキッとした、スッとした立ち姿で、女形の所作も素敵でした。鳴神の後の休憩時間で、高校の同級生3人で、尾上緑さんの楽屋に訪問して、ご挨拶と激励と記念写真撮影をさせてもらいました。感激、お母様とは、テニス会でもご一緒させてもらってます、お顔がお母様によく似てらっしゃいますねなどと、簡単にお話しできました。
これからもどんどん応援していきたいと思います。
舞台全体がヒノキで踏むと大きな音が出るようになってるとか、ツケという上座で四角の板を拍子木でタイミングを計って音を出すなど、素晴らしい音響効果があることなどにも感嘆しました。
見栄を切るという言葉も歌舞伎からの言葉ですが、ちいさな見栄をから大見栄までいろいろある話、だんまりは、暗闇での格闘を表す言葉であるなど、なるほどという説明が沢山聞けました。見栄を切るのは、仮面ライダーとかでも出てくる決まりポーズですが、日本独特のものらしいですね。
 

梅田高等女学校、金蘭会高等女学校リアル姉妹校物語

2016年06月15日 12時35分39秒 | 大手前高校昭和50年卒
梅田高等女学校、金蘭会高等女学校リアル姉妹校物語
 

大阪府立梅田高等女学校(大阪府立大手前高等学校)、金蘭会高等女学校(金蘭会中等学校、高等学校)は1910年から1922年までの12年間、細い道路を隔てて隣あってて、遠足や運動会を合同でするリアル姉妹校でした。大手前高等学校は、堂島高等女学校、梅田高等女学校をへて大手前高等女学校になり、戦後大阪府立大手前高等学校に名前を変えていきました。

前身の堂島高等女学校の時設立された同窓会組織、金蘭会が、当時の女子教育の高まりの受け皿となる高等女学校の少なさから、私立の高等女学校を設立しようと、作ったのが金蘭会高等女学校です。すごいです、同窓会組織が高等女学校を作ってしまうなんて。先輩の方々は、子供をおんぶしながら寄付金集めに奔走されたと、恩師森延哉先生からお聞きしてます。うーん、感動ものです。
先輩のお姉さん達が作られた金蘭会高等女学校と、梅田高等女学校の関係は、姉妹というより、正確には妹と姪の関係という事になるかもしれません。
 
金蘭の意味は以下のコピペで。

“金蘭”の名前は明治24年に発足した堂島高等女学校(現在の府立大手前高等学校)の同窓会が明治28年から「金蘭会」と呼ばれたことに由来します。

 二人同心其利断
 同心之言其臭如
 中国の古典『易経繋辞伝』より

「二人心同じうすればその利(と)きこと金を断つ。同心の言(ことば)はその臭(かおり)蘭の如し」(同じ志を持ったもの同士が協力すれば、何事も成し遂げることができる。また同じ心を持っているもの同士の言葉は、蘭の花のようにかぐわしい雰囲気を醸し出す)≫

また、弘法大師が伝教大師に宛てて書かれた手紙である、国宝の風信帖にも、東嶺金蘭法主と、伝教大師最澄に比叡の峰におられる金蘭の友のお坊さま、という感じで親しみを込めて呼びかけています。

金蘭会の金蘭って言葉、本当素敵ですねー。

http://ohtemaes50.exblog.jp/25199932/

 本文に戻ります。
 
校地面積・設備において、府立校と同窓会経営の私立校とでは大変な開きがあったそうです。校地面積で10分の1、校舎の広さも4分の1以下です。創設から人力を注いできた校長先生は、同じ年令の少女達のこのような生活条件の大差を心苦しく思い、できるかぎり合同で行いたいということを申し入れしていたようです。
本当金蘭会高等女学校のことを、可愛い子供のように思っていたんですねー。1922年に金蘭会高等女学校は、独立しますが、その後もしばらく、金蘭会からの寄付金が続きます。
独立に際しての唯一の約束が、学校名に金蘭会という名前を残すことだったそうで、現在も引き継がれています。

最後に、大阪北ヤードにあった大阪スカイプラザテニスクラブって、テニス通の人は覚えてらっしゃいますか?
そこが丁度、梅田高等女学校のあった敷地の上の施設のようです。奇しくも2回ほどそこでテニスをしたことがあります。3階建てのビルの屋上に作られたオムニコートのテニスコートでした。スカイビルを含めて梅田のビル群の上の部分だけが見えて、都会の浮島のテニスコートのような異次元の感じで、素敵な経験をしてます。
でも、まさか、大手前高校の前身の梅田高等女学校の校庭の上でのテニスプレーをしていたなんて鳥肌ものです。
ちなみにいつも通勤は京都駅から特急はるかに乗っていますが、何と毎日梅田高等女学校、金蘭会高等女学校のすぐそばを気づかずに通っていたことにもびっくりでした。
さらに、もと梅田墓地のあったところは、毎日その上をはるかが通過していることになります。
地図では、阪神高速の梅田出入口、梅田ランプの道路北側に金蘭会高等女学校があり、そのすぐ北にあったスカイプラザテニスクラブのあった所が梅田高等女学校になります。
最後に、金蘭会高等女学校設立には、大手前高校の先輩であられる、堂島高等女学校の関係者からの寄付のみならず、当時の大阪市民、大阪府民の皆様の寄付による所が大きいと思います。
その後の昭和大阪城、吹田ガンバ大阪スタジアムなど日本でも類を見ない寄付による建築は、大阪の良き伝統、日本においても誇るべき伝統ではないでしょうか。
 

第197回金蘭会セミナー ロボット工学の権威 金岡克弥先生の講演

2016年04月26日 13時13分51秒 | 大手前高校昭和50年卒

第97回金蘭会セミナーで、立命館大学客員教授 の金岡克弥さんのロボットに関する講演がありました。「今、日本で、異端のロボット工学者が成すべきこと」

 というタイトルです。株式会社 人機一体 の代表取締役もされています。京都大学工学部化学制御科に入られて、最終的にロボット工学に転向された話し、ラグビー部出身で、少林寺拳法四段の腕前で、立ち姿が凛として、隙のない気迫を感じました。お話も、独特のカリスマ性を持った、間合いを図った一撃必殺の面白いものでした。
テレビ出演も数多くされていて、ロボットの操作の実演のビデオも見せて頂きました。
今回は、いつもの金蘭会館2階ではなく、大手前高校7階の視聴覚教室という、大学の階段教室のような広いところで講演をしていただいて、現役の大手前高校生、金蘭会役員の方々、いつもの金蘭会セミナー参加の方々が集い熱心に関心を持って聴きいっていました。
日本の人間型ロボット路線は、世界的に見ても評価されておらず、アメニィティ中心のロボットはおもちゃでしかないと。
原発事故、地震の建物崩落現場で実用的に仕事が出来るロボットが出来ていないのは残念であると、本当、日頃僕らがもどかしく感じてることの解決策を、これからの道を照らしてくれたような感じでした。
医学分野では、ダ ビンチという、医学用ロボットが活躍していますが、金岡先生は、逆に大きなもの、高さ4メールの人搭載可能のガンダム型のロボットを作ろうとされています。資金も集まっており、後は作るだけだそうです。完成が待ち遠しいですね。
建物の崩落現場でも、かなりの活躍が期待出来そうです。

補足、この分野は「マンマシンシナジーエフェクタ(MMSE、人間機械相乗効果器)」という技術で、一言でいうと人間のパワーを増幅する機械という事です。



楠木正行の小楠公義戦之跡碑と日本の赤十字加盟

2016年04月25日 12時24分49秒 | 大手前高校昭和50年卒

小楠公義戦之跡碑に、京阪天満橋駅から大川沿いの堤防の上で遭遇しました。

楠木正行は、真に忠孝、友愛、仁義の人、日本精神の化身であると言われたそうです。忠孝両全、情あつく、知勇に優れたとも賞賛されてます。小楠公とは、楠木正成の嫡男のことです。

医師になり、京都第二赤十字病院にもいた事があるものの、赤十字と楠木正行の関係は知らなかったので、その素敵な人物像を知るにつれ、すごーく感動しました。

日本が1919年、国際赤十字に加盟するときに、以下の住吉の戦いの渡辺橋の話しは、加盟各国の委員に感銘を与え、加盟に大きな手助けになったと言われています。


1336年湊川の戦いで、父楠木正成の戦死より11年後、挙兵した楠木正行は、得意のゲリラ戦法を駆使して、紀州隅田城を攻略し、続き河内八尾城を攻略。 1347年8月、北朝は、細川顕氏を大将に兵3千を正行討伐に派遣し、藤井寺で合戦となりますが、正行は、一直線に本陣を奇襲する戦法で、兵700で、細川顕氏を撹乱し、完勝しました。

次に北朝の足利尊氏は同年11月、山名時氏と細川顕氏を総大将に、9千余騎に増やして住吉浦に時氏を、天王寺に顕氏を布陣させ、住吉の合戦になります。対する楠木正行軍は2000人。

天王寺を巻き込んだ戦を避けた正行は、山名時氏に照準を定め、同年11月26日の未明、500余騎で瓜生野から住吉浦の時氏本陣に奇襲をかけました。時氏軍は安倍野にも陣を分けており、不意を突かれて大混乱、しばらく1時間ほど膠着状態でしたが、正行軍は、和田賢秀らの加勢により山名時氏は重傷を負い、さらに弟の山名兼義は、殺されてしまいます。そのため、山名時氏軍は、総崩れとなり、我先にと、北へ北へと敗走しました。正行軍は徹底的にこれを追撃し、大川の渡辺橋まで追い詰めました。大勢の軍勢が、1つの渡辺橋に集まったため多くの兵が橋から極寒の大川に次々と落ちて行きました。その頃の大川は、大和川も少し上流で合流して今より川幅の広いものでした。

大川を超えて北に退却するには、渡辺橋しかありませんでした。さらにその当時は、上町台地の周りはぬかるんだ湿地帯であり、とても兵を容易に動かせない状態でした。上町台地大地北端では、まさに袋のネズミ状態になってしまう訳です。

京阪電車天満橋駅北側の大川堤防沿いの見晴らし良いところに、小楠公義戦之跡碑があり、母校大手前高校の町歩き会のときに紹介していただき始めて知りました。碑文には、

「正平2年11月26日、楠木正行は渡辺橋で山名時氏、細川顕氏軍と合戦し快勝。橋から大川に落ちた敵兵五百数十人を救出、寒天に凍りつくのを温め、衣食と薬を与えた。恩に感謝した敵兵は帰順し、翌年正月5日、正行が四条畷で戦死するとき全員共に討死する。正行は真に忠孝、友愛、仁義の人だ。まさに日本精神の化身である。明治の初めわが国が赤十字に加盟するおり欧米人はこの話を聞いて感動し、容易に加盟が認められた」。

 との内容が、刻まれています。この碑は昭和15年、皇紀2600年事業の一環として大阪市東区教育会が、建てたものだそうです。綺麗にメンテナンスされていて古さを感じなかったです。

その翌年1月の四條畷の戦いでは、幕府軍六万に対して楠木軍三千と圧倒的不利の中で戦うのですが、6時間の大激戦の末に自害して戦いは終わります。この戦いには、先の渡辺橋から川に落ちて助けてもらった敵方の将兵が恩義を感じ数多く楠木正行の家来となり、最後まで戦い抜いたそうです。

この時楠木正行は、23歳、なんと慈悲深い、忠孝、正義の人なんだろうとすごく感銘を受けました。

のちに楠木正行は、京都宝筐院に葬られるのですが、室町幕府二代将軍足利義詮が亡くなる時、尊敬する楠木正行の横に埋めて欲しいと言われたそうです。敵将からも尊敬され、愛されていたんですね。本当素晴らしい。

日本の歴史で、聖徳太子、空海、上杉謙信の尊敬する人達に加えさせてもらいます。

 



走ってまえ 大手前 で、大阪城リレーマラソン2016に参加しました

2016年03月21日 22時04分03秒 | 大手前高校昭和50年卒

3月20日、大阪城リレーマラソン2016が開催され、大手前高校57年卒を主体としたチーム、走ってまえ大手前に加えて頂き、大手前高校昭和50年卒の僕は大学以来の2キロを、えーい走ってまえ🌸と何とか心臓を止めずに無事に走ってきました。10分そこそこで走れたようで、大きな迷惑を、かけずに済んだようです。よかったー。

チームでタスキをつないで完走を目指す「JAバンク大阪presents大阪城リレーマラソン2016」(主催=産経新聞社・産経新聞厚生文化事業団、特別協賛=JAバンク大阪)で、大阪市中央区の大阪城公園で開催され、約840チーム7千人が天守閣を望むコースを駆け抜けたそうです。森脇健児も今回参加されていました。
大手前高校では、冬の体育の授業で大阪城の内堀周囲を中心に走ります。マラソンは嫌いな生徒が多く、大阪城があるからマラソンせなあかんのやと、逆恨みする子もあったとか。今や、このマラソンブーム、昔はマラソン嫌いやったけど今は大好きという人が集まってきて、このグループが出来上がってるそうです。走ってまえ大手前のメンバーには、フルマラソンを年に3回参加する人、トライアスロンをしてる人もあり、かなりレベルの高い50歳そこそこの人たちです。メンバーは2チームに分けて、1人2キロから8キロをリレーして繋ぎました。タスキにはICチップが込められてタイム、安否確認に使われているようです。元陸上部の方が監督で、テニス部、水泳部、卓球部などの元アスリートの人たちばかりでした。優しい皆さんのアドバイス、声かけに助けられて、心強く楽しく走れました。ありがとうございます。途中給水ポイントがあり、人生初体験ということで、一瞬立ち止まってコップ半分ほど飲み干して、自己満足。最初の800メートルくらいまでは、大野先輩中々いい走りしていかはったよーと、言ってもらえるくらい、何人か抜いて行ったのですが、1キロ過ぎたあたりから、ペースダウン。
凄くいい経験させていただきました。その後の、京橋ユートピア白玉という銭湯、京橋の居酒屋での懇親会もとても楽しく多くの楽しいお話を出来、素敵な57年卒との方々との交流が出来ました。
最後に今回、強く感じたのは、ランニング、マラソンはすごく健康に良さそうということでした。
 
最後に、参考ブログを載せておきます。
 
http://www.fitnessjunkie.jp/archives/4040


http://eonet.jp/health/special/special63_1.html
 

天満橋カンファレンス 大手前高校出身医師の親睦カンファレンス

2016年03月01日 21時28分55秒 | 大手前高校昭和50年卒

先日2月27日土曜日に、天満橋カンファレンスが行われました。大手前高校ゆかりの天満橋のホテル京阪天満橋が会場です。大阪市立大学整形外科教授 中村博亮教授の脊椎疾患の診断とピットホールの講演でした。とてもわかりやすく、腰椎疾患の診断、治療をお教えいただきました。放射線科の僕にとっては、明日から臨床に役立つ診断レポートが書けそうな感じです。間欠跛行で1番多いのは腰部脊柱管狭窄症で、2番目がASOだということもためになりますね。中村先生は大手前昭和52年卒です。椎間板ヘルニアで直腸膀胱障害のではじめた患者さんは、緊急手術必要やけど、その他の腰椎椎間板ヘルニア、脊柱管狭窄症はゆっくり待てるとのこと。大阪は結核の脊椎カリエスが多いことも。実際、あいりん地区はアフリカのジンバブエと同じくらいの結核の罹患率の高さと聞いたことがあります。

内視鏡を使ってヘルニアの手術を、小さい傷口で機能温存の手術を上手にされてます。身内のヘルニアに苦しんでいる人をどんどん紹介しようと思います。
このカンファレンスは、山形大学医学部卒、大阪市立大学整形外科入局、現在は天野クリニック院長 天野祐一君の発起で、大阪在住主体の大手前高校出身のドクターの親睦会の立ち上げも兼ねてます。昭和50年卒のメンバーでは、大阪市立大学肝胆膵外科教授の久保正二教授、酒谷皮膚科クリニック院長の酒谷省子さん、鈴木内科クリニック院長の鈴木緑郎君、松下記念病院副院長の小山田裕一君、山田クリニック院長の山田敬行君、おかもと眼科クリニック院長の岡本直之君、いのうえ診療所 所長の井上晴二君、僕 大阪鉄道病院放射線科部長の大野浩司です。
信州大学医学部卒業された山田君によると、昭和50年卒の全国の高校では、日本で2番目に多く医学部、歯学部に進んだそうで、約100人だそうです。3年3組だけでも25名進んだそうです。凄いですね。
久保君は、2年9組の同級生、辻さん(酒谷さん)は1年5組の同級生。久保君は肝胆膵領域の日本でも有数の外科手術のスペシャリスト、もしもの時は頼っていきましょう。酒谷さんの皮膚科クリニックは、桜宮の大阪市立総合医療センターの近くにあります。優しくきちんと診てくれると評判です、アトピー、花粉症とか治してもらいにいきましょう。

195回 金蘭会セミナー 大阪がん循環器予防センター所長 田中幸子先生

2016年02月19日 23時11分33秒 | 大手前高校昭和50年卒

第195回金蘭会セミナー


2月19日金曜日午後6時から
講師は、長年大阪府立成人病センター内科で勤務され、今は大阪がん循環器予防センター所長をされている田中幸子先生です。成人病センターの北隣りにあるそうです。超音波でがんを視る というタイトルでした。超音波の仕組みから、動脈静脈の流れが見える新しいドップラーエコー、超音波造影剤の話まで分かりやすく詳しく説明されました。肝癌、肝転移、肝血管腫、膵癌などの臨床の画像を呈示しながら、最後は、癌の検診のはなしです。膵癌は今や日本人の4番目の死因です。超音波では、膵嚢胞と主膵管拡張を中心にひっかける検診をするそうです。もしくは綺麗にMRCPが撮れる施設ならそれに重きをおくのもいいとおっしゃってしました。
昭和40年卒で、僕らより丁度10年先輩です。イギリスでCTが発明される前に医師になった田中先生とCT導入直後に医者になった僕。僕の時代は、CTの画像の花盛りになりかけで、超音波検査も凄く大事にされ、血管造影での精密検査もよく行われていた時代です。講演聞いていて、本当懐かしい。そんな思いでした。
膵臓というのは、超音波で見るのは胃や腸のガスにより、すごく見るのが難しいこともあるんですが、紅茶を飲んでからエコー検査すると胃の紅茶により、その後ろ深いところの膵臓も見えるということで工夫されているようでした。凄いですね。
僕の去年の4月の金蘭会セミナーでの内容と大腸癌、胃癌、肺癌、肝癌、膵癌に対する検診は、似かよった内容で、僕は、CT、MRIという切り口で、田中先生は超音波という切り口での立場を強調された感じです。田中先生ご自身も、今日は、ごめんね私の大好きな超音波のことを贔屓して話しましたと、素敵な笑顔で屈託のない感じで語って頂きました。すごくお若くて茶目っ気のある素敵な先生でした。
 
ちなみに、参考に、肺癌は、タバコ吸ってるリスクの高い人はCTで検診を。
胃癌の検診はピロリ菌要請の人は毎年胃カメラで検診を。大腸癌は毎年検便で陽性なら大腸ファイバー精査を。という僕も同感の意見を述べられていました。
 
 

金蘭会副会長 岩田和歌子さんに聴く大手前高等女学校時代

2015年12月19日 12時55分55秒 | 大手前高校昭和50年卒

金蘭会の副会長岩田和歌子さんは、昭和16年大手前高等女学校卒業で現在92歳で、金蘭会セミナー出席の最高齢の方でいらっしゃいます。このたび、突撃インタビューアーとして、2015年最後の金蘭会セミナーの後のお寿司の食事が終わった頃を見計らって、お話を聞いてきました。同い年のもうひと方もいらして、2人して、例の1938年朝日新聞の、銃を持ち行進する大手前高等女学校生の、写真を眺めながら当時を懐かしみながらお話をして頂だきました。写真は昭和13年当時のもので、岩田先輩は昭和16年卒業だそうです。その頃の大手前高等女学校は今の中学1年から高校2年までにあたる5学年生だったそうです。写真の方は少し先輩にあたるそうでどなたか名前は知らないけど、こんな制服だったよーとこれは夏服やねと。実際に実弾を撃つ訓練されたそうで、怖く無かったでしたか?とお聞きしたところ、大丈夫やよと返事されてました。皆さん逞しい軍国少女であられたようです。その横に座ってられたさらに3歳後輩に当たる先輩が、私もしたかったけど出来へんかってんと、残念がってられました。以外と逞しく、自発的にお国を守ろうという意識が皆にみなぎっていたようでした。無理強いされて可哀想と思ってたところ、そうなんだーと以外な拍子抜けした感じわ受け、92歳の大先輩と恐る恐るでしたが、思い切って飛び込んで話しを聞いて、楽しく昔話を聞かせてもらってすごく嬉しい気持ちになりました。頭がかくしゃくとされて、話し方、内容ともに若い女の方と話しをしてるのと変われへんなーという感覚で感動しました。

本日の金蘭会セミナーは、平成2年卒 広島大学生物生産学准教授の小路淳先生の瀬戸内海の豊かな自然で子供達の理科離れに挑む の内容で、豊かな海は豊かな山からと、餌をやらない牡蠣の養殖の様な産業をもっと振興しましょうといったテーマをわかりやすくわユーモアを交えて語って頂きました。森の広葉樹が鉄分を取り込んでそれが海に流れ込むことが大事みたいです。
今回、50年卒は、浜田知宏君、僕 大野浩司、伯耆さん、殿貝よしえさん、田中マヤさん、金蘭会理事の中島文さんの5人でした。パンパカパーン🌸ここで重大ニュースです。来年の5月に浜田君のバッグパッカーのお話しの金蘭会セミナーでの講演が決まったことをお知らせします。今からすごく楽しみです。二次会も盛大になりそうですねー。
写真は、岩田さんの今年7月金蘭会セミナーでの皆勤賞受賞された時のお写真です。僕も皆勤賞貰いました。本当一度来るとクセになるのが金蘭会セミナーです。金蘭会理事の方々ともお友達になれました。暖かい会ですよー。

心斎橋コンテローゼでのジャズライブ 2015年末

2015年12月17日 16時20分22秒 | 大手前高校昭和50年卒

心斎橋コンテローゼで、大手前高校同級生の東洋子さんのジャズライブを聴きに行きました。心斎橋も御堂筋は白いイルミネーションが綺麗でした。今回は、西岡君、刀祢圭子さん、殿貝よしえさん、僕 大野浩司の4人の金蘭同級生で聴きに行きました。ほんまこの4人は、西岡君、殿貝さんは幼なじみ以外は、高校の時は接点はなかったんやさかい。安田さん、刀祢さんは大学も同じ薬科大学に行かれてすごく親しいですが。ジャズのメロディはストレス解消にいいと言われてます。頭の中を駆け巡る旋律がなんとも心地よく刺激して、心の凝りを解きほぐしてくれるようです。

西岡君、船場大阪を語る会にも是非参加しますよって、宜しゅう。
大手前高校同級生の色んな人達と楽しく、それこそ金蘭の交流をこの一年で深められたのは人生で大きな財産になるような気がします。

第4回錦織圭に刺激されたん会

2015年11月24日 23時55分27秒 | 大手前高校昭和50年卒
第4回錦織圭に刺激されたん会を柴島テニスコートで行いました。大手前高校50年卒が中心となって健康増進、健康寿命の延長を目的に2ヶ月に一回しています。
今回は、歯科医院を開業されている真喜志彰彦君、婦人科の藤本泰子さん、大場さんの元勤務先の高校の先生のお知り合いであられる岸隆次、岸久仁子ご夫妻、大手前高校同級生の飯塚博子さんも初参加していただいてますます盛り上がりました。大場さんの甥っ子の大阪市大医学部3年生の新谷穰君、大手前高校の三年先輩の杉岡茂さん、大場さん主人の縣喜樹さん、大場厚子さん、宮本孝子さん、僕 大野浩司、安田洋子さん、東さんの音楽友達の鋤園 愛さんのメンバーでした。本当楽しいひとときでした。みんな大満足🌸
真喜志君のサーブ、ボレー、ジャンピングスマッシュなどのフォームがすごーく綺麗で、見てるだけでこちらが上手になるような感じでした。
大場さんの甥っ子の新谷君は170キロサーブを披露していただきました。はえー。
高校でテニス部顧問として実際に教えてられる岸さんは、女子部の稽古をつけていただき、さらに僕らとのダブルスでも高速ボレーを披露していただきました。普通にボールを返してるだけだと、強烈なボレーとなって確実にポイントを取られます。
僕は、少し前にマスター出来た前に押し出す感じのスライスサーブが調子良く、強力な布陣の男子部でもたびたびサービスエースをとることが出来ました。
左利きの僕のスピンサーブは、右利きの人にとって食い込んでくる感じで打ちにくいんだろうと思います。
後半は、男女ダブルス、もちろん勝負にもこだわりながら、男子は強く打たない、前にポーチに出ない、打ちやすいところに適度の強さで打つのを暗黙のルールにして長く続くラリーを楽しみました。これがまた、白熱して面白かったです。男子は走る走る🌸、いい運動にもなりました。
終わり間際に大手前高校3年5組、京都府立医大と7年間クラスメイトの藤本泰子さんとのラリーも出来たのは感激でした。
アフターは、新大阪駅の串カツの店に移して談笑です。こちらには西岡君が参加していただきました。真喜志君の大正区は、言葉が河内弁ぽく、枚方方面も河内弁やでーと。安田さん、西岡君の学区は船場言葉で、自分のことをうちと言ってたのに、なんとかやんけー、という言葉を高校に行ってから聞くようになりましたと、語られていました。香里園は、大きな新興住宅地で、関東っぽい標準語やったよという情報もありました。
野江から守口はどんな言葉やったんやろうね。
僕の門真市は、中にはそうやんけーと言ってた人もいたけどそんなにきつくなかったような気がします。
最後に、真喜志君の語ってた上達へのアドバイス。週2.3回テニスするようになると急速に上達するよとの名言。まさしく、継続は力なりだと思います。僕も最大週2でテニスしたり、普段からyoutubeの錦織のフォームの研究をしてますし、この年でも益々上達してきました。
さらにおまけでよそのブログからの引用写真ですが、普通は肩が上がらないこともあってスライスサーブが一般的で、杉岡先生、岸先生、縣先生はきれいなこのサーブです。一方、真喜志君はこのトップスピンサーブです。体幹中心より後ろに高く打点があるのがお分かりでしょうか。さすが体が柔らかく運動神経がいいのですねー。
ちなみに、第3回の僕のサーブのフォームですが、打点が頭の真上に来てるのがわかると思います。フラットき系のサーブであることがわかると思います。
 

岸和田だんじり 10月山側 南掃守地区

2015年10月15日 10時16分09秒 | 大手前高校昭和50年卒

岸和田だんじり祭は、9月と10月に行われます。
一般的には9月の方がテレビでも放映されるので、9月のほうが有名です。

国道26号線を挟んで、海側と山側で分かれます。9月は海側の岸和田地区、春木地区、10月は山側の東岸和田地区、八木地区、南掃守地区、山直地区、山直南地区、山滝地区です。

9月の海側ほうが、参加する街の数も多く、岸和田地区-22町、春木地区-13町で、地車の数も多いです。さらに、テレビが放映され、観光客の人数が多く、非常に混雑します。屋台の数も多く岸和田城やカンカン場(有料観覧席)があります。

10月の山側のほうは、観光客よりも地元の人多く、だんじりの通る道は広いところが少ないので、狭い道の場合は、ゆっくりとだんじりが走ります。その分、だんじりを間近で見ることができます。

このように、10月の山側だんじりは、やや規模は小さいけれど、やり回しは、勢い同様で大迫力です。今回観覧しました南掃守地区は、8台のだんじりで、それぞれだんじりの大小が若干あり、迫力のあるやり回しを披露してくれました。

大手前高校の同級生の大場厚子さんが岸和田南掃守地区上松の自宅に招待していただいて、豪華な手料理の数々でもてなして頂き大感激です。

テニス会の錦織圭に刺激されたん会のメンバー、つい一週間前に開かれた大手前高校50年卒の幹事の人などから、呼んでいただきました。僕は、だんじりをまじかに見るのは初めてだったので興味深々。東洋子さん、池田啓子さん、西岡君、浜田君、中村泰治君、杉岡先生、縣先生、僕 大野浩司のメンバーで、大半は、まじかに見るのは初めての面々です。やり回しの観覧は、凄くテンション上がりました。くせになりそうです。特に屋根の上で飛び跳ねてバランスをとってるひとのカッコ良く映ること。

みんな記憶に強く永く残る体験でした。



神功皇后の建てられた住吉大社の常勝守

2015年10月08日 13時48分36秒 | 大手前高校昭和50年卒
住吉大社の念願だった御守りをいただきました。
住吉大社は、神功皇后ご自身が住吉大神をお祀りになり建てられてから1800年になる歴史の古い神社です。
神功皇后のお子さまが応神天皇です。やがて神功皇后ご自身も御祭神として祀られるようになりました。
神功皇后が新羅を平定されたのちの帰り道、急に船が動かなくなるという変事がありました。神さまにお尋ねすると、住吉大神が大きな港があって玉のように美しく細く突き出た場所に鎮まりたいとお告げになられました。そこで住吉の地に祀られることになったそうです。母校大手前高校のあるのが上町台地の北の端ならば、住吉大社は上町台地(半島)の海側の付け根あたりになります。
今回は、常勝守 をいただきました。
神功皇后は、仲哀天皇の皇后でしたが、随伴した九州征伐の時、仲哀天皇が崩御された後、摂政として取り仕切り、連戦連勝、九州平定されたそうです。さらに船に乗って朝鮮半島に進軍し、三韓平定もされた豪傑として知られています。御守りをもらってから、何となく力がみなぎる感じですが、というのも僕は暗示にかかりやすいからですね。🌸