テコンドーを中心とした筋トレ、アンチエイジング

年齢に関係なく、筋肉、脳は鍛えるほどその重量、能力は増加します
テコンドーはインナーマッスルもバランスよく鍛えられます

錦織圭使用ラケット、Wilson BURN 95

2015年02月26日 12時58分11秒 | テニス

やったー、ついに錦織圭使用ラケット Wilson BURN 95 がようやく手に入りました。

2月新発売で、今すごい人気の錦織圭の使用モデルということで、品薄で、中々手に入りませんでした。
これで、気分は、錦織圭です。
ビューンストンと落ちるトップスピン、スピンして外に滑って逃げるフォアハンド逆クロスに磨きをかけていきたいと思います。
 

京阪門真市駅前の力餅うどん

2015年02月23日 08時26分19秒 | 門真3中2期生同窓会

門真三中、門真小学校の同級生から、すごーく美味しいよーと、話しに聞いていました、門真市駅からすぐのところにある力餅うどん(正式名 力餅食堂)に行ってきました。お店は、入った瞬間に黒を基調としたインテリアが目の前に広がり、落ち着いた間接照明でテーブルの上を照らすおしゃれなものでした。なんと、素敵なジャズが流れて癒される空間でした。メニューはいろいろ、うどん、おそば、天丼などのどんぶりもの、稲荷までありました。迷って、肉うどんにしました。そしてデザートは、これまた美味しいと話しに聞いていたおはぎを注文しました。

おうどんは、コシがあって喉越しも良く、そしておだしが絶品。すごーくコクが深くて美味しいです。たくさんの種類の、あこだし、カツオ節とかがあるように思えました。
デザートに頂いたおはぎは、みずみずしく甘さ控え目でこれまた美味しかったです。
小中学の同級生の情報によると千林商店街にあった力餅うどんに良く行って食べたよ、とのことでした。わざわざ京阪電車に乗って食べに行くくらいだからよほど子供心にも美味しかったんでしょう。
昔は、門真のお母さんたちは、千林商店街に買い物にいったものでした。その中には、後で日本一のスーパーになるダイエーのもとのお店がありました。
大手前高校の同級生の人たちもこの近辺の人は食べたことあるんでしょうね。
力餅食堂は、1928頃、枡を交差させるロゴマークで、京都で始まった緩やかな結びつきのチェーン店組織で、主に関西の下町を中心に広がっているそうです。同級生のみんなは、千林商店街の力餅で食べてて、その後京阪門真市駅前に力餅ができて、そこへも同級生が食べに行って同じ美味しい味だと評判になってたようです。
チェーン店といっても味つけ、値段設定は、各店舗にまかされ、特色がでるようです。
今度は、千林商店街の力餅も行ってみます。

第185回金蘭会セミナー 2015.2.13

2015年02月14日 13時06分21秒 | 大手前高校昭和50年卒

回 開催日 演 題 講 師 第185回 平成27年 2月13日 「相続と遺言について」 平井義丸氏 昭和39年卒 兵庫県弁護士会所属弁護士、元福井地方検察庁検事正、元神戸公証センター公証人 金蘭会セミナーに参加してきました。 今回は、田中文さん、山本マヤさん、横井晶子さん、僕の四人が昭和50年卒のメンバーでした。 今回は、弁護士の平井義丸さん、昭和39年卒の方の、相続と遺言 という演題でした。 残したい人に相続させようと思えば、公証センターで、公証人の人に頼んで遺言作成するのが一番ということでした。費用は10万程らしいです。自分だけの遺言作成は、すごく手間と時間が、残される人にかかるそうです。あと、親の借金とかの負の遺産は、亡くなられて3ヶ月以内に家庭裁判所に申請すれば、引き継がなくてもいいそうです。借金取りは、3ヶ月を過ぎてくるそうです。皆さんよく知っといてください。 閑話その1 金蘭会セミナーに来ると、いつも女性中心の校風が蘇ってきます。名簿は、女子が最初で、男子は、残りにくっつく番号でした。 日本はつくづく男子社会のままですね。政治、会社など僕が高校卒業して40年経ちますが、変化すくないですね。 閑話その2 上町筋を天王寺からどんどん北上していくと、最後には、大阪NHKが左手に見えて、右手に大阪城が見えて、坂を下り始めて大阪府庁、大手前高校になります。途中行くてをさえぎる形の神社がありはっとしました。五條宮といわれる、四天王寺の鬼門を守る役目、施薬院としての役目であったそうです。難波宮の五条筋にあったからだそうです。聖徳太子は優しく偉いですね。今はその役目は四天王寺病院に引き継がれているとか。今回は、iPhoneのアプリで現在の高度 というもので標高を調べてみました。天王寺交差点は16メートルです。上町筋は波打つような微妙な高低差があります、国立大阪医療センターあたりで、20メートル、NHKで23メートルでした。大手前高校は14メートルで、おそらく天満橋の大川で0メールでしょうか。縄文 海進期と言われた今より温暖で3-5メートル海水面が高い時期でもずっと陸地であった歴史の古い地域です。南海地震の想定3メートルの津波でも影響をうけません。 閑話その3 金蘭会館には、沢山の素晴らしい絵が飾られています。いわれはおいおい聞いていきます。 この絵の金色の色遣いが素晴らしいです。 閑話その4 今回のセミナーの食事はお寿司でした。すごく美味しくて二回に一回は当たります。ラッキー。横井さんと山本マヤさんと歓談しながら食べてると、すぐ横に座られていた、金蘭会セミナーの役員をされている40年卒の方が、父が空母瑞鶴の生き残りです。と言われて93歳だけど元気ですというところから、話しが弾んで行きました。横井さんのお母さんも90代で、お元気で、つい最近まで図書館に本を借りに通われていたという話もされてました。僕も今は年老いた両親と3人暮らしですとは、言ってなかったけど、皆さん介護の問題は切実なんですよね。 閑話その5 空母瑞鶴の話し、おめでてたい鶴という意味らしいです。敵の弾に当たらなかった幸運の空母でもあるらしいです。 以下は引用で。 マリアナ沖海戦で被弾わずか1発の「瑞鶴(ずいかく)」である。  南雲忠一中将の指揮下、1941年12月の真珠湾攻撃に参加した航空母艦。以来、珊瑚海海戦、南太平洋海戦など数々の海戦に参加するが、1944年6月のマリアナ沖海戦まで一発の被弾も許さず、“幸運艦”と呼ばれた。 「当時、最新鋭の空母として南太平洋海戦で敵空母ホーネットを大破させるなど、武勲を重ねました。日本軍機が次々に撃墜され、『マリアナの七面鳥撃 ち』と称されたマリアナ沖海戦においても大激戦の中、被弾わずか1発という運の強さを誇りました。運も強さのうちですが、手練れの乗組員の功績も高く評価 されるべきです」(熊谷氏)  小沢治三郎中将率いる機動部隊の旗艦として臨んだレイテ沖海戦では、敵空母を誘い出す囮(おとり)の役割を務めた。すでに艦載機もほとんどない状態で米空母群に挑み、多数の敵機の雷爆撃を受け命運尽きた。 小沢艦隊は見事に敵のハルゼー艦隊を北方に引き寄せましたが、その作戦の成功は自らの死を意味しました。乗組員2000名のうち犠牲者は800名を超えたといいます。沈没直前には、甲板に集まって万歳三唱をされたそうです。