梅田高等女学校、金蘭会高等女学校リアル姉妹校物語
大阪府立梅田高等女学校(大阪府立大手前高等学校)、金蘭会高等女学校(金蘭会中等学校、高等学校)は1910年から1922年までの12年間、細い道路を隔てて隣あってて、遠足や運動会を合同でするリアル姉妹校でした。大手前高等学校は、堂島高等女学校、梅田高等女学校をへて大手前高等女学校になり、戦後大阪府立大手前高等学校に名前を変えていきました。
前身の堂島高等女学校の時設立された同窓会組織、金蘭会が、当時の女子教育の高まりの受け皿となる高等女学校の少なさから、私立の高等女学校を設立しようと、作ったのが金蘭会高等女学校です。すごいです、同窓会組織が高等女学校を作ってしまうなんて。先輩の方々は、子供をおんぶしながら寄付金集めに奔走されたと、恩師森延哉先生からお聞きしてます。うーん、感動ものです。
先輩のお姉さん達が作られた金蘭会高等女学校と、梅田高等女学校の関係は、姉妹というより、正確には妹と姪の関係という事になるかもしれません。
金蘭の意味は以下のコピペで。
“金蘭”の名前は明治24年に発足した堂島高等女学校(現在の府立大手前高等学校)の同窓会が明治28年から「金蘭会」と呼ばれたことに由来します。
二人同心其利断金
同心之言其臭如蘭
中国の古典『易経繋辞伝』より
「二人心同じうすればその利(と)きこと金を断つ。同心の言(ことば)はその臭(かおり)蘭の如し」(同じ志を持ったもの同士が協力すれば、何事も成し遂げることができる。また同じ心を持っているもの同士の言葉は、蘭の花のようにかぐわしい雰囲気を醸し出す)≫
また、弘法大師が伝教大師に宛てて書かれた手紙である、国宝の風信帖にも、東嶺金蘭法主と、伝教大師最澄に比叡の峰におられる金蘭の友のお坊さま、という感じで親しみを込めて呼びかけています。
金蘭会の金蘭って言葉、本当素敵ですねー。
http://ohtemaes50.exblog.jp/25199932/
本文に戻ります。
校地面積・設備において、府立校と同窓会経営の私立校とでは大変な開きがあったそうです。校地面積で10分の1、校舎の広さも4分の1以下です。創設から人力を注いできた校長先生は、同じ年令の少女達のこのような生活条件の大差を心苦しく思い、できるかぎり合同で行いたいということを申し入れしていたようです。
本当金蘭会高等女学校のことを、可愛い子供のように思っていたんですねー。1922年に金蘭会高等女学校は、独立しますが、その後もしばらく、金蘭会からの寄付金が続きます。
独立に際しての唯一の約束が、学校名に金蘭会という名前を残すことだったそうで、現在も引き継がれています。
最後に、大阪北ヤードにあった大阪スカイプラザテニスクラブって、テニス通の人は覚えてらっしゃいますか?
そこが丁度、梅田高等女学校のあった敷地の上の施設のようです。奇しくも2回ほどそこでテニスをしたことがあります。3階建てのビルの屋上に作られたオムニコートのテニスコートでした。スカイビルを含めて梅田のビル群の上の部分だけが見えて、都会の浮島のテニスコートのような異次元の感じで、素敵な経験をしてます。
でも、まさか、大手前高校の前身の梅田高等女学校の校庭の上でのテニスプレーをしていたなんて鳥肌ものです。
ちなみにいつも通勤は京都駅から特急はるかに乗っていますが、何と毎日梅田高等女学校、金蘭会高等女学校のすぐそばを気づかずに通っていたことにもびっくりでした。
さらに、もと梅田墓地のあったところは、毎日その上をはるかが通過していることになります。
地図では、阪神高速の梅田出入口、梅田ランプの道路北側に金蘭会高等女学校があり、そのすぐ北にあったスカイプラザテニスクラブのあった所が梅田高等女学校になります。
最後に、金蘭会高等女学校設立には、大手前高校の先輩であられる、堂島高等女学校の関係者からの寄付のみならず、当時の大阪市民、大阪府民の皆様の寄付による所が大きいと思います。
その後の昭和大阪城、吹田ガンバ大阪スタジアムなど日本でも類を見ない寄付による建築は、大阪の良き伝統、日本においても誇るべき伝統ではないでしょうか。