第186回金蘭会セミナーは平成27年3月27日に昭和28年卒の水彩画家の有田卓司先生の、わたしは広島原爆で地獄を見た、というタイトルで行われました。爆心地から1.5キロのとこにおられたそうで、爆発の閃光の後の爆風は秒速400メートルというとてつもないもので、家の土壁は一瞬で吹き飛び竹の骨組みだけになったそうです。その後は、キノコ雲と、たくさんの土埃のため、あたりはしばらく真っ暗だったそうです。家の奥にいたので閃光は浴びなかったそうですが、外で浴びた人は真っ黒になる位のやけど、つまり3度の熱傷、だったそうです。みるみる晴れ上がり水がたまり、次の日には死んで行ったそうです。広島には、5本の川が流れていたそうで、川面の閃光の反射が、上空500メートルの原爆の爆発との相乗効果で、威力が強まるそうです。その川面には、沢山の遺体、半死半生の人たちが流れていたそうです。
元世界一広い読影室?! その1
フォアハンド逆クロス
フレンチ コックオーヴァン
大津市皇子山公園の早咲きの桜初御世櫻(ハツミヨザクラ)がようやく咲き始めました。彼岸桜の一種です。
第四回洛中洛外IVR勉強会が、県立釜石病院の放射線診断科長の早川克己先生をお迎えして、京都府立医大 旧図書館階段教室3階で、3.14土曜日にとりおこなわれました。
診療放射線技師の坂本一郎さんの送別会が3月13日にとりおこなわれました。京都府立医大放射線科の血管造影IVR部門に30年も携わられ、いろんな研究、IVRに携わられた放射線科、脳外科、消化器外科、消化器内科の若き医師たちの良きアドバイザーでもあられました。僕が研修医2年目の時に、診療放射線技師として京都府立医大に就職され、血管造影IVR部門を中心に活躍されました。僕が、聖マリアンナ医大から京都府立医大に帰ってきてからの卒後5年目から9年間と、平成8年から10年までの3年間ご一緒にお仕事させてもらいました。竹内准教授の挨拶のあと、外部からのドクター代表の僕挨拶です。坂本さんのいつも爽やかな素敵なご性格のこと、最初は、カテーテルをお湯で形成してよく作った話、藤田先生は慶應から井戸式のループカテーテルを持ち帰った話、僕が先端をsigmoidにしたループカテーテルを作って、AJRというアメリカの有名な雑誌にも掲載されたのですが、それが一世風靡して、京都府立医大、および関連病院のみならず、大阪大学を含め関西のたいていの大学病院、その関連病院の血管造影IVR室にこのOHNOカテーテルが置かれていたことも昔話でしました。1シリーズ17枚程度の大角のカットフィルムをフィルムチェンジャーに詰め込んで、2.3 1.3 1/2残りなどのプログラムで撮像していて、そのマガジンラックを担いで暗室で急いで詰め込んだ話。
世界一広い読影室?!
昭和50年卒3年7組同窓会が、担任の習字の中川寿郎先生を囲んで、阪急グランドビル 白楽天で、3月2日に行われました。