kmitoh 春夏秋冬

水生生物雑記帳・男鹿半島幻想・接写と拡大写真

男鹿半島幻想:寒風山:小噴火口、風穴(ふうけつ)

2014-10-28 14:04:59 | 男鹿半島幻想


 小噴火口 2003.6.12




 小噴火口 2005.3.6




 小噴火口の中、2003.6.12
 風穴は底の部分にある。
 右手の岩の「道」は、水がなくなって棲んでいた大蛇が、
頂(いただき)を超えて、裏側の沼に移っていった跡。




 風穴 2003.6.12
 腕が入るくらいの大きさ。

 


 私の想像図。




 風穴から寒風山を振り返る。




 蛇越えの跡。


 古玉ノ池(ふるたまのいけ)は小噴火口のことで、
それを取り囲んでいる西側の山を「姫が岳」、
あるいは「蛇越長根」(じゃごえながね)、または「男山」とよんでいる。

 噴火口跡の底には、風穴(ふうけつ)があり冷たい風が吹き出している。

 古玉ノ池は「池」と呼ばれるように、昔は水があり、そこに大蛇が棲んでいた。
しかし、水が干上がり始め、大蛇は姫が岳を越えて、
新玉ノ池に移っていった。
 それで、蛇越長根ともよばれている。

 そのとき蛇が通った跡は、現在も山肌に残っていて、
峰を越え、山を下り、新玉ノ池まで続いている。

 玉の池伝説は、裂け目噴火の跡にある石列を見て、
大蛇が峰を越えていく姿を、昔の人が想像したのだろうと考えていた。

 しかし、そうではなく、遙かな昔に、噴火を麓から見ていた人びとがいたに違いない。
 小規模な、脈動する裂け目噴火列は、蛇越長根を越える真っ赤な大蛇そのものであったはずだ。

 最初は大きな山があった。
 大噴火口の噴火によって、山のかなりの部分が吹き飛ばされ、
縁の部分にあった現在の寒風山などが残った。
やがて小噴火口が噴火し、溶岩が流れ出して大噴火口を埋めた。
 裂け目噴火が起きたのは、そのあとのことだろう。


 小噴火口の風穴は腕がやっと入るくらいの小さな穴である。
 風穴は、漢字から風が激しく吹き出しているようなイメージであるが、
ここの風穴は冷蔵庫の扉を開けたときのような感じで、冷気が漂っている。
2003年6月9日、風穴出口の気温は7℃で、周囲の温度よりもかなり低かった。

 小噴火口は、すり鉢状で雨水が流れ出すところはない。
この風穴は小噴火口の最も低い場所ではないけれど、
大雨のとき、水はこの風穴からも渦巻きながら吸い込まれているにちがいない。

 鬼の隠れ里近くにも風穴があるということだが、見つけることはできなかった。
ただ、まわりとは異なった植物が茂っている場所があり、
その辺から冷気が出ているように思えた。


 大館市に、国指定天然記念物の「長走風穴」がある。
そこの説明板には、風穴から冷気が吹き出してくる仕組みには、
次の4つの説があると書かれていた。

 (1)空気対流説
  冬に孔の中を、冷たい空気が流れてつくった氷が、
  夏まで氷室(ひむろ)の状態で残っている。

 (2)蒸発潜熱説
  水が蒸発するときに、熱を奪い取る。
  腕に水をつけて風に当てると、涼しくなるのと同じ原理である。

 (3)断熱膨張説
  気体が膨張するときに、熱を吸収するから、
  入口と出口の高低差が大きい洞窟で発生すると、考えられている。
  家庭用冷蔵庫なども、この作用を利用している。

 (4)周氷河地形環境説
  氷河期の冷気が残っている部分が、地中にある。

  寒風山の風穴は、蒸発潜熱作用も複合してはいるが、
  空気対流作用が主なものだと、私は推測している。

  寒風山内面の想像図を描き始めて、途中で考え込むことになった。
  氷室になっているのは、蛇越長根の中だろうか、
  それとも、噴火口底の下方なのだろうか。
  空気対流作用の風穴だとすれば、夏は下部の孔から冷気が吹き出し、
  冬は上部の穴から風が流れ出る。
  もし、氷室の主な部分が蛇越長根だとすれば、
  もっと風穴から冷気が出てくるにちがいないと、推測した。

  しかし、気になったので、気温が下がってきた11月16日に、
  温度計を携帯し、風穴に行ってみた。
  風穴入り口に温度計を置き、タバコに火をつけた。
  煙は風穴の中に吸い込まれていき、温度計は無意味な物となってしまったが、
  このときの気温は10℃であった。
  温度が低いときに、煙が風穴に吸い込まれたことは、
  空気対流作用の風穴で、冷気の元になっている氷室は蛇越長根の中だということになる。

  だからといって、風穴より深い場所に氷室がないということではなく、
  より深い場所の氷室は滝ノ頭湧水などを、夏に冷やしているのだろう。

  風穴は、形から2つ分類される。
  富士山麓の青木ヶ原樹海にある風穴のように、溶岩洞窟タイプのものと、
  岩が崩れて積み重なった累積タイプである。
  寒風山は、この両タイプが組み合わさっているような気がする。
  蛇越長根の割れ目噴火跡や噴火口跡の下は、崩れた岩がたくさん積み重なっているだろうし、
  その下には細い溶岩洞窟が網目のように走って多量の水を蓄えているのだろう。

  雪がまだ残っているときに撮影した蛇越長根稜線の大蛇の這い跡部分で、
  地肌が見えるのは、上部の穴の一部だからなのだろうか。

  小さな、小さな風穴だから、私のような専門知識のない人間でも、
  いろいろ想像できて楽しいのである。


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男鹿半島幻想:滝の頭(たきのがしら)

2014-10-27 17:05:05 | 男鹿半島幻想

 2004.4.3



 2004.4.3



 2004.4.3


 寒風山内部の「地下水盆」構造に、大量の水が蓄えられており、
滝ノ頭(たきのがしら)からは、1日に2万5000トンもの水が湧きだし続けている。



 2005.11.16

 滝ノ頭は水道の水源になっているため、入るには許可が必要である。
入場しなくとも、名水「滝ノ頭の湧水」をいつでも自由に汲めるように、
給水施設が道路脇にある。 そこには、容器を積んだ車がいつもならんでいる。


旅行家で民俗学者の菅江真澄が、
「男鹿の寒風(さむかぜ)文化7年(1810)」のときに滝ノ頭の絵を残している。
それを見ると、岩が積み重なり、あちこちの隙間から小さな滝となって湧き出ている。

 この年に、男鹿で大きな地震があり、
その後、滝ノ頭の湧水量が増えたと記録されている。
寒風山の地下水盆の一部が破損したのかも知れない。

 真澄の絵には、不動明王(阿遮羅あしゃら)を祀った小さな堂なども描かれている。
写真の祠(ほこら)は、今木神社(いまきじんじゃ)である。
不動明王に代わって、今木の神が、いつのまにか鎮座したのだろう。
と、いうよりも、もともとは今木の神だったのが、不動尊になり、
それが、元に戻っただけのことに過ぎないのだろうか。


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男鹿半島幻想:加茂:不動の瀧

2014-10-27 13:00:31 | 男鹿半島幻想

不動の滝 2004.11.21



不動の滝少し下流 2004.11.21



不動様 2004.11.21


 新しいブログへ引っ越したのだから、写真を撮りなおそうと、
数日前に「不動の瀧」にむかった。

 着いてみると、行く手は藪だらけで、藪漕ぎをしてもとてもすすめそうになかった。
道の入り口にあった住宅も藪で覆われていた。
10年の間にこれだけ変わってしまうのだから、
以前の写真は貴重なのだと思い至り、
ブログも新しい写真にこだわる必要はないと吹っ切れた。
 これからはお参りする人、維持する人がいなくなり、
みんな草に埋もれて消えていくのだ。


 以下の説明は、10年前のこと。
 
 加茂地区への降り口とは反対に、加茂川沿いを上流に進むと、
木々とツタに被われた、いまは誰も住んでいない住宅が数軒ある。
 そこを通りすぎて、さらに進むと、5分ほどで不動様にたどり着く。
木々が茂っていないときには、
ここから50m先にある滝をほんの少しだけは見ることができる。
 この先には道がなく、滝下まで行くのには長靴が必要である。
 滝の高さは15mほどある。

 不動明王の建物の中に、石造りの社(やしろ)があり、
火焔を背にした不動明王が祀られていた。
なぜ、仏(ほとけ)である不動明王に、神を祀る社という言葉を
もちいたかというと、ここには鳥居があるのだ。
 不動明王は、倶利迦羅竜王(くりからりゅうおう)という
水に関係する別の仏の姿も持っている。
そこから、古くからの竜神信仰と習合したのだろう。




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水生生物雑記帳:タカアシガニの脱皮

2014-10-27 10:44:37 | 水生生物雑記帳


 脱皮開始。
 脱皮が始まり、甲らの後が開き、新しい体が少し出てくる。
 この状態でも、しばらくは歩き回っている。




 脱皮開始後、しばらくすると脚を前に投げ出して腰を落とす。
 すでに抜けたところに「水」を入れて膨らませて、古い殻から抜け出していく。
 この作業は一定時間内に行わなければ、
まだ古い殻の中にのこっいる部分も膨らみはじめ、
脱皮できなくなってしまう。
 脱皮ができないことは死を意味する。
















 脚が抜けて脱皮の完了だが、脱皮した体は軟らかいため、
すぐには歩くことはできない。 時間がたつと徐々に硬くなってくる。
 タカアシガニに限らず、甲殼類は脱皮するときだけ体が成長し、
このとき、タカアシガニは鋏脚(はさみあし)の長さが1.8倍になった。




 脱皮写真のものとは別のカニだが、
脱皮前にはとれて無くなっていた脚が小さいながら再生している。


 カニが脚を失う原因のひとつに「自切(じせつ)」がある。
自切とは、カニが脚を捕食者につかまれたりしたとき、
自分の本体を助けるために部分を切断して捨てることである。
 周りにいる小さなカニではよく見られる。

 脚を折り曲げ、縛って生きたまま輸送できるタカアシガニは、
自切しにくいカニだが、ジュウイチトゲコブシは水から出すとすぐに、
すべての脚を自切してしまったことがある。
 すべての脚を切断したのでは本体も助からないはずなのだが・・・。

 カニの自切の反射中枢は、胸部神経節にあり、ここを刺激すると全脚が自切するという。


 タカアシガニは、世界最大のカニで、
大きなものでは、両脚を広げた長さが3mにもなる。
 本州・九州の太平洋岸、水深50mから200mに生息している。


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男鹿半島幻想:丸木舟

2014-10-27 08:37:59 | 男鹿半島幻想


 1980年ころの写真。5月初旬、ワカメを採っている。










 太い木を使用していることがわかる。


 男鹿の丸木舟の多くは一本の杉をえぐって造られていた。
それでエグリブネ(刳り舟)とも呼ばれている。
 頑丈なため、岩の多い男鹿の海岸で、貝や海藻を採るのに
適していたから長く使用されてきた。

 丸木舟の寿命は長く、人の寿命と同じかそれ以上使用することができた。
 縄文時代の昔から1990年ころまで使われていたが、
現在は博物館施設で見られるだけである。

 一本の木からつくりだす丸木舟、単材刳り舟そのものは男鹿に限ったものでは
なかったが、最後まで使われていたのが、男鹿半島と種子島だった。
 数千年間生きながらえてきた丸木舟は、
この数十年間におこった経済機構の急激な変化の中で消え去っていった。
つくるための木がなくなったということだけが消え去っていった理由ではない。


参考:ものと人間の文化史98「丸木舟」
     出口晶子 法政大学出版局


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