油屋種吉の独り言

日記や随筆をのせます。

せっせと草刈り。  (2)

2024-09-14 20:10:11 | 小説
 九月十四日。曇りのち晴れ。
 きょうは草刈りはお休み。

 そんな気分でいるのが、わが愛しのからだはわかった
のだろう。

 張りつめていた筋肉が、ふいにだらけた。
 どっと疲れが出てしまい、エアコンのきいた座敷のソ
ウファで横になる始末。

 しばらくして、せがれが、
 「父さん、どなたかお見えになったよ」
 と、耳もとでささやくように言った。

 「ううん……」
 と言ったきり。
 わたしはすぐには起き上がれなかった。

 お客の用はせがれの応対で済んだらしく、それ以上しつ
こく起こしに来なかった。

 むにゃむにゃ寝言を放って、再び眠った。

 やけに首が痛むので、目が覚めた。

 頭をのせていたソウファの肘つき。
 それがあまりに高かったらしい。

 からだのねじがゆるんだら、あたまのねじまでしまりが
なくなった。

 ひとつふたつと用を思い出す。
 中には、はっとするような急用があって、唇をかむ。

 たいがいは、ゆっくりでいいこと。
 「小さなことにくよくよしない」
 誰かに勧められたことがある。

 忘れることの効用もある。
 なんでもかでも細かく憶えていないとと思うと息苦ぐる
しい。

 近ごろはしばしばあの世のことを思う。
 というよりも、先に逝った親しい人たちのことを考える
ことが多い。

 義理の妹が、ほぼ十三年前に逝った。
 まだ還暦前だった。

 男っぽいが、やさしいところもあった。
 彼女を思うと、涙腺がゆるむ。

 相手に向かってしゃべったり、相手もからだにふれたり
抱きしめたりすることはできぬ。

 身体は火葬されたのだ。

 そう心得ているからいいのだが、ひとりひとり故人の面
影は、頭にこびりついてはなれない。

 忘れずにいてあげる。
 だれだれさんと語りかける。

 「こうだったよね、ああだったよね」
 個人の霊が光り輝くという。

 風の時代らしい。

 「千の風にのって」
 そんな歌を唄って、男性の声楽家が立派な賞を受けたこ
とがあった。

 「そんなことないです。たましいはちゃんとお墓にあり
ます」

 お寺さんのお嬢さんがむきになっておっしゃっていた。
 
 草むしりは男より女の方のほうがむいているように思
える。

 ずいぶん長くしゃがんでおられる。
 びっくりするほどだ。
 お金のやりくりやら、旦那さんや子どもさんのことやら。
 いろいろと考えておられるのだろう。

 田んぼや畑の畔、それにちょっとした山林の下草。

 伸びに伸びた場合は、刈りはらい機で、わっとばかりに
除草してしまう。
 それが我が家のむかしからのやり方だった。

 ちょっとしたけががもとで、それがむりになった今、右
手に鎌を持ってやるしかない。

 ほんの五分も田んぼの畔で草刈りに精出しただけで、背
中がじりじりする。

 シャツ一枚に、秋物の厚手の長袖を身にまとっているの
にもかかわらずである。
 紫外線の強さが知れる。

 いろいろとものを考える機会をいただいた。
 そう思って感謝している。 
 
 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする