油屋種吉の独り言

日記や随筆をのせます。

つむじ曲がり  (4)

2021-09-19 09:19:35 | 小説
 M小学校わきの小さな消防署。
 種吉は卒業するまでずっと、その車庫の中
をのぞきながら、登下校をくり返した。
 それほど大きくない、長靴のようなかっこ
うの消防自動車なのだが、ちょうど近くで火
事が起きた翌日など種吉が来てみると、車体
は汚れほうだい。
 「きのうはごくろうさま。大変やったね」
 種吉は車のエンジン部分に近づき、手でさ
すり、ねぎらいの言葉をかけた。
 ある日の放課後、種吉は赤い車のわきにし
ばらくすわりこんだ。じっと眺めているとど
こからか靴音が聞こえた。
 それがだんだん大きくなってくる。
 どうやら、子どもが車のわきにいることに
署員のだれかが気づいたらしい。
 種吉は、蛇ににらまれたカエルみたいな気
持ちになり、その場を動けなくなった。
 恐ろしくて、涙がこぼれそうになる。
 ぴたりと靴音がやんだ。
 「なんや、ぼくか。そんなとこにいたらあ
ぶないで。こいつは緊急車両や、いつなんど
き出庫せなあかんようになるか、わからへん
からな」
 ふいに声をかけられた。
 車のかげになっていて、人の姿が見えない。
 (こわいおっちゃんや、きっと)
 種吉の小さな心臓がドキりとした。
 このまま、動きを止めてしまったら、どう
しようと思うほど、じぶんの顔が青ざめるの
がわかった。
 きんきゅうしゃりょう。
 その意味がわからないまま、種吉は困った
ような顔をあげた。
 「ご、ごめんなさい」
 種吉はうつむいたままでそう言い、立ち上
がろうとした。
 だが、体勢がくずれた。
 「あっ」
 と、相手が叫んだ。
 種吉のからだが、水でぬれた床にころがる
寸前に、太い両腕でかかえられていた。
 なんてごっつい腕なんやろ。
 種吉は、口には出さす、心の中で言った。
 「さあ、はよ、行に。いつまでもこんなと
こにいたら、母ちゃんにおこられるで。近寄
るのはもうやめな。見るだけや」
 「知ってるんですか」
 「ああ、毎日、この車、通りの向こうから
じいっと見とるやろが」
 「ああ、はいっ」
 「こんな仕事したいか」
 「はい、そうなんですけど……」
 年配の署員だった。
 白髪まじりのあごひげをなでながら、種吉
の祖父くらいの署員がまじめな顔で問う。
 「ほんまは、ぼく、かぜばっかりひいてる
し、からだ、あんまりじょうぶでないんです。
だから、きっと、こんな仕事はでけへんやろ
と思います」
 「そうなんや、でもなまだまだこれからや。
体はなんぼでもきたえられるで」
 「ほんま?」
 種吉の目が輝いた。
 「でもな、消防署につとめるばかりが社会
のお役に立てる道やない。いろいろあるから
じっくり考えることや。あんたには時間がぎょ
うさんある」
 そう小声でつぶやいた相手の眼に、かげり
が含まれたのを、種吉は幼くても、見逃さな
かった。
 消防署のわき、小道をはさんで町の診療所
がある。
 ホルマリンの臭いが、風にのり漂ってくる
たびに、種吉は鼻をつまんだ。
 種吉は、いそいで診療所の裏にまわろうと
かけ足になった。
 小さな池がある。
 そこで、急に、ざりがり釣りがしたくなっ
たからだった。
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