油屋種吉の独り言

日記や随筆をのせます。

仲間はずれ。 (2)

2024-07-20 04:33:55 | 小説
 部屋に入ると、あまりに広い上がり框を目にして
Mは戸惑う。

 「ほら、何をぐずぐずしてるのよ。早く早く荷物は
ここに置いて」
 「うんうん、ああ。そうだね。ごめん」

 (なんだ。せがれと一緒に過ごせるもんだと思って
たのに、かみさんも同じ部屋なんだ、この調子じゃ少
しも普段の生活と変わらないじゃないな)

 Mはここに至っても、かみさんが機嫌を損なうのは
まずいと気を遣い始める自分に気づき嫌悪をおぼえる。

 「あんたたちはベッドで寝たらいいでしょ。ええっと
わたしはどうするかな」

 かみさんは、M同様、年老いている。それを充分に
意識しているらしい。
 男たちの面前で、衣服を脱いだ自分の姿をさらすの
をいやがっている気配が伝わってくる。

 「ここでいいわ。あっちに和室があるけど、なんだか
気味が悪いわ。茶の間でいい。わたしは」
 和室から持ち運んできたらしい布団一式を、茶の間の
ソウファのわきに敷いた。

 「これから今晩のイヴェントがいっぱい。ああどうし
よう。みんなの前でプレゼンやれなんて言われたら」

 それからかみさんは、落ち着いていられないのか、せ
かせかと歩きだした。

 「あんた、浴室を見てよ。ずいぶんと広くて使いいい
わ。うちと違ってからだ全体を浴槽に沈めることができ
てよ」
 「へえ、良かったね」

 ここでふと、かみさんの表情が曇った。
 「ところであんた、カットバン持ってない?」

 「なんだい。どうしたの」
 「慣れないから、開けたとたんにね。戻って来た重い
ドアに足をぶつけたの」

 子供のように床にすわりこむなり、傷つき、血の出て
いる部分に、チリ紙をあてがう。
 
 「ちょっと待って。ホテルの受付に連絡して持ってき
てもらうから」

 Mは、ベッドわきに、受付に通じる電話が設置されて
いるのも気づかず、廊下に出た。
 探そうにも勝手がわからない。

 さっきのエレベーターのところに、ひょっとしたらあ
るかも、とやみくもに歩き出した。
 狙いが的を得ていて、Mは用件を受付の男性に伝える
ことができた。

 ほんの数分経つか経たないうちに彼がやってきて、数
枚のバンドエイドを渡された。
 「さすがですね。ありがとうございます」
 Mは頭を下げた。

 「はい、これ」
 それらをかみさんに渡したMは、ああこれでやっと一
息つけるぞと、ふうっとひとつ深呼吸してからベッドに
横たわった。

 目が覚めるとあたりがやけにしんとしていた。

 「おおい。誰もいないのか」
 かぼそい声で呼びかけるが、応答がない。
 不意にMは恐怖をおぼえた。

 自分は見知らぬホテルの一室にいる。今までにこの部
屋で幾人もの人が寝泊まりしたか知れやしない。

 そんな思いがわき上がってきて、Mを責め立てた。

 Mは起き上がったとたん、少し体がふらついた。
 万全の状態で、この研修旅行に参加したわけではない。
 
 野良仕事のさなか、畔でひどい尻もちをついたせいで、
鼠経ヘルニアをわずらっていた。

 とび出している部分を手のひらでおさえながらも、お
のれの志を成し遂げようとした。

 梅雨の時期はいまだ去らない。
 午後遅く、富士の山の頂を、雨雲の上にわずかに見る
ことのできたパノラマ状のガラス窓に近づくと、野外は
すっかり暗くなっていた。
 
 (はて、せがれもかみさんも……。一体ぜんたいどこに
いったのだろう)

 コーン。
 Mはふと、風呂桶が床に落ちたような音を聞
いた気がした。

 かみさんがひと風呂浴びていたんだ。せがれはゲーム
をやりに行ったのだろう。
 そんな想いが押し寄せて来て、Mを楽な気分にした。

 だが、それにしても様子がおかしい。
 妙に現実味がうすいのだ。

 Mは足音を忍ばせて歩き、浴室のドアが音を立てない
ように気を配り、洗面所に入った。

 誰かが風呂に入っているらしい。
 すりガラスの向こうに、人影が映っていた。
 
 
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1 コメント

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Unknown (sunnylake279)
2024-07-20 11:28:06
こんにちは。
ホテルの中が見えるように思いながら読ませていただきました。
最後の方で、少し不穏な雰囲気になってきたのが、ファンタジーに繋がっていくのかなとちょっと思いました。
続きを楽しみにしております。
いつもありがとうございます。
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