油屋種吉の独り言

日記や随筆をのせます。

晩秋に、伊勢を訪ねて。  (13)

2020-03-18 17:39:58 | 旅行
 「運転手さん、どうもお世話になりました。
こちらのホテルのみなさんのサービスぶりに
は頭がさがりました。いい思い出がたくさん
できましたよ。機会がありましたら、また日
光をたずねてくださいね」
 鳥羽駅で送迎用のバスをおりるとき、わた
しはそういって、見知ったバスの運転手に別
れを告げた。
 「楽しんでいただけたようで、わたしも嬉
しいです。そうですね。機会があれば行って
みます。今度は、奥さまとおふたりでお越し
ください。お待ちしています」
 彼がそう言ってから、わたしたちは互いの
顔を見た。
 そのとき、わたしは彼の心のひだのひとつ
に触れた気がした。
 ほんの少しのわたしとの会話。
 それが、彼の若かったころの思い出を、い
とも簡単によみがえらせる働きをしたかもし
れない。
 もちろん、わたしもそう。
 苦しかったこと、楽しかったことを、即座
に思い出していた。
 ひょっとして、今言ったことはすべて、大
いなる誤解かもしれない。
 でも、それはそれでいい。
 「若いという字は苦しい字に似てるわ」
 そんな歌の文句があったのを、今でも覚え
ている。
 わたしにしても、若いがゆえに世の中を知
らず、血のにじむような日々を過ごした。
 先に時間がいっぱいあるように思え、みん
ながみんな何か不安をかかえて生きていた。
 直情径行なわたしと違い、運転手の彼は熟
慮タイプ。
 彼は、じゅうぶんに大人だった。
 そんなことを、わたしは彼の表情から察す
ることができた。
 ひとつ勉強になった。
 旅の恥はかき捨てとばかりに、うきうきル
ンルン気分なのは、わたしひとりだったのか
もしれない。
 こんなわたしを、本当のところ、彼はどう
思ったか。
 何も考えず、ただ楽しむ。
 そんな時間もあってもよい。
 無用の用、である。
 あの運転手さんともっともっと彼と話がし
たかった。
 だが、運転手さんには彼なりの考えがある。
 彼なりの境遇がある。
 わたしにはわたしの、かれにはかれの五十
年にも及ぶ川の流れがあったのだ。
 何よりも、運転することが彼の現在のなり
わい。
 見ず知らずの、赤の他人にすぎないわたし
とだけ、特別な思いで、語り合うことなどで
きるはずがなかった。
 一瞬の出会い、そして別れ。
 そんなえにしも世の中にはあるのだ。
 余韻の残る別れ方だった。
 これからの人生に、彼との出会いがひとつ
の教訓になりえただろう。
 せがれに感謝しなくてはなるまい。
 こちらに着いたとき運転手さんと話し、わ
かったことだが、彼はわたしとほぼ同い年。
 戦後二十年くらいしか経たない時代の空気
をともに吸ってきたということである。
 1970年、大阪で万国博覧会が開催。
 ベトナム戦争。
 米国はベトナムに多くの若者を兵として送
り続けたが、抵抗運動は激しさを増した。地
下にトンネルを掘り、唐突に米兵を攻撃した。
 結局、おびただしい量の武器を使用しても、
米国は勝利にはいたらず、国内では徐々に厭
戦気分がまんえんしはじめた。
 日本国内でも、反戦運動が高まりをみせて
きていた。
 疾風怒涛の時代だった。
 彼の話によると、彼は二十代の頃に日光を
訪れたようだった。
 わたしも二十一の夏にそこを訪れている。
 JR日光駅は今も昔もかわらずに、明治の
姿そのまま。
 あたりの景色もほとんど変わらない。
 考えてみると、彼と出会ったことは奇跡に
近い。
 たとえこれきり彼と再会できずとも、互い
の心の奥底に残るだろう。
 せがれに感謝しなくてはなるまい。 
 過ぎ去った思い出にひたる。
 それも旅の醍醐味である。
 (了)
 拙作を読んでいただき、ありがとうございました。
 
 
 
 
   
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