その夜遅く、妻と長女のやよいが敬三宅か
ら帰ってくるなり、はるとの父健一は、彼女
らを玄関先まで迎えに出た。
「明日の朝早く、おれがはるとを迎えに行
くから」
力強くそう言い、目を輝かせた。
最寄りのコンビニで買ったらしい。
左手に持ったコーヒーカップを、ぐいと傾
け、のどをうるおしてから、
「よく、ひとりで、あんな遠いところまで
はるとは行けたもんだ」
ぼそりとつぶやく。
「あなたって、ほんと、はるとが心配だっ
たんだわね」
妻の洋子がくすっと笑う。
「そりゃ、そうだろ。おれのむすこだから
な。大事な大事な……、なっ、そうだろ?」
「ああ、そうですよね、たしかに」
洋子はそこまで言うと、天井を見あげた。
笑いをこらえるのが、やっとといった風情
である。
健一はこれまで会社の仕事一辺倒で、めっ
たにはるとをかまってやったことがなかった。
「で、どうだった?はると、元気そうだっ
たか。どうしてひとりで行ったんだろ。ちゃ
んと、その理由、あいつ話したか?」
「いいえ、ひとこともしゃべりません。貝
みたいに口をつぐんで。じいじもばあばもい
るんですもの。娘のわたしだって、ふたりが
かりではるとをかばうものだから、ね。とう
とう負けてしまったわ。えいっと叱ることも
できやしない」
「へえ、あいつ、あれで頑固なんだ。意外
だな。ずいぶん大人になって」
座敷犬のケンが、健一の足もとで、まとわ
りついていたかと思うと、ふいに床の上に寝
ころがった。
「ああ、そうだったな。おまえにごはんを
あげるわけだったな」
おう、よしよしと、ケンのおなかを右手で
さすってやった。
そんな場合でも、健一はお気に入りのコー
ヒーカップを落としはしない。
「もう見てらんない。お父さん、ああやっ
てケンを甘やかすんだから。ほらほら、ケン。
あたしといっしょに来て。たまにはあたしが
面倒みてあげるわ」
先に、二階の自分の部屋にもどっていたや
よいが、再び、玄関の上り口にもどって来て、
言った。
健一と洋子は、ようやく、ダイニングの人
になった。
「ごくろうさま。おまえには、ココアを用
意しておいたから」
健一は、テーブルの上に何気なく置いてあ
るふた付きのコップを持ち上げ、妻用のマグ
カップにこげ茶の液体を注ぎ入れ、オーブン
でぬくめ始めた。
「あなた、大丈夫ですか。そんなこと、わ
たしにしてくれたことなかったでしょ?」
「ああ、そうかもしれない」
「そうよ。結婚以来、一度も……、自分の
ことばかりで、わたしのことなんかちょっと
だって……」
「ああ、わるかったな。とにかく良かった。
はるとが無事で」
健一はソファまでよろよろと歩き、どさり
とからだを預けた。
そっと両の眼を閉じる。
「疲れたんでしょ。めずらしいこと言った
り、したりするからよ。馴れないことはしな
くていいんですから。全部わたしたちに任せ
ておいて。仕事があなたを待ってるんでしょ
う。いくら朝早く出かけたって、あしたの出
勤時刻はあなたを待っててくれやしませんわ」
「いや、いいんだ。間に合わなくたって」
健一はそう言って、首からネクタイが垂れ
下がったままの白いカッターシャツの胸の前
で両腕を組んだ。
「見直したわ、あなたを……」
洋子は眼をうるませ、背後から健一の首に
両手をまわした。
「よせよ。子どもに見られたらどうする」
「そうね」
しばらく、ふたりは、手を取り合ったまま
でいた。
「お母さん、お母さん。何か食べるものな
い?わたしなんだかおなかが空いちゃったわ」
ふいに、やよいの声がダイニングにとびこ
んできた。
「さっき、マックのハンバーグ、あなた食
べたばかりじゃないの。ほんと、食いしんぼ
うさんなんだから。ちょっと二階で待ってな
さい。何か作ってあげるから」
洋子は健一の手をふりほどき、テーブルの
上に散乱しているカップラーメンやカツ丼の
容器をかたづけはじめた。
ら帰ってくるなり、はるとの父健一は、彼女
らを玄関先まで迎えに出た。
「明日の朝早く、おれがはるとを迎えに行
くから」
力強くそう言い、目を輝かせた。
最寄りのコンビニで買ったらしい。
左手に持ったコーヒーカップを、ぐいと傾
け、のどをうるおしてから、
「よく、ひとりで、あんな遠いところまで
はるとは行けたもんだ」
ぼそりとつぶやく。
「あなたって、ほんと、はるとが心配だっ
たんだわね」
妻の洋子がくすっと笑う。
「そりゃ、そうだろ。おれのむすこだから
な。大事な大事な……、なっ、そうだろ?」
「ああ、そうですよね、たしかに」
洋子はそこまで言うと、天井を見あげた。
笑いをこらえるのが、やっとといった風情
である。
健一はこれまで会社の仕事一辺倒で、めっ
たにはるとをかまってやったことがなかった。
「で、どうだった?はると、元気そうだっ
たか。どうしてひとりで行ったんだろ。ちゃ
んと、その理由、あいつ話したか?」
「いいえ、ひとこともしゃべりません。貝
みたいに口をつぐんで。じいじもばあばもい
るんですもの。娘のわたしだって、ふたりが
かりではるとをかばうものだから、ね。とう
とう負けてしまったわ。えいっと叱ることも
できやしない」
「へえ、あいつ、あれで頑固なんだ。意外
だな。ずいぶん大人になって」
座敷犬のケンが、健一の足もとで、まとわ
りついていたかと思うと、ふいに床の上に寝
ころがった。
「ああ、そうだったな。おまえにごはんを
あげるわけだったな」
おう、よしよしと、ケンのおなかを右手で
さすってやった。
そんな場合でも、健一はお気に入りのコー
ヒーカップを落としはしない。
「もう見てらんない。お父さん、ああやっ
てケンを甘やかすんだから。ほらほら、ケン。
あたしといっしょに来て。たまにはあたしが
面倒みてあげるわ」
先に、二階の自分の部屋にもどっていたや
よいが、再び、玄関の上り口にもどって来て、
言った。
健一と洋子は、ようやく、ダイニングの人
になった。
「ごくろうさま。おまえには、ココアを用
意しておいたから」
健一は、テーブルの上に何気なく置いてあ
るふた付きのコップを持ち上げ、妻用のマグ
カップにこげ茶の液体を注ぎ入れ、オーブン
でぬくめ始めた。
「あなた、大丈夫ですか。そんなこと、わ
たしにしてくれたことなかったでしょ?」
「ああ、そうかもしれない」
「そうよ。結婚以来、一度も……、自分の
ことばかりで、わたしのことなんかちょっと
だって……」
「ああ、わるかったな。とにかく良かった。
はるとが無事で」
健一はソファまでよろよろと歩き、どさり
とからだを預けた。
そっと両の眼を閉じる。
「疲れたんでしょ。めずらしいこと言った
り、したりするからよ。馴れないことはしな
くていいんですから。全部わたしたちに任せ
ておいて。仕事があなたを待ってるんでしょ
う。いくら朝早く出かけたって、あしたの出
勤時刻はあなたを待っててくれやしませんわ」
「いや、いいんだ。間に合わなくたって」
健一はそう言って、首からネクタイが垂れ
下がったままの白いカッターシャツの胸の前
で両腕を組んだ。
「見直したわ、あなたを……」
洋子は眼をうるませ、背後から健一の首に
両手をまわした。
「よせよ。子どもに見られたらどうする」
「そうね」
しばらく、ふたりは、手を取り合ったまま
でいた。
「お母さん、お母さん。何か食べるものな
い?わたしなんだかおなかが空いちゃったわ」
ふいに、やよいの声がダイニングにとびこ
んできた。
「さっき、マックのハンバーグ、あなた食
べたばかりじゃないの。ほんと、食いしんぼ
うさんなんだから。ちょっと二階で待ってな
さい。何か作ってあげるから」
洋子は健一の手をふりほどき、テーブルの
上に散乱しているカップラーメンやカツ丼の
容器をかたづけはじめた。
はるとのおとうさんは、とてもうれしそうですね。
はるとが見つかったことより、成長したと思えることがうれしいのかなと思いました。