三枝子はA天満宮の門を急ぎ足でくぐり終
えると、空をあおいだ。
まるで狙いすましていたかのように、三枝
子の左目にぴしゃりと水滴が落ちた。
三枝子はあっと短くさけぶと、右手の甲を
だらりとさせた状態で、閉じた左目にもって
いき、ぽんぽんとおさえた。
(雨水だもの、そんなに汚れてないでしょ
うし、あまり良すぎるくじを引いた代償と思
えば安いものだわ)
三枝子はふふと笑った。
門を広くおおっている樫の枝の間を、陽光
が通りすぎていき、風に吹かれてひらひら舞
う葉を輝かせた。
参道にいならぶ多くの梅の木のいずれかに
とまっているのだろう。
ホーホケキョケキョと。うぐいすの声がと
きどき聞こえて来る。
天満宮のとなりは、S高。ボールを打つ音
にまじって、若者のはつらつとした声が響く。
三枝子はうれしくなった。
腕時計をみると、もう午後二時過ぎ。
(あれれ、もうこれだけの時間が経っちゃ
てるんだ。おかしいわ。わたしどうかしちゃ
たのかしら……。まあいいわ。境内にいる牛
様にちょっとした魔法をかけられたんだとし
てもいいわ。だってこんなに春めいた風景を
ぞんぶんに楽しめたんだもの。大吉くじを引
いた値打ちがあったというものよ)
三枝子はくるりと体を反転させると、神社
の本堂に向かって一礼した。
「お母さんったら、そんなところで何して
るの?お昼、食べたの。子供じゃないんだも
の、ちゃんとうちに帰ってこなけりゃ」
しかめっつらした愛美が、三枝子の背中に
声をかけた。
三枝子は小学生がするように、きちんと回
れ右をしてから、わが子と向きあった。
うす桃色のブラウスに、空色のジーンズ。
「あらら愛美、とっても素敵だけど、学
校どうしちゃったのかしら?早引きしてき
たんだ?」
「ちがうわ。水曜は、先生方の会議があっ
たりでね、午後の授業は一時間だけ。さっさ
とお帰りなさいって」
三枝子はクスッと笑った。
「なんか、お母さんらしくないわ。いった
いどうしたっていうのかしらね」
「いいからいいから、今さっき、いいこと
があったんだから」
「天満宮で?信じらんない。わたしも何回
か来てるけど、とりたてて、なあんもなさそ
うだったわ。暗いし、おっきい牛が地べたに
ねそべっていたりしてさ、気味がわるい」
愛美の表情がくもった。
「うそよ。お母さんはそう感じなかったけ
どな。芝桜がきれいだったしね。せきれいか
しら。ちょんちょん飛びはねてて……」
三枝子は娘の右手をそっとにぎり、ならん
で歩きだした。
突然、三枝子がスキップしはじめる。
「何するの?ああ、見てらんない。よして。
わたし、恥ずかしい」
「まあまあ、まなみ、そんなにむきになら
ないで。お母さん、今とってもしあわせなの。
途中でお気に入りのイチゴパフエ食べさせて
あげるから、ちょっとだけ調子を合わせて」
「いやよ。ほらほら、向こうから犬を連れ
た人がやってくるじゃない。もう、知らない
から」
三枝子はふいに立ちどまった。
「まあちゃん」
「こんどは、なんなの?」
「あのねえ……、お母さん、まあちゃんが
大好き」
ふいに、三枝子は愛美のからだをぎゅっと
抱きしめた。
(了)
えると、空をあおいだ。
まるで狙いすましていたかのように、三枝
子の左目にぴしゃりと水滴が落ちた。
三枝子はあっと短くさけぶと、右手の甲を
だらりとさせた状態で、閉じた左目にもって
いき、ぽんぽんとおさえた。
(雨水だもの、そんなに汚れてないでしょ
うし、あまり良すぎるくじを引いた代償と思
えば安いものだわ)
三枝子はふふと笑った。
門を広くおおっている樫の枝の間を、陽光
が通りすぎていき、風に吹かれてひらひら舞
う葉を輝かせた。
参道にいならぶ多くの梅の木のいずれかに
とまっているのだろう。
ホーホケキョケキョと。うぐいすの声がと
きどき聞こえて来る。
天満宮のとなりは、S高。ボールを打つ音
にまじって、若者のはつらつとした声が響く。
三枝子はうれしくなった。
腕時計をみると、もう午後二時過ぎ。
(あれれ、もうこれだけの時間が経っちゃ
てるんだ。おかしいわ。わたしどうかしちゃ
たのかしら……。まあいいわ。境内にいる牛
様にちょっとした魔法をかけられたんだとし
てもいいわ。だってこんなに春めいた風景を
ぞんぶんに楽しめたんだもの。大吉くじを引
いた値打ちがあったというものよ)
三枝子はくるりと体を反転させると、神社
の本堂に向かって一礼した。
「お母さんったら、そんなところで何して
るの?お昼、食べたの。子供じゃないんだも
の、ちゃんとうちに帰ってこなけりゃ」
しかめっつらした愛美が、三枝子の背中に
声をかけた。
三枝子は小学生がするように、きちんと回
れ右をしてから、わが子と向きあった。
うす桃色のブラウスに、空色のジーンズ。
「あらら愛美、とっても素敵だけど、学
校どうしちゃったのかしら?早引きしてき
たんだ?」
「ちがうわ。水曜は、先生方の会議があっ
たりでね、午後の授業は一時間だけ。さっさ
とお帰りなさいって」
三枝子はクスッと笑った。
「なんか、お母さんらしくないわ。いった
いどうしたっていうのかしらね」
「いいからいいから、今さっき、いいこと
があったんだから」
「天満宮で?信じらんない。わたしも何回
か来てるけど、とりたてて、なあんもなさそ
うだったわ。暗いし、おっきい牛が地べたに
ねそべっていたりしてさ、気味がわるい」
愛美の表情がくもった。
「うそよ。お母さんはそう感じなかったけ
どな。芝桜がきれいだったしね。せきれいか
しら。ちょんちょん飛びはねてて……」
三枝子は娘の右手をそっとにぎり、ならん
で歩きだした。
突然、三枝子がスキップしはじめる。
「何するの?ああ、見てらんない。よして。
わたし、恥ずかしい」
「まあまあ、まなみ、そんなにむきになら
ないで。お母さん、今とってもしあわせなの。
途中でお気に入りのイチゴパフエ食べさせて
あげるから、ちょっとだけ調子を合わせて」
「いやよ。ほらほら、向こうから犬を連れ
た人がやってくるじゃない。もう、知らない
から」
三枝子はふいに立ちどまった。
「まあちゃん」
「こんどは、なんなの?」
「あのねえ……、お母さん、まあちゃんが
大好き」
ふいに、三枝子は愛美のからだをぎゅっと
抱きしめた。
(了)