日本舞踊 西川鯉男 お稽古場

伝統芸能の日舞を楽しく学ぶお稽古場の雰囲気をお伝えしたいと思います。鯉絵の「独り言」も織り交ぜて、、、

日舞の効果

2008-03-14 00:03:26 | 日本舞踊
母が転んだのがあのの節分、あれから1ヶ月と10日経って、、、お医者様、整体の先生、勿論お弟子さんを始め私達家族からも「凄い回復!」と言われるほどの復活です。ギブスを外してからは整体、マッサージ、プールでのウォーキング、なにより日舞のお稽古をして、歩けます、座れます。未だ立ち上がるのは手を着きますが、それも時間の問題でしょう。目標を決めたら一直線のあのパワーは毎度驚かされますが、皆さんが口を揃えて言うのには「転ぶ前に日舞をしっかりやってきたから、其の程度の怪我で済んで、回復も早いんですねえ。」ご近所の同年輩の方々からさっさと歩く姿勢の良い母は羨ましがられてるんですよ。(実はこれこれの怪我をしたばかりと話すと驚かれるほどのスピードなんです)「でもあんまり無理しないで下さいよ、段々にね。と申し上げてもお師匠さんのご気性じゃ、無駄ね」鯉久子さんに言われて娘としてはわかってくれてるなあとにんまりでした。
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手馴れてきました

2008-03-13 00:13:11 | 日本舞踊
一ヶ月後にせまった鯉男会に向けて、お引きずりの着物を着て、小道具を持ってのお稽古もかなり皆さん慣れてきました。「お願いします」とお辞儀をすると皆さんはタッタと所定の位置に小道具を配してからスタート。私も相手役や後見の段取りが慣れて来て、絡みの相手役を早めに切り上げないと、肌脱ぎの後見に間に合わないとか、一人二役ですから大変なんです。でも皆さん必死で通ってきて(仕事やら何やら忙しいんです)確実に上達しています。やっぱり会に出演するって事はここが違うんですね。当日が楽しみです。
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清元流研究会が終わりました

2008-03-12 00:33:15 | 日本舞踊
上手く出来ても出来なくても終わるんです。もっと上手く成りたいなあ、、、
母と長男の鯉匠がいつものように来てくれました。この2人梅吉先生の「夕霧」を大絶賛してました。「芝居を見てるようだった」「一段が短く感じた」「音がいい」「ノリや運びが上手い」感動したそうです。私は自分のふがいなさに落ち込んで、折角の家元の演奏を舞台袖から聞けたのに、聞いていても集中できず勿体無いことでした。
実は前日の下浚いで、「浮かれ坊主」の演奏を聞いて。御免なさい、演奏に感動したとかではなく、亡くなった父を思い出しちゃったんです。大好きだった「浮かれ坊主」を元気に若々しく踊る父の姿が浮かんできて堪らなくなりました。お葬式の近辺は一通り泣いたけれど、一緒に住んでたわけじゃないので、亡くなったという実感が無かっただけに、自分に驚きました。「浮かれ坊主」は悲しい所など一つもない超お気楽な洒落た曲なのに、特に二上がりのとんびの辺りは声を上げて泣きたかったほどです。皆さんに分かったら恥ずかしいから花粉症の振りしときました。
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おひな祭り

2008-03-04 00:09:51 | 日本舞踊
小さい頃から、鯉男会はいつも春に開催していました。ましてや当時は毎年のことだったので、この時期はいつも、つぼ合わせ、下浚い、衣装見、小道具、大道具の打ち合わせ、大道具も演舞場はオーダーで道具帳からだったし、座席も指定席なのでお弟子さんに平等に良い席、悪い席を振り分けていました。新作も作っていたしで当然両親は忙しく、祖父母もわさわさしています。従っておひな祭りなどやったことも無く、うっかりするとお雛様も出し損ねそうな時もあったくらいです。兄弟は弟一人なのでお雛様に興味もなく、申し訳程度にお雛様出して桃の花飾って、雛あられ買ってもらって、って所で終わり。それで隣のミーちゃん家で遊んでました。下町では昔、親が忙しい時は近所が相手をしてくれたんですね。
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