辞世の歌と遺影

2022-03-14 10:52:34 | 日記
 3月14日 一挙に暖かうなりまして、花粉症も絶頂であります。昨日は「名古屋ウィメンズマラソン」でしたが、スタートから10分ほどTV観戦して、町内会の会合のため公民館へ。
 マラソンの世界に足を踏み入れて、驚き嬉しかったことは、「立てば芍薬、座れば牡丹、走る姿は百合の花」という女性がホントにいらして、しかもお人柄の良さ、品の良さも、という方と何人もお知り合いになれたことであります。スケベ爺さん冥利に尽きる、とはよく言ったものです。

 さて、話は変わって、最近、平戸のアミリン和尚が禅の講話をy-tubeで発信しておりまして、あんまりむつかしいので茶々を入れておりましたら、ついに喝が入りました。悩み多き人生を如何に生きるかと、バカ者め!ということでありましょう。まあしかし、爺さんは、美味い酒は飲みたい、美しい女は欲しいという凡情から抜け出すことは多分ありますまい。
 
 ヒマに任せて「萩往還マラニック」を懐かしみ、2首。

 雪踏みて萩往還を越えくれば笠山森に椿群れ咲く(萩市笠山虎ケ崎)    ほそはぎ


(下のは萩市観光協会より拝借)
あとで気が付きましたが、これは爺さんの辞世の歌として残しておけるようです。70年余の人生行路を来てみれば藪の中の赤い椿が美しいなぁと思える。願わくは、ポトリと落ちる椿のように人知れず最期を迎えたいものだ。風に吹かれて舞い散る桜は爺さんには似合いません。

 ふゆしおの音の吹きぬく松かげに晋作どちは何を語るや(萩市菊が浜)  ほそはぎ

明治維新から77年、敗戦の年、「ふゆしおの音の昨日をわすれよと」(久保田万太郎)ありて、それからまた77年。松下村塾での吉田松陰と高杉晋作ら塾生が今の日本を見たら何というのでしょう。これは短歌というより、狂歌に分類される。

平成29年(2017)5月3日「萩往還マラニック」(250km)2日目の99km俵島案内板ところ

同じく118km長門市立石漁港にて。

いずれもオールスポーツさんの写真を額装したもの。まぁ、爺さんの人生の頂点、最良の瞬間であります。爺さんの葬儀はしてはいけない、この写真で忍んでくれれば結構、と言っております。

 アミリン和尚に挑発されて、こんな記事を書いてしまいました。そして、和尚へのお返し

   青柳のいとの中なる春の日にそれにつけても金の欲しさよ   ほそはぎ

元歌は、青柳のいとの中なる春の日につねはるかなる形をぞ見る 正徹和尚

おあとがよろしいようで。