北九州マラソンは、センチメンタルジャーニーラン。

2024-02-19 11:18:36 | 日記
 2月19日です。4~5日前から、花粉が飛び始めたようで、爺さんは、お目めカイカイ、鼻水タラタラ、クシャミいきなり、で悲惨な状態です。くしゃみ一発ギックリ腰が一番怖いので、何をするにもへっぴり腰であります。

 昨日18日は、なつかしき北九州の街を走ってきました。前日受付しかやらないという大会の姿勢に頭にきながらも、しゃぁない小倉泊まりです。
 駅前の鳥町食堂街は、1月3日の火災の跡がまだ片付いていません。


ホテルからスタート地点までの所要時間を確認するため、北九州市役所まで行きます。ホテルの近くには、森鷗外旧居。

 
 スタート地点では、ボラの皆さんが本番の手順の確認打合せをしてありました。ご苦労様です。

帰りに、井筒屋デパート地下で弁当を買って、ビール1缶で我慢して、さっさとおやすみなさい。

 18日朝、いよいよスタートです。爺さんはGブロックなので至ってのんびりムードです。


 コースは、中高生時代に遊びまわったとこばかりで、昔を思い出します。
 10㎞から牧山の坂を越えて若戸大橋が見えてくるといよいよ戸畑区です。戸畑駅前を進んで右に折れると、猪坂通りの緩やかな上りです。右折してすぐの左側のこの路地が爺さんの住んでいたところです。
 この路地を進んで、鹿児島本線の踏切を渡って行くと八幡製鉄戸畑工場の西門ですので、往時は三交代の時刻には勤めの人々がぞろぞろと、賑やかなものでした。


 猪坂通りは、中学高校時代の通学路です。中学校は、人口減少でとっくに統合廃校されています。
 こんな事、書いていいのかな。いいでしょう、60年前の少年の思い出ですから。

 家のすぐ近くの同級生の女子。きれいなお嬢さんでしたが。ひそかに大好きでしたが、なにしろ田舎者のうぶな少年だった爺さん。『好きです。』なんて言い出せるわけもなく、手を握ったのは生涯一度切り、中学校の運動会でフォークダンスの輪で会ったときのみ。顔が真っ赤になっていたことでしょう。別々の高校へ進学して、最後に出会ったのは、学生の時、戸畑駅前で、彼女はすでに銀行の花のOL、彼氏と思しき人と一緒でした。こちらはうつうつとした貧乏学生、如何ともしようがありません。

 それから30数年経たお盆休み、家族は里帰りして、一人飲みでみていたNHK「思い出のメロディー」。各地からのお便りが紹介されます。
大分市の北〇◎子さんより。昭和47年に結婚して、今は子どもが二人、、、幸せに暮らしています。』  〇は、記憶があやふや、◎は秘す。

ああ、◎ちゃん、幸せなんだな~。彼女がどこの誰に嫁いだのか知らない。このお便りを出した人が誰かもわからない。でもきっとこれは爺さんに送ってくれた◎ちゃんのお便りだな、と瞼が熱くなる。今は、もはやお互い後期高齢者、そもそも健在かどうか。

 などなど回顧に浸って走っておりましたが、だんだん暑くなる。小倉駅をすぎて門司に向かうと向かい風。
と、横に「カッパからげた三度笠」のお姉さんが。「ああ~! あなた、先週、姫路を走ってなかった⁈」『ええっ、いたんですか?』 しゃがみこんでるランナーにスプレーを吹きかけてお助けマンをやっている。いったいどこの誰なんだ? かなりの走力の持ち主だ。ゴールしたら一緒に写真を撮ろうと思ったが、見失ってしまった。

 鼻水をぬぐいながらで、鼻の下の長いとこが擦り切れ、ヒリヒリする。伸ばしすぎた罰が当たったかな。
 今回は、雨になろうと雪になろうと走ってやろうと思ったのは、このナンバーと通知が来たとき。
 
 タイムは、netで、4;46;49  種目別40位(70歳以上と思う)  年寄りが、2週連続フルマラソンなんてやるもんじゃないと自覚したきつ~いマラソンでありました。
 では。