鉄道模型工作記録帳

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伊予鉄2005

2010-02-18 21:28:00 | 模型工作雑ネタ日誌

申し訳ありませんが出張後の腑抜け状態&道具が無いので工作が出来ません。
ということで、2005年に伊予鉄沿線を歩いて撮影したカットなどを。

【市内電車編】
市内電車は基本的に4世代の車体+3種類の転入車を併せて7種類の車体で構成されていますが、昭和40年代以降在籍はたった2形式の登録。
そのなかでも最大勢力50型は伊予鉄長らくの主力車両ですが、
元和歌山軌道線の50型ラストナンバー81は既に無く、呉市電50型1000番台の車体がまだあったときです。
但し撮影できていませんけれども。

50型とヒト括りにされても、車体形状の違いが結構あるためにほかの市内電車的には全て別形式で処理されてもおかしくは無く、81を付けた和歌山軌道線車両に至っては何が同じなのだろうというくらい別物でした。

車体の形状が古めかしいものから。
オリジナルの50型はこれというもの。

51号です。
屋根が深く、重苦しいのですがすっきりしたデザインですね。
雨樋の形がほかに無い、扉よりかなり前に張り出しております。
元々前後扉であったらしい痕跡が若干見られます。


52号
若干雨樋が張り出しております。
で、一番前の側窓の柱が若干太いです。
ドアがあったんでしょう。


54号
雨樋の張り出しが全くありません。


55号


同じく55号
雨樋は張り出しておりません。


左が56号、右が60号
似ておりますが製造ロットが変わるために正面窓の真ん中の幅を見ると60号の方が広く取ってあり、センター運転台としては開放的になります。
左の56号はこのグループ最初の廃車となったようです。



60号
正面真ん中の窓が異なること。
側窓がバス窓になっていること。
雨樋は52号と同じまたちょっとだけ張り出していますね。


ガラリ変わって62号
軽量化構造となり、当時としては徹底した軽量化が図られ、屋根は薄くなり側面材料も薄くしたため強度のためにビードをプレスした構造となりました。
軽快というより、張りぼて感が出るほどの車体です。
呉市電もこの車両の構造を持っておりました。
が、やはり老朽化はこの車体からから進んだのは想像通りで、このグループは呉市電車体も含めて既にこのあと急速に淘汰されたそうです。
この62号~65号も鬼籍に入りました。


66号
伊予鉄の走行ダッシュは大変鋭いもので、あっという間に40kmまで達します。


68号
本当に薄っぺらな感じがしますが、おそらく想定耐用年数はとっくに超えて使われたと思います。


69号
プレスの浮き出しがよくわかる影でしょ?


70号
やはり揺り戻し設計が行われ、板の厚さを戻したのでビードは消えて更にすっきりしました。
伊予鉄つりかけ市内電車の完成系ですね。


75号


76号



77号


2001号
これは元京都市電の改造車で、ヘッドライト周りが半ば強制的に伊予鉄仕様に改造されております。
程よい軽快感、それこそ50型の最終車両といっても過言では無いくらい馴染みきっているものですね。


2002号


2003号


2004号


2004号

どれも冷房装置取り付け、方向幕整備、ヘッドライトテールライト共通化がなされており使用上も全く共通運用でした。


2000型2101
低床車両で、真ん中のみノンステップです。
しかし、そのための結構無理なレイアウトは運賃箱がやたらめったら高い場所にあるものでなんとも効果的なのかは疑問符です。


台車が極端に外よりにあるため、なかなか不恰好です。
しかしノンステップの効果は大きいため、今後も増えてゆくのでしょう。


坊ちゃん列車14号+ハ31
蒸気機関車もどきのディーゼル車両だったかな。
わが札幌市電以来の軌道型ディーゼル車両。
ぱっと見るとたいした異様ではありませんが、ぼーんとコンタクト用と思われる極めて不恰好なビューゲルが見えます。
でも観光と実用を両立したことでは面白い存在ですね。


坊ちゃん列車1号+ハ1+ハ2
大きく異なるのは客車が2両であり小型であること。
(この形のモデルもちゃんとある)
また機関車も微妙に異なり、ぱっと見では煙突やキャブの大きさ、バッファーの大きさが異なっております。

楕円のキャブ正面窓も異なっているように見えます。

では本物の坊ちゃん列車を見てみます。


実は古町車庫に実在しました。
11号編成の客車はこれを基にしていると思われます。
というか何故か同番でレプリカしたため、これの存在が少し可愛そうです。
しかし、風化が進んでおり、せっかくなので綺麗にしてあげていただきたいものです。


とは言っても、かなりの風化具合です。
勿体無いなぁ・・・。

【郊外電車編】


その横には、一度京王電車の車体と組まれて履かれたものの、乗り心地などに難があったのか、放棄された小田急FM車両の台車が数台分置かれておりました。


その京王電車の一番列車を捕らえました。


もう長年居ついたために、癖の無いデザインとあいまってすっかり主となっているときです。
そろそろ同じく京王の3000系が主力を張り出して交代のようですね。






先日、銚子電鉄に移動した元京王2010型もフルに走っておりました。
車体幅と正面を見なければ、側面は5000系と大して変わりません。


昼間になると、2連になって軽快な編成となります。


後付けの運転台はこのような表情。
5000系のようでそうじゃない。
これが銚子に行くとはねぇ・・・・

で、本物は

もちろん?このように安定感ある前面。


よく見ると元5000系はどの前面も密着連結器です。
元2010型は元前面が密着自動連結器。
バラバラだったのでした。
さて、元前面と改造前面の2両が嫁いだ銚子ではまさか両端で連結器が違うなんてことは・・・?


昼になり、惰眠を貪る増結クモハたち。
会社のロッカーを想像される特徴的な貫通扉が異様です。


古町の夜。
所狭しと元京王電車が並んでいました。


同じ日なのですが、朝からずっと同じ場所でパンタ揚げっぱなしなのでしょうか?


終電車その1


終電車上がりその2

終電車になってしまったので歩いて移動していると
昼間に見つけておけばよかったものが目に入りました。

伊予鉄で長らくエースだった600型が車庫の裏にいたのです。


いやぁ・・・後の祭り。
隣には14mつりかけ自動ブレーキ電車から19mカルダン駆動電気指令式にまで「車体乗せ変えもせずに」進化して最後まで走りあげた300型も居ました。
もう解体されたと聞きます。
勿体無かったなぁ・・・。

300型のようなミラクル進化した郊外電車はもっと見たかったですね。


最後に社紋

「イ」がよっつで

いよてつどう。

旨い!



   ↑コメント頂戴し、その返しが膨大になってきており反省中です。キット近々すべてご返答します。


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