鉄道模型工作記録帳

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北海道の鉄道珍景・前編

2009-11-10 22:16:00 | 模型工作雑ネタ日誌

いま、掃除しておりまして。
ようやく少しづつ工作のステージを整えつつあります。

忙しいとは心を亡くすこと。
なんてCMで喋っていた森繁久弥氏が逝去されたそうで。

いま心亡くすとほんと自分にも来ますしねぇ。
イヤァしんどい季節だ。

さて、これまで結構写真撮りやもろもろやっていた中で、珍しいと思う写真を纏めて出してみようと思います。
正直なお話。

行き慣れたりお仕事の中で「これは公開できんなぁ」と言う写真は少しは結構の方があると思いますが、常識と信用の範囲内でそれを公開しないと言うのもあり。
でも、著作物などで名が有名になればそれが公開できたり。


ネットではいくらアクセスがあっても認められる著名とはなりませんから出すことは出来ませんよね。

ということで、無名趣味人こむめとして出してみよう珍景です。


石勝線を走るアルファコンチネンタルEXP.
平成元年頃の撮影です。

つれられて撮った記憶ですが・・・。
まともなアルコンはこれだけなんですね。


石勝線開業日のキハ82おおぞら


同じく開業日の「新鋭キハ183系おおぞら」
輝き放っていたキハ183が誕生してから既に28年ですね。
もうこの列車の使用車両の殆どが解体になっているかと。
辛うじて。
先頭車と中間の4台がひょっとして生き残っているかどうか?

さて現代になります。

手稲の札幌運転区入れ替えのひとコマです。
撮影は2004年冬でした。
車番はキハ182-30です。
何が珍しいかと言うと。


拡大図です。
なにやらステッカーが張っております。
「ミッドナイト」のステッカーなんですね。
キハ27からバトンタッチを受けて数年間ミッドナイトで運用しておりましたが、その数台にこのステッカーが貼られてほぼ専用運用していたのです。

この撮影時期とっくにミッドナイトは廃止済み。
廃止後数年間、ミッドナイトステッカーを貼っていたのです。

キハ182-30はこのとき、主に波動用とオホーツクの増結に運用されておりました。
簡単に剥がせそうなのに、このように残っていたのはどうしてだったのでしょうね。
形式もステッカーとなっており、ミッドナイト時点ではステッカーだったのか?


さて、これは苗穂工場でのひとコマ。
JR東日本のスハフ42とオハフ33です。
映画で一旦渡道したのに返還されましたけれど、まもなく北海道に譲渡されてきたときのカットです。

このあと、賛否両論が沸いた「巨峰色」になって現在も近代化されて活躍しておりますね。


釧路運転所でのひとコマ。
キロ184-901の最期の姿です。
キハ184-901をグリーン化改造して、キロとなった後、最期は鈍足おおぞらのグリーン車として活躍の後、留置されていた姿です。
この直後解体されましたね。
183系廃車第一弾の姿で、キロ184をもっと取れる時期に撮影開始していればと悔やみます。


平和駅でのひとコマ。
札幌貨物ターミナルに看板代わりでしばらくの間、コキ5500が留置されておりました。
2005年くらいに取り払われましたが、この近くにあった跨線橋をあるときよく見たら、橋の躯体が見たことがある部品で構成されており、コキ5500の台枠を切り継いで跨線橋のベースにしていたことを見つけ驚きました。


岩見沢仮駅。
旧駅舎が漏電消失したのち数年間、このプレハブ駅舎でしたね。


編成替えから余剰となっている785系NE105編成の留置初期姿です。
当初は札幌運転所に置かれておりました。
定期的に移動しておりましたがいつの間にかここに戻る感じでした。
見ると既にクーラーは取り払われ、座席も無いのです。
ここに3年はいたでしょうか?
現在は工場に取り込まれてさらに放置が続いております。
この場所で、前後の貫通扉が運輸者の事故部品と交換され、このあとベコベコになった扉を取り付けて留置されておりました。


同じ場所の781系の2連
札幌運転所の恒例光景でした。
繁忙期になると、4連で組まれていた781系は運用を絞り、すずらん用中間車をライラックに繋ぎ換えて6連とし、余った先頭車をこのように留置していたのです。
ただ、面白いのは、留置した781系はサボも、前面幕も一旦見事に取り外していたことでした。
最初見たとき、「遂に廃車か!」と思ったのですが、繁忙期が終わると何事も無かったように幕を嵌めて運用再開したのでした。
その781系も今はもう無いんですね。

781系といえば
2004年豪雪で多くダイヤが乱れ、21世紀で最大の鉄道乱れが起きたことがありました。
なぜかその日撮影に繰り出していたのですが

これは苗穂で大雪の影響で留置が長引いていた781系です。


普段がこれですので、いかに大雪だったかがお分かりですか?
あ?たいしたこと無い?


この日は何故かSL列車も退避していました。
いつもと違って、SLが後部ですね。


遅れ規模は数時間で済まなかったと思います。


これは珍しいと言うわけではありませんが、721系半室Uシートを好調のために全室Uシート化、編成の大規模な組み換えをしていたときの写真です。
札幌運転所から苗穂工場へは急行はまなすの間合い機関車が毎日エスコート便を務めています。


鷲別機関区見学のときに撮ったひとコマです。
仮台車らしいのですが、どう見てもただの仮台車ではありません。


横から見てもかなり古めかしいものです。


一体なんだったのかかなり悩みました。


キーワードも見つけられず悶々としていましたが、

どうやらD51蒸気機関車の炭水車台車から、板バネを抜いたものではないかと言う結論になりました。

だとしたら30年もこうして使われていたのもまた凄いことです。


今は国鉄色となって久しいキハ183-1がレインボウの事故修理代用として走っていたことも記憶に新しいですね。
この姿で秋田まで行ったのは恐れ入りました。


苫小牧所属のキハ150-108ですが、字体が大変乱れております。
これもめずらしかな?


苗穂工場に運用を終えた50系5000番台がいたので撮ったら


様子が変だった。
んsにやら電源を積まれていたというもの。

中国に観光列車目的で輸出改造したのですが、結果的に積み出す苫小牧まで行った後、中止になり解体されてしまいました。


キハ182-37だったはずですが、大きく切り欠いてしかも作りこまれた痕のある姿も目撃しました。
これは一体なんだったのかいまだ不明です。


あるときはスターだった車両の面に遭遇することも。


DLには放熱ファンがありますが、国鉄時代は結構凝ったファンの回転棒があったと聞きます。
その最期のものではないでしょうか?
「北」と形作られたファンの回転棒が最後まで残っていたDE10-1719です。
ずいぶん長い棒でした。
この角度でも見えたのですから。

現在は更新されてなくなったらしいです。



   ↑これはどこに走っていたんでしょうねぇ


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