785系の写真を引っ張り出してきます。
自分の中ではまだ新型感があるのですが、既に24年も経過したベテランになってしまっています。
運用自体は登場からまるで変わっていないのですが、姿形がずいぶん変化しました。
手持ちのイチバン初期の写真です。
恐らく昭和末期です。
今から見るとずいぶんスッキリした外観です。
側面も保護窓が張り付いていませんし、
屋根上の防雪デフレクタもありません。
スカートの防雪穴も無く
前面保護樹脂板もありません。
ヘッドライトは白熱灯。
愛称窓も3色LED
パンタグラフは下枠交差型。
あと忘れてはいけません6連の4+2分割編成です。
原型はすっきりしていていいですね。
デフレクタ効果の端的な写真があります。
見事デフレクタの吹き下ろす部分だけ雪がありません。
ほぼ現代です。
パンタ交換前ですが。
おおよそ修正された姿。
よく見ると同じ元増結編成の車の上のパンタなのにパンタの更新時期に「ずれ」があった模様です。
チョット貴重なカットかな?
貫通編成ならばUシートカーのみシンパというのはこの当時当たり前だったのですが。
これは2+3の5連
編成番号500番台の元増結編成にUシート車両を足してニコイチにした編成です。
片方の増結編成にUシートを足したものですね。
しかもこの先頭部連結は
・そのまま連結した時代
・写真のようにスカートを撤去した時代
・乗務員扉を埋めてホイッスルやATSも撤去してしまった現代
の3時代があります。
乗務員扉を埋める前の時に撮影が多いのでその姿を何葉か。
前面ガラスは樹脂板が醜く何枚にも分割されて貼りつけられ、コーキングも見苦しい姿です。
ヘッドライトは原型でした。
しかも分割には一貫性がなかったのでした。
結構あり合わせて嵌められてます。
増結が5本故に2連1本が5連化時に余ってしまい最後まで側面のほかは原型を維持していたNE105
何年も放置された挙句
クーラーも椅子や制御器の一部までも部品取りにされた姿です。
実は前面ドアも人身事故で凹んだほかの車のものに交換されていました。
この車ご存知のように
見難いですがのっぺらぼうにされて
ど偉い姿になって復帰しました。
(パンタなしの同じ車です)
日本鉄道史上、最も切ない運転席撤去跡といえるかも知れません。
この写真だけ見て、130kmで先頭を疾走していたとは思い出す材料がありません。
原型を残した前面でさえこうですから・・・。
気をとり直して貫通編成の各車です。
貫通編成のUシート車はパンタ付きです。
元増結編成同志の方はパンタ無しです。
これは元編成の組み換えを考えればご理解いただけるはず。
芸が細かい。
ただ、下回りは1M方式のほぼ同一品です。
こんな感じ。
分割編成だとさきのようにこの様な組み合わせが入ります。
都合先頭車5両が中間車化されたわけですが、どちらもかなり切ない改造です。
いずれも2連口のものですから2連口にあった先頭車の半分が埋められたことになります。
鋼製鋼体部分をブロックで連結に応じたストレートにしたものに載せ替えたいと思うのはファン心だけでしょう。
はい、全く採算性はありません。
「ファン的美学」だけです。
お仕事でプロカメラマンの横で遊びで撮った過去の有名撮影地・苗穂大カーブカット。
この角度は立入禁止になって管理も厳重なので役得?でした。
が、想像より画面がごちゃごちゃしていて格好良いか微妙です。
ちなみにプロカメラマンの方のカットはかなり昔の印刷物に使用しました。
↑もうちょっと真剣に撮らないと資料になりませんな。
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785系、JR北海道初の特急電車だったので形式発表があったとき、「どんな形になるんだろう?」って期待してたんですが、なんだか特急車両ぽくないデザインで「?」と思った事を今も覚えています。でも、ものすごく俊足な電車なんですよね、当時もそして今も。
さて、冒頭で「24年経経過した・・・」と書かれていましたが、この電車1990年誕生なので「22年」なのでは?ちょっと気になったので一言・・・