

今日の夕食は、




◆チーズ入りハンバーグ
◆白菜サラダ
◆かぼちゃスープ
◆ご飯
贈り物
贈った人は、最善のものを贈ったつもりである。でも貰った方は気に入らないかもしれない。不満の根拠となる贈られた人の考えている最善が「正しい」かどうかは、神様でもわからない。同様、贈った人の最善が「正しい」とも限らない。逆に、それぞれにおいてはどちらも「正しい」答えであり、それぞれに個別の世界である。世界は一つではなく、それぞれに個別の世界がある。だから唯一無二の「正解」はない。あるのは、何が「正しい」で、何が「間違い」か、の問題解答答案ではなく、贈った人の気持ちとそれを素直に喜ぶ気持ちである。~贈られてきたはるみ蜜柑の中に普通のいしじ蜜柑が沢山入っていて、皮をむくと小袋がしわしわで美味しくなく、こんなものと思ったことへの反省である。今回の贈り物は立場が逆である。贈った人も最善のものを贈ったと思い上がらぬことだ〔→自戒す〕。また、贈られた人は土産物に旨い物なし、もらい物に満足する物なし〔→達観す〕。 物に乗っかった気持ちだけを受け渡しして、相手の世界を認め合い、尊重すること、それが『気遣い』であり、贈り物の遣り取りの本質だ。だから、ことばだけでも贈り物になるし、お返し物にもなる。