郡保家の一日

極く有りふれた家庭です。その生活の一端を記録していきたいと思います。

とし、年、歳、齢

2011年04月05日 | 日記
 今日、40歳代の他人から「おじいさんが…」と言われたとき、少しショックであった。孫から言われると別に気にしないが、白髪を帽子で隠していたのに中年のおばさんに言われると家に帰ってきて鏡を見た。なるほど歳を取っていると納得したものの、もう少し若返りの行動を取らねばと思う。まず帽子を被っていること自体が老人くさい。帽子を脱げば胡麻塩頭である。どうしても老人の範疇に入ってしまう。若い時は老け顔なので中年以降は意外に若く見られたので、貫禄を付けるため早く髪が白くならないかと願ったものである。それも遠い昔話である。気持ちの上でyoung hartで取り組まねばと真剣に思った一日であった。
《台所で葉を水に浸けて置いていたら、大根の花 が咲いた》

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災害ニュース

2011年04月04日 | 日記
 姫路では娘の住む近くの裏山が山火事で煙がすごく、自衛隊に消火を依頼し電車も遅れたそうです。しかし、TVニュースでは東日本大震災関連についてばかりでまったく放送されない。東日本大震災関連ニュースは重要であるが数日前の同じ内容の繰り返しでTVニュースが一つの事に偏りすぎていないか。そして、乗り遅れないように他局をwachingしながらの横並びニュースばかりである。TVニュースを見る方もそれで安心している。だから、最近TVをあまり見なくなった。あの大津波映像の繰り返しはそれに遭遇し被災した人にとって恐怖心の刷り込みになり、今後に悪い影響を与えると言う。すなわちPTSD(Post Traumatic Stress Disorder 心的外傷後のストレス障害)の影響を心配する心理学者、カウンセラーが多い。一方、売名行為の寄付やボランティア、募金集め、一方的な“想いよ届け”活動も多い。有名人、企業はニュースになるが一般人はニュースにならぬ。穿った見方をすればニュースになる方は発表することにより多額の出費(⇒企業:全額損金で落とせる)を要するが広告宣伝にもなり、それなりに見返りはある。ニュースにならぬ一般人の地道なボランティア活動の努力の方が被災者の身近で本当の支えや力になっていると思う。TV報道も話題性ばかりでいい加減なものだと思ってしまう。《庭に毎年咲くチューリップ》

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京都大丸いけばな展

2011年04月03日 | 日記

 友達から貰った前売り券でいけばな展を観てきました。出展数を抑えた、いつもより小振りの展覧会で友達の出展はありませんでした。が、花を華へといろいろな趣向を凝らしたいけばながあり、楽しめました。
 折角京都に来ているので錦市場を見て回り、あるお店で極小の小鉢を買い求めました。小さくても値が張り、買うのに躊躇しましたがこれが唯一の道楽ですので思い切りました。
 建仁寺までぶらぶらと歩き、そこで遅い昼食のおにぎりを食べ、高台寺で枝垂れ桜を愛で、高島屋で森伊蔵焼酎の抽選に応募して帰って来ました。
 なかなかの強行軍で疲れましたが、今年も京の桜が観れて良かった。円山公園の枝垂れ桜は一時に比べ元気を回復してきてはいますが、哀れな感じを受けました。それでもその周りにはゴザを敷いて多くの人たちが宴を開いています。本物の生き花として老木ではあるがこれからも千年、万年生き延びて人々を楽しませて欲しい。
今日の夕食は、










 

◆ステーキ ◆野菜スープ ◆スパゲッティサラダ イカナゴの釘煮 ◆ピクルス ◆ご飯


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最終回「てっぱん」

2011年04月02日 | 日記

 半年前から楽しみに観ていたNHK朝ドラの「てっぱん」が今日で終わりました。主人公・あかりが尾道の家族や大阪の祖母との暮らしの中で持ち前の明るさを振りまき、力を与えたり貰ったりしながらたくましく成長していく過程が微笑ましく、私も元気を貰いました。尾道・千光寺の桜をまた観に行きたくなりました。
今日は、久しぶりに野菜を買いに磐手JA朝市に行ってきました。朝市に出ている野菜の種類と品数が少なく、また目的の筍は無く、分葱とサニーレタスと水仙の花しか買うものがなくて残念でした。帰ってからは暖かかったので庭のプランターの植え替えや草取りをしました。
今日の夕食は、

 ◆鶏鍋 
 ◆ぶりの子の炊き合わせ


~夕方から急に風が強く吹き、寒くなったので鍋にしました。~


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今日から新年度・新学期

2011年04月01日 | 日記
 東日本地震大災害で入社式があったり、なかったりでこの一年、大変な年度になりそうです。はじめに大変なことが起きると最期は善いことが起きると思って日々少しでも努力することです。結果は直ぐ出るものではなく、倦(う)まず、弛(たゆ)まず、諦(あきら)めず、継続することで善い結果を生むことができると信じます。自分〔の意志〕を強く持って他人を頼らず、自分を信じることです。これは何事にも通じる秘訣です。

《補足》
 自分〔の意志〕を強く持つとは、自分のことは自分が一番よく知っているし、何をしなければいけないかも分ってもいるから自分が決めた道を進むことです。自分は自分以外の何者でもありません。その全責任は自分が負わなければなりません。だから、いろいろな人の意見に迷わないことです。しかし、自分の考えに固執し過ぎてはなりません。それぞれの意見がどんな立場で言っているのかを斟酌(しんしゃく)して切り捨てたり、取り入れたりして考えをより善いものに纏め上げる力も必要です。
 自分を信じることとは自分の行いすべてを振り返らないことです。相手があるとき、相手との意見の相違は当然ありますが、自分の考えは正論だと過信しないことです。正論だとしても相手を追い詰め従わせようとしないことです。相手に勝つことではありません。話し合うことです。たとえ、勝っても負けても、折り合いがつかなくても後でああすれば良かったと悔やまないことです。その時謝るか、直ぐにリカバリーの言葉を発することです。くよくよと悩みの貯金はしない。後からいくら悩んでも解決しないから、いつもあれで良かったとキッパリ思うことです〔諦めることとは違います。諦めは諦めきれずに、また思い出してしまいますから。〕。また、あれで良かったと思えるように行動することです。それが自分自身を信じていることになります。そのために大きく深呼吸して、心の波を静かに落ち着かせ心を整えることです。そうすれば、何ごとも恐れることはありません。

⇔私はなかなかこのように出来ませんでしたが、このようになりたいと生きてきました。


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