母が夜中3時に天に召されて行った。癌を患っていたようだが、痛いとも言わず、食が細くなり亡くなったのだから老衰です。母の一生は????。誰も良かったとか、悪かったとか、言えない。それは母一人のものだから、親子でも口を差し挟むものでない。これからは私の心の中で生きて続けて行く。
母の血圧が低下し、呼吸も荒くなり病状が急変したようなので宿直看護婦を呼び、見て貰い、姉弟にも電話を入れた方がよいか尋ねるとそうして下さいとのことで電話をしました。弟が来る前に真夜中でしたが家人にも電話を入れました。家人に心の準備と私の仕事のことでKSさんにFAXをしておいて欲しかったから…。今朝になると母の病状も落ち着いて何事もないように眠っています。姉に病院に来なくて良いと伝えようとしましたが既に新横浜駅から新幹線に乗った後でした。家人の両親のときも病院から大丈夫だと告げられ、自宅に戻り、また2,3日してから具合が悪いと言うことで家人の実家に急いで行ったことを思いだしました。老人の病気は行きつ戻りつで次第に弱って行くようですので私が帰れば親の死に目に会えない可能性もあり帰るのが辛いです。
彼岸の中日で姉からお墓詣りに行ったらと電話がありましたが、私は母の病気見舞いと看護に来ているのだからと断りました。親戚のK奥さんが彼岸なのでおはぎを作ったからと弟に持って寄こして呉れました。母の死が現実化してくると弟も少し変わったように見えました。けれど弟の奥さんは嫁姑関係で未だに母や小姑の私に冷たいと言うか、何事も上から目線なのです。弟夫婦が母と一緒に住んでいたわけでもないのに、また私との接触なんて殆ど無いに等しいのにと思う。弟の奥さんはまぁ変わっている人だと思うしかありません。私が甲斐甲斐しく母の面倒をみるので自分の立場がなく、弱い犬はよく吠えるのと同じで私に弱みを見せたくないので虚勢を張っているのか知らん??と相手にしないことにしています。 家人はテニスクラブに行ったようですが祝日なのでレギュラーは二人で残りの5人は振替で入って来た人たちで上手な人もいて別のクラスのようだったらしい。
娘たちは福井の恐竜センターや東尋坊、永平寺などに1泊2日の予定で小旅行に出掛けるため、軽めの朝食を済ませ7時に車で出発した後、私は昨日田舎の母を病院に見舞いに行く予定を延ばしていたので直ぐ広島へ発ちました。直ぐと言っても1時間半ほどしてからです。娘たちが使ったバスタオルやパジャマ、下布団シーツなどを洗濯して干し、また下布団も干したりしていると時間がすぐ経ってしまいます(干すのは家人がやってくれましたが、…)。母は病院で眠ったままで私が来たことにも気がつきません。弟に病院に来ている旨の連絡を入れましたが、弟は親戚の法事で今日は電話に出られないとのショートメールが入りました。
上孫がクラブ練習の関係でそれを終えてから娘たちは3時過ぎに姫路を発ち、高速道路が混んでいたので6時ごろ着きました。私たちは娘たちが夕飯には手巻き寿司を食べたいとの要望で朝9時にお魚屋に行き、本鯛、カンパチ、本マグロ、サーモン、ブラックタイガー海老、いくらを買いました。それに他の店で、卵、カニカマボコ、シーチキン、小粒納豆、お新香、キュウリ、大葉、サラダ菜を買い、寿司ネタを揃えました。海苔が美味しくないといけないので松坂屋でお店の人に聞いて手巻きにもいける焼海苔を買いました。夕食には煮物(コンニャク、さといも、人参、サヤエンドウ、高野豆腐)にモミジ葉生麩を添えて季節感を添えました。さらに、澄まし汁にマッタケをと思いましたがぶなシメジにしました。出し汁は本格的に昆布で摂りました。が、娘夫婦はビールを飲んだせいか、澄まし汁は要らないと言われたのでまぁ良かったかな。家人はアルコールは飲めないのでお相手出来ずに申し訳なさそうでした。お肉も少しですが焼肉を出しました。食後の果物にはブドウにしました。皆よく食べてくれましたが、元々食の細い下孫は車の中でお菓子を沢山食べたせいか、あまり食べませんがいくらは大好物なのでその手巻き寿司を何本も作っていました。なお、娘たちが着いたらお茶におはぎを出す予定でしたが直ぐに夕食にしました。今回は先々に準備をして冷蔵庫に入れておいたので手際よく料理を出すことが出来ました。
~ お料理の写真は撮りませんでした。 ~