徒然刀剣日記

刀剣修復工房の作品・修復実績と刀剣文化活動のご紹介

緊急のご支援のお願い!

2016-01-08 00:19:10 | ブレイク
来る2016年2月1日~15日、インドのハリヤナ州(デリーから23kmの地点)で同国最大規模の伝統工芸の祭典『メラ』がおこなわれます。

この祭典で、『日本の伝統文化』を紹介するイベントの開催を、インド大使館よりご提案いただいております。しかしながら、渡航費の一部や機材の搬入費用が当初の計画より予算オーバーしており、このままでは実現が難しい状況です。

インドは、先の東日本大震災の折、毛布や飲料水などの緊急物資の提供、救助隊の派遣を真っ先に決めてくれた国の一つです。
この度のインド政府からのご依頼をお受けすることは、先の震災での同国の善意へのお礼ばかりか、両国の民間レベルでの文化交流を促進する大変貴重な機会であると考えております。

また、近年サブカルチャーなどで人気のある『日本の伝統文化』を、正しくインドへ伝える手助けになれば・・・とも考えております。


写真は、2014年にインドネシアのバンドンにあるアジア・アフリカ会議場で開催されたアジア初の刀剣展覧イベントの様子です。

インドへは、刀剣類の持込が厳しく規制されていることから、ギリギリまで両国間で最善の交渉をお願いしている段階ですが、日本の正しい文化を発信するためにも、合わせて皆様にお力添えをお願いする次第です。

詳細は、こちらのクラウドファンディングのページにて公開中です!
なお、今回クラウドファンディングを活用させて頂きましたのは、一伝統工芸職人として、このような国際活動を続けていることを、一人でも多くの方々に知って頂きたいと思うからです。アリの一歩ですが、私の活動が世界と日本の良好な関係作りに寄与することを願ってやみません。

最後まで読んで頂き、ありがとうございます!

職人男子

2015-12-24 01:53:12 | ブレイク
本日24日、辰巳出版さんより、若手伝統工芸職人の写真集が発売されます。



お恥ずかしながら、チラッと私もご紹介頂きました。
微力ながら伝統工芸の発展と知名度の向上に寄与できれば・・・というあさはかな活動です。

お目汚しとは存じますが、ご興味をお持ちくださった方は、書店にてお買い求めください!








創作工芸品

2015-10-20 23:01:53 | ブレイク
突然ですが、これは何でしょう?



この半年間、ずっと考えてきたことがあります。
それは、私の刀剣文化啓もう活動にご理解とご協力を頂き、応援をしてくださっている方々への恩返しの気持ちです。もちろん、当方の活動(伝統サポーターズ常設工芸家紹介ページ)は長期にわたり、目に見える成果を期待するものではないと言ってしまえばそれまでなのですが、そこを曲げて「何かカタチに残るものを・・・」と、考えて考えて考え抜いた結果。
このような物を作ってみました!



靴べらです!
母材は孟宗竹です。持ち手の部分は緞子を総巻きにし、柄巻きを諸摘みで施しました。形状は、舟の櫂(かい)をイメージしています。



コンセプトは、『武蔵』です!
言わずと知れた巌流島の決闘にて、宮本武蔵は佐々木小次郎との対決を舟の櫂で戦ったという逸話が残されています。
武芸を芸術の域にまで高め、高い精神性と共に、刀剣には細部にいたるまで実用の美を追及した武蔵をイメージしてカタチにしました。



手になじむ感じがして、しっくりきます。

他では絶対に手に入らない、遊び心満載の創作工芸品を、感謝の気持ちを込めてプレゼントしたいと思います。

ちなみに、今のところ販売の予定はありません。作るのに手間がかかるので、価格に反映することが難しいという理由です。ご了承ください。

無料公開講座開催しました!

2015-10-03 22:52:43 | ブレイク
予てよりご案内させて頂きました、有燐堂様主宰の刀剣関連の講義を開催させて頂きました。



本日10月3日(土)10:15~11:15にて、無料公開講義を無事行わせて頂くことができました。

人数制限のある中、多くの方に足を運んで頂きましたことを、この場をお借りいたしまして御礼申し上げます。
この度の講義では、参加者様の有識率が極めて高かったことも相まって講義終了後のお茶会では、大変高度な刀剣の話や製鉄の話題で大盛り上がりと相成りました。

この度の講座は、試験的な運用を模索する場でもあり、実際の開催についてはまだまだ未知数の部分があります。そのため、定期開催のカタチを取るか?は、もう少し検討が必要であろうと思っています。

とはいえ、戸塚で開催されたはじめての刀剣講座ということで、大変貴重な体験をさせて頂きました!

ご参加くださいました近隣の皆様、ご協力くださいました有燐堂戸塚店の皆様、この場をお借りしまして御礼申し上げます。

日本刀に関する講演

2015-09-09 11:29:12 | ブレイク
9月6日(日)、新宿高島屋さんで講演会を開催しました。



当日は午前中に会場入りし、会場の設営(展示用刀剣3振、解説用刀剣1振、解説用模造刀1振、研磨道具の設置)を行いました。



午後から刀剣に関する講演を行います。席に限りがあり、午前中から観覧希望者数名がお待ち頂いているという状態で、会場は立ち見の方がいらっしゃるほど、皆さん真剣に聴講くださいました。



内容は、来年の大河ドラマにちなんで「真田家と刀剣」について、話をさせて頂きました。

真田家は、俗にいう六文銭の家紋で知られ、幕末まで続く大名家です。その発祥は清和源氏とも百済王の子孫ともいいます。そんな真田氏が歴史の表舞台に登場するのは16世紀以降、上杉→武田→織田→豊臣→徳川と名だたる武将に仕え、文武に優れた人材を輩出しました。刀剣においても、有名刀工と少なからず関係があり、日本刀の話題に事欠きません。

来月も別の会場にて、同一内容の講演を行う予定です。



講演終了後も、刀剣研磨体験などを通して、刀剣文化の面白さをご紹介できるよう努めさせて頂きました。



ご来訪くださいました皆様、ご尽力くださいましたスタッフの皆様、この場をお借りしまして、お力添えの程御礼申し上げます。誠にありがとうございました!

染色体験

2015-09-05 18:12:13 | ブレイク
地元の某幼稚園で、染色の体験会を開催しました!



14家族計50名が、藍染めを体験します。



各自持ち寄った白無地のタオルやTシャツを使って藍染めに挑戦します!



はじめに、簡単な解説と方法をご紹介。



下準備を開始。



今回は、簡単な絞り染めに挑戦です!



通常はタコ糸などで確り留めますが、どの家庭にでもある材料を使いたかったので、輪ゴムを代用します。



子供たちが、おもいおもいに布地を結わいていきます。



今回の体験会は、流しそうめんの茹で汁で何かできないか?というご相談から出発しました。そうめんを茹でると大量の塩分を含んだ汁が余ります。全く利用価値がなくて捨てる事になるのが一般的ですが、茹で汁を触媒にして染色液を吸着させる実験的な試みでもあるのです。



どの程度のpHで最も反応が加速するのか?ということを、事前に研究しておいたため、ある程度の分析はできています。



この期に及んでも、まだピンと来ない・・・といった皆さんの面持ちが印象的です。



この度用いた染色液は、誰でも手に入る市販の液状タイプです。



匂いなどから合成染料の類いですが、気軽に扱えるので体験には十分だと思います。



お父さんたちのご協力の元、煮立った染色液を30分程撹拌します。
力任せだと、せっかく結わいた箇所が弛んだり、色のグラデーションが汚らしくなるので注意が必要です。



水洗いをして余分な染料を落としていきます。
染料はしばらく色が落ちるので、色落ちがなくなるまで根気よく洗います。



輪ゴムを外して広げてみると、途端に皆さんが笑顔になります。
出来上がった作品を拝見すると、皆さん個性的な仕上がりで、センスの良い方は商品として売れそうな完成度でした!

明日は、新宿高島屋での講演があります。頭を切り替えて、シナリオを作らないと間に合いません(汗)。

文化遺産としての「日本刀」の価値

2015-01-05 05:46:35 | ブレイク
某ビジネス誌に取り上げていただきました。


ビジネスの箸休めに 日本の伝統文化を知る
文化遺産としての「日本刀」の価値

大塚寛信は日本刀に新風を吹き込む新しい力である

大塚は、幼少期から剣道を学んだ。その後、居合道、抜刀道を学び、日本刀の奥深さを知るにつれて刀剣を本格的に学びたいと思うに至る。柄前師のもとで外装修復の修行をする傍ら刀剣の鑑定学を学び、学術的な知識の習得に努めた。その後も、研ぎ師のもとで刀身修復と専門家としての専門知識を学習する。一連の修復作業が、職人の自覚と本分を強く意識させる原動力となり、この道に専念する決意を固めるきっかけとなった。
従来、刀剣職人は刀匠・研ぎ師・鞘師・柄前師といった各職方が分業制で刀剣の製作に携わっているが、一人で研ぎと柄巻の技術を持ち、英語を操り海外との交流がある大塚は全く新しいタイプの存在である。

研ぎ師の使命

日本刀を研ぐということは、ただ「刃を立てる」ということだけが目的ではない。日本刀を美術品として鑑賞するための特殊な研磨法を用いて、刀身が持つ本来の美しさを最大限に表現しなければならない。そのためには、個々の刀身に関する知識の習得と刀身の個性的な魅力を引き出す技術力が要求される。また、日本刀は刀匠の技量や時代の様式を反映しており、過去に生み出された作品と同じ物を作り出すことはできない。そのことが、日本刀一振り一振りに重みを生じさせ、安易に扱われずに今日に至っているのである。そのため、現存する日本刀を研磨によって研ぎ減らすことはあってはならない。必要最低限の研磨により、最大限の成果が得られるように修復を行い、次の世代へバトンタッチすることにこそ遣り甲斐と職責を感じると言う。

柄巻は日本刀の顔

柄前師が刀剣外装の製作・修復を手掛けることは、元来「神格化されたお刀の御召し替えを奉る神事」としての性格がある。そのため工作を行う際には、身体を清め心を鎮めて執り行うが、拵えの顔に値する柄前の製作はただ厳格に伝統技法を守るだけでは務まらない。柄前は日本刀を武器として用いる場合に使用者が触れる唯一の部分であり、刀身の性能を最大限に引き出すための装置として働くのである。強度や使用感といった細部の精密な設定を経て柄前は完成する。いうなれば最古の人間工学に基づいた製品と言える。大塚が柄前を製作する時には、常々上記の精神とサイエンスの融合をカタチにする心持ちで取り組んでいる。

日本刀におけるトータルバランスの調整

刀身の研磨と柄前製作を手がけることで、日本刀におけるトータルバランスの調整を心がけている。本来、刀身の調整と外装製作は別工程なので各職方が執り行うが、両方を行うことにより刀身のとって最も良い状態に仕立てることで、使用者の要望を忠実にカタチにすることができる。これは、大塚自身刀剣を用いる武道を嗜むうえで常に悩み深い部分でもあるだけに、愛刀家・武道家の問題解決のお手伝いができることが一番の魅力であると考えている。また、正しい知識を持った職人が修復を手がけられるような仕組みを構築する必要性を感じている。そのような環境の整備が大塚の夢である。

構成/SAMURAI.JP 撮影・文/田川清美

小林秀雄氏の「鐔」

2013-02-03 13:26:09 | ブレイク
今年の大学入試センター試験の国語で、例年にはないある異変があったといいます。
それは、平均点が5割を下回るという、受験生泣かせな難問であったということです。
中でも難しい問題として、長文読解がありました。
今年は、表題の小林秀雄氏の「鐔」が出題されましたが、まさに私たち刀職の専門分野ということもあり、早速目を通すことにしました。

以下、大学入試センター試験原文より

     

問題文は後日アップしますが、まずは文章をご覧ください。
これを本当に高校生が読解できるのかな?と疑問に思う箇所も多々ありますが、業界人としては実にうれしい文章でした。
平均点が下がったのもうなずけますけれど・・・(笑)。

柄巻師(柄巻に見る日本の美と技)

2012-07-09 13:51:17 | ブレイク
ヤマハ発動機株式会社様の会報誌『 Y.T.S.ジャーナル 2012 No.74 』にて、柄巻師(柄巻に見る日本の美と技) と題し、当工房をご紹介頂きました。



柄巻師 TSUKAMAKISI

柄巻に見る日本の美と技

柄の部分に柄巻がされている傘を見たとき「カッコいい!」と思ってしまった。
衝動買いをして歩いていると外国人に「KATANA?」と聞かれ
ニヤニヤしながら「アンブレラ!」と答えた。それほど柄巻と日本刀はイメージが重なっている。
柄巻は世界に通用する日本オリジナルのデザインではないだろうか。
そんな思いから今回柄巻師大塚さんに柄巻についてお話を聞きにいった。


柄巻は日本刀の顔

 柄巻は日本刀を持つ柄(グリップ)の部分に柄糸(平織りのひも)を巻いたものである。日本刀のほとんどは柄巻をしているが、柄巻をせず白木や鮫皮を貼った状態の刀もある。日本刀の顔といってよい柄巻きは滑り止めと装飾を兼ねていて時代や流派により様々な巻き方がある。その柄巻を作るのが柄巻師であり、日本刀の外装(拵)をつくる職業の1つである。そのほかにも、鞘を作る鞘師や鞘に収めたとき刀身を固定させるハバキという部品を作る白銀師・鍔を作る鍔師などに分業化されている。

柄巻師という仕事

 柄巻師大塚さんの工房は北鎌倉に近い横浜市にある。なぜ柄巻師になったのかうかがった。子供の頃から海外環境に多く接してきた経験上、自分のアイデンティティーの根幹である日本文化に興味を持ったそうだ。剣道を始め居合道へ進み、そこから日本の伝統を伝える仕事に就きたいと大学に通いながら柄巻の修行をしていた。その後就職もしたが柄巻の修行を5年続け、砥師の修行も5年間したのち独立した。拵と砥ぎを一人でおこなうことができるのは唯一大塚さんだけである。修復のための漆塗りや柄糸の染色もおこなっているため拵師という名称も使っている。高学歴で海外経験が豊富という、私が思っていたイメージからはかなり違っていた職人さんだった。今はそのような職人の方も多いそうである。大塚さんの工房には現代の刀匠が打った刀や鎌倉時代の歴史的に重要な刀まで持ち込まれ依頼者の意向に沿うように拵が制作される。中には刃こぼれがあり実際に使用されたものもあるそうだ。
 実際に何本かの日本刀を持たせてもらった。落としてはいけないし、やはり緊張する。ズシリとした重さの中にも軽快感がある不思議な感覚だ。手を滑らしてはいけないので柄巻の重要性はよくわかった。また、日本刀によって重さもかなり違うことが発見である。とても錆びやすいので慎重に扱う必要があるとのことでした。

日本刀を文化として考える

 大塚さんは「日本刀を文化として広く認知してもらいたい」という話をされていた。世界で一番と言ってよい厳しい銃刀類の規制がある日本で刀が作り続けられている理由は、危険物としての一面はありながらも美術品としての価値が日本のみならず世界に認められているからである。
 外装の美しさばかりでなく鈍く光る刀身を鑑賞の対象とする刀剣は少ない。(刃紋のあるダマスカス鋼で作られたカスタムナイフなどは存在する。)
 歴史的にも日本独自の折返し鍛錬方法で鍛えられた日本刀は「折れず曲がらずよく切れる」ことで知られ優れた武器として明時代の中国へ輸出されていた。
 文化遺産としての日本刀の価値もある。平安時代前期までの真っすぐな両刃の剣から後期には片刃で反りのある日本刀の形に変わり、以降800年間基本的な姿は変えず作り続けられている。現在、日本には500万振りあまり現存しているそうである。その中には平安時代や鎌倉時代から引き継がれた刀も少なからず存在する。これほど刀剣が人の手により受け継がれ残っている国は世界に類を見ない。多くの国で不要になった刀剣は打ち棄てられまた死者とともに葬られ、出土という形で発掘されるため考古学の対象となっている。たしかに台湾の故宮博物院の目録を見ても武器はない。西洋でも教会に武器を奉納する習慣はないのではないだろうか。ヨーロッパや中国などと違い武官と文官が明確に分けられていなかったことや、平和な江戸時代になり武士の仕事のほとんどが行政にかかわるものとなっても「武士の本分」が刀を持って戦うことであることを忘れず受け継がれた。また、ヨーロッパで銃器の発達した17~18世紀に鎖国政策ときびしい銃器の管理により刀から銃器への移行が起きなかったなどが理由ではないだろうか。
 現在日本刀を作っている刀匠の数は350人しかいない、また一人の刀匠が作る事を許可されている本数は年24本に制限されている。伝統工芸品である日本刀の需要は根強いが職人の数は減っていて高齢かも進んでいる。その中で大塚さんは歴史を踏まえながら技術の継承のため新しいことに挑戦している。柄巻をした自動車のステアリングホイールやサイドブレーキまたバイクのグリップ(濡れると水を吸い評判はよくなかった)を作ったことがあるそうです。さらに、職人としての技術の向上と日本刀を文化として広めるため日本刀文化振興協会の幹事として活動して日本刀のファンを増やそうと活動している。

(松尾、仁志)

拵制作技法を用いた傘

2012-04-30 23:03:10 | ブレイク
オーダーメイドの傘が完成しました!

昨今、傘を刀に見立てた刀型傘(オモシログッズ?)が販売されていますが、どれを見ても芸術性に欠ける作り込みです。
そこで、刀剣職人が本気で拵工作技法を用いたらどうなるか?という試みに挑戦しました。



柄巻きの巻き出し部と留め部に用いた胴金制作時の投稿は、以下のリンクより:
アメーバブログ「槍金具」(2012年04月18日)

柄巻き部は、一枚巻きに施した鮫皮に漆を塗り、鉄紺に染色した正絹で柄巻きを施しました。
巻き方は、諸摘み巻きという、特に鑑賞用途の拵えに用いられる技法です。



柄(え)の湾曲部には、鮫皮の研ぎ出し加工を施しました。
傘の場合、どの部分に鮫皮の合わせ目を持ってくるべきか、非常に悩みました。内側だともっとも接触する箇所です。かといって、外側だと外見上不自然。そこで横につなぎ目をもってきました。
ご依頼者様の利き腕が、右利きであることから、ご使用時にできるだけ目立たない箇所につなぎ目が来るよう調整しました。



湾曲が強いので、鮫皮を数枚に切り分けて少しずつ皮を引き延ばしながら加工しました。
現在制作中の肥後拵写しにも同じ技法を用いる予定です。

持ち手の最後尾?には、銘木を用いて丸コジリ調の加工を施しました。



武士工芸にて販売している「番傘風モダン傘」の24本の骨組みとマッチしています。

世界に一張だけの特別仕様の傘が出来上がりました!

レア?マイノリティー?刀職者

2011-10-25 20:56:34 | ブレイク
本日は、赤羽へ行きました。

赤羽という地名は、とても素敵な響きがあります。
赤い羽根というと、共同募金のイメージがありますが全く関係なく、赤羽の発展史は鉄道の駅とともに始まったと言います。それまでの赤羽は、のどかな農村であったそうです。
鉄道の発展が、日本の近代化にいかに貢献したかをうかがい知ることができる土地なのかもしれません。

そんな赤羽にて、同じ年の優秀な日本刀研師小川さんとお会いしました。

日本刀研師小川和比古さんのサイト
http://www2.ocn.ne.jp/~ontama/

刀剣職人(以下、刀職者)というお仕事は、一般的には珍しい職業だと思います。

私の場合「柄巻き師です。刀剣の拵えを作っています。」といった自己紹介をするわけですが、毎回「熱くないですか?火傷しませんか?」といった、刀匠と混同した質問を聞かれます。
これは、刀剣研磨を専門にされている職人さん(研師)も同様のようで、小川さんも勘違いをされるのが常といいます。

刀剣製作が分業であることは、ご興味をお持ちの方でなければなかなか知られていないのかもしれませんが、刀剣の製作は完全なる分業制になっています。

・刀身を製作する刀匠
・刀身を研磨する研師
・ハバキという金具を作る白金師
・白鞘や拵の下地を作る鞘師
・拵の柄前を仕上げる柄巻き師
・鞘の塗装を施す塗師      など

私は、拵え製作(柄巻き師)を専門に活動しておりますが、刀剣への知識を深めるため刀剣研磨についても学びました。今後も刀剣に関する知識強化のため、多分野の技術も学んでいきたいと思っていますが、基本は柄巻き師として刀剣の修復や保存に努めて参ります。

さてさて、そんなレア?な、マイノリティー?な、刀職者が集まると、話はつきません。
時間があっという間に過ぎてしまう、一日でした。

目釘

2011-08-19 13:47:25 | ブレイク
この写真は孟宗竹製自在鉤の支柱部分です。



古民家のご当主からお分けいただきました。
既に築100年以上経つ歴史ある古民家ですが、ご当主が幼少期から自在鉤の支柱はこの竹であったといいます。
実に一世紀近い年月を経ていることになります。
そんな貴重な孟宗竹を加工してしまうのは勿体無い!とも思いますが、これ以上の目釘材はありません。



これだけあれば、一生目釘に困らないほど制作可能ですが、大切に使っていきたいと思います。

ちなみに、古民家は、年々その姿を消しています。
この自在鉤をお分けくださった古民家も、すでに取り壊しが決まっているとか…。
薄れゆく日本の原風景を思うと、悲しい気持ちになります。

伝統工芸と科学

2011-06-12 19:41:48 | ブレイク
伝統工芸の世界では、後継者不足に悩んでいる。

そんな出だしから、TBSのTV番組「夢の扉+」が始まった。
たまたまTVを見ていて、おっ!と思い視聴することに…。

京都工芸繊維大学の濱田先生が挑戦する、匠の技を科学的に解析するプロジェクト。
とても崇高な試みです。共感を覚えます。

濱田先生の研究には、以前に生分解性FRPの研究を個人的に行っていた時に興味を持ったことがあるのですが、濱田先生がこのような試みを行っていたことは全く知りませんでした。

伝統工芸の世界は、確かに継承の危機に瀕しています。
とはいえ、この番組が取り上げる様に、新しい試みが芽吹き始めていることも事実。
特に京都では、産官学が前向きに危機感を持って取り組んでいる事が何とも心強いばかりです。
後は、若い人たちが進んで伝統工芸の場へ飛び込んでくれる事を願って止みませんね。

ではでは、ちなみに関東ではどうでしょうか?
一部の地域を除いて、ほとんど全滅といっても過言ではないでしょう。
特に神奈川においては、古都保存法に定める古都を二地区(鎌倉・逗子)も含有しているにも関わらず、文化や伝統の継承への認識は不十分としかいいようがありません。

これからも、私個人では微々たる挑戦ですが、伝統工芸の新しいカタチに挑戦していきたいと思います。

考古学について考える

2006-12-30 12:36:18 | ブレイク
開国以前、日本には考古学という概念はなかったように思います。
なぜ、考古学という学問領域がなかったと思うのか?についてご紹介したいと思います。

まず、本邦には、世界に誇るさまざまな伝統文化や工芸技術があります。

そのほとんどは、今日も脈々と生き続けており、教養の一部として身につけることや現代作家の作品を購入することもできます。
文化というものが非常に身近な存在であるが故に、古美術品や骨董品の様に、慎重な扱いや特別な感情をもって接する類のものではありません。

例えば、日本が生んだ独自の文化であって、もっとも芸術性が高いものを例にとって考えてみますと、ここではあえて、和歌と刀剣について触れたいと思います。

万葉集や古今和歌集をひも解くに、日本人なら最低限の内容を把握することができます。
人間の営みにおいて、和歌に歌われた感情ほど共感するものはありません。
歌は、時空を超えて私たちに当時の人々の感情を伝えてくれるのです。

刀剣においても、1000年以上の歴史の中で、その構造や形状に明らかなる違いは認められません。すでに日本刀が生み出された時に、完成していたためと言われています。

もし、日本が外界からの干渉により、文化や言語を変えられてしまっていたとしたら、どのような影響が考えられるでしょうか。

たとえば、日本語の使用禁止、伝統文化の継承禁止といった、文化虐殺が行われたとしたら…。

万葉カナを読むことができるのは考古学者のみ、継承や伝承が途絶えた職人技術は過去の古美術品、骨董品の中にのみ認められる特別な存在になります。

日本は、外界から遮断された環境にあって、文化が途切れることなく継続されてきたとも言えます。これは世界的に見ても非常にめずらしいことです。

この様に、日本の文化は考古学的要素を踏まえていながらも、その実、過去の延長であると言えます。言い代えれば、身の周りが考古学的であり継続する歴史の一部なのです。
純粋に外界から隔離され、大きな変革のおこらない環境においては、人は過去の遺跡や遺品を研究したり、系統立てて考えることをしないのではないでしょうか。

そもそも考古学は、失われた文明や文化を発見する学問であって、日本においては文明が失われていない以上、それを探求することを誰も考えなかったのではないか?と考えると、島国日本の特殊性を改めて痛感する次第です。

このような文化的背景が、考古学という学問領域を本邦に定着させなかった理由の一つであると、考えてみました。

もちろん、何の根拠もないんですけどね(笑)。