徒然刀剣日記

刀剣修復工房の作品・修復実績と刀剣文化活動のご紹介

柄前の作成

2015-05-30 04:02:36 | 拵工作
刀剣外装で、意外と軽視できないのが柄の形状です。
柄成りなどと呼びますが、刀剣を生かすも殺すも柄成りにあるといっても過言ではないでしょう。



今回は、特に入念に柄下地の整形をおこないました。
もう何度もご依頼を頂いている方からのご注文ですので、ミリ単位での指示でも対応できる自信があるのですが、念のため使用者様の手形をお預りしました。

柄前師の本領を発揮するには、注文主様の依頼熟練度?も大きく関わってくるということになります。



そのため、オーダーメイドに不慣れな方の場合には、直接お会いしてお話しをお伺いすること・現在お使いのお刀を拝見すること・武道を拝見させていただくこと・何度もメールや電話でのやり取りを続けることで、潜在的なポテンシャルを引き出す努力をします。

さらに、そこに刀身との相性、拵えとしてのバランス、刀装具の選択、写し拵えの場合には掟との兼ね合いなども、関わってきます。



ただ使い易いだけでは、美的センスを疑ってしまいますので、微妙なラインを作り出すことも重要です。
それらは全て、実用の美の上に成り立っています。

6月6日「刀剣」と鉄文化にふれるツアーイベント開催します!

2015-05-26 23:33:28 | 徒然刀剣紀行
日本の刀剣は、大分類的には慶長期を境に古いものを古刀、新しいものを新刀と呼びます。さらに古刀の作風を分類すると、5つのグループに分けられます。それらは、大和(奈良)、山城(京都)、備前(岡山)、相模(神奈川)、美濃(岐阜)の5つの鉄の生産地を伝法とする考え方です。

中でも相州伝の伝法は、定石では「大板目肌に大乱の刃文を以って相州伝とする」とされていますが、最初期の相州伝は、山城鍛冶が鎌倉で作刀したためと解釈される程よく積んだ地金に小沸出来の直刃を焼いている物があります。

相州鍛冶の出現は、粟田口の国綱が建長期に北条時頼の求めに応じて下向し、その後、備前の三郎国宗、一文字助真が続いて、鎌倉鍛冶の源流となったと伝えられています。材料の鉄にいたっては他国より取り寄せて、武家政権の軍事需要に応えたというのが一般的な解釈です。

では、鎌倉幕府が置かれる以前に、関東に製鉄の文化はなかったのでしょうか?近年、栄区を中心に数多くのタタラ製鉄跡が発見されており、定説を大きく覆す可能性が出てきました。
そこで、横浜市栄区周辺に残る製鉄技術者の足跡を実際にたどり、関東の鉄文化と歴史を学ぶトレッキングツアーを開催いたします。

ご興味をお持ち頂いた方は、下記リンクよりお問い合わせください。
http://www.mononofukougei.com/event.html

刀剣修復

2015-05-22 03:01:23 | 刀身研摩
錆身刀身の修復が完了しました!



この度のお刀は、痛みの酷い軍刀拵をまとった見事なまでの?錆身でした。


・当初の状態(Before)

付属する軍刀拵は、戦火による焼失が酷い状態で、鞘はコジリ周辺で折れて柄頭は紛失、それでいて戦後70年ちかく全くの手付かずといった様相を呈しています。せめて油だけでもひいてくれていたならば、ここまでの状態にならずに復活させられたのですが、既に修復は難しい状態です。また、茎と鍔だけがピッカピカに磨かれており、もはやお刀としての価値を見出すことはできません(茎の錆は、刀剣鑑賞と鑑定の上で、大変重要な要素です!)。
拵えの状態から、焼き刃が鈍っている状態(俗にいう焼け身)の可能性を感じましたが、砥石を当てると刃紋が浮き出てきました!


・修復後の状態(After)

今回は奉納のためということで、修復をお受けしましたが、本来であれば刀剣の寿命が尽きているため修復をお勧めしない一振りです。また、奉納が目的ですので、通常の修復とは根本的に工作内容が異なります。できるだけ研ぎ減らさないことに集中しましたので、深い錆や傷、埋金の剥離などはそのままに仕上げました。



また、鑑賞が目的ではありませんので、化粧も必要最低限に仕上げました。



研磨の結果、刀身は無銘なれど、江戸時代・寛文期の作品です。生まれは良いお刀ですが、残念ながら70年間の朽ち込みを補修することはできませんでした。


・茎の錆は決して除去しないでください!(Before)

最後に、近年いたずらされた茎を修復して、刀身の修復はおわりです。


・一度磨かれた茎は、二度と元には戻りません(After)

ハバキは、できるだけ安価にて製作するため、古いハバキを一度分解してこの刀身にあわせて再度製作しました。これにより材料費を節約します。

後は、若干の調整をおこなって終了です!