肥前刀は、鑑定の大前提として刀を太刀銘に切り中心にふっくらと肉を付けて、脇差以下を刀銘に切り中心を角に仕立てるもの…とされています。これは肥前刀鑑賞の大前提であって、まず忘れてはならない掟です。
それでは、二尺を超える肥前刀で刀銘に切ったものはどうでしょうか?
単純に鑑定の掟通りに考えると、二尺以上の肥前刀は太刀銘でなくてはいけません。ということは、その肥前刀は偽物であるということになります。
江戸期などの一部の鑑定家などの中には、そうした鑑定が曲がり通っていた時代もあったでしょう。
しかしながら、学問は日進月歩で発達しています。
実は、興味深い記録が正広の末裔の方の家で発見されています。その興味深い記録とは、刀匠の正広家が主家であった佐賀藩鍋島家発行の作刀注文書を今日でも大切に保管しており、その中から見つかった書類です。
膨大な資料の中に「並鍛長脇差注文」という藩からの注文書が含まれていたのです。その注文書にある脇差の寸法は、ばっちり「二尺一寸七分」と記載されていました。
古い鑑定書の解説には、『二尺を越える寸詰まりの作には、刀銘に切ったものもある』とする記述があり、従来例外と考えられてきました。
しかしながら、これは明らかな誤説であって、例外ではなく刀銘の刀は『二尺を越える長寸の脇差』である!とするのが、正しい鑑定になります。
事実、二尺を越える脇差は、茎棟が総て角に仕立てられていて、掟通りの肥前刀となっているはずです。
このように、肥前刀の中心仕立てまでを視野に入れて鑑定を行えば、二尺を越えて刀銘に切られた肥前刀でさえも、「偽物」として誤認鑑定を招くことなく楽しく鑑賞することができると思います。
それでは、二尺を超える肥前刀で刀銘に切ったものはどうでしょうか?
単純に鑑定の掟通りに考えると、二尺以上の肥前刀は太刀銘でなくてはいけません。ということは、その肥前刀は偽物であるということになります。
江戸期などの一部の鑑定家などの中には、そうした鑑定が曲がり通っていた時代もあったでしょう。
しかしながら、学問は日進月歩で発達しています。
実は、興味深い記録が正広の末裔の方の家で発見されています。その興味深い記録とは、刀匠の正広家が主家であった佐賀藩鍋島家発行の作刀注文書を今日でも大切に保管しており、その中から見つかった書類です。
膨大な資料の中に「並鍛長脇差注文」という藩からの注文書が含まれていたのです。その注文書にある脇差の寸法は、ばっちり「二尺一寸七分」と記載されていました。
古い鑑定書の解説には、『二尺を越える寸詰まりの作には、刀銘に切ったものもある』とする記述があり、従来例外と考えられてきました。
しかしながら、これは明らかな誤説であって、例外ではなく刀銘の刀は『二尺を越える長寸の脇差』である!とするのが、正しい鑑定になります。
事実、二尺を越える脇差は、茎棟が総て角に仕立てられていて、掟通りの肥前刀となっているはずです。
このように、肥前刀の中心仕立てまでを視野に入れて鑑定を行えば、二尺を越えて刀銘に切られた肥前刀でさえも、「偽物」として誤認鑑定を招くことなく楽しく鑑賞することができると思います。