徒然刀剣日記

刀剣修復工房の作品・修復実績と刀剣文化活動のご紹介

紅葉

2011-11-30 18:10:53 | 徒然刀剣紀行
戸塚地域の田園風景が残る舞岡公園へ、散歩に出かけました。

今年の紅葉は、あまり期待していなかったのですが、意外や意外!美しい紅葉が見られました。



想像以上に綺麗な紅葉です。
もう少し早く来れば真っ赤な紅葉が見られたでしょうか?

舞岡公園では、福島原発事故による放射線の影響を検査したところ、乾しいたけから食品衛生法の暫定規制値500ベクレル/kgを上回る放射性セシウム1181ベクレル/kgが検出され、さらに「草木灰」からは、2651ベクレル/kgの放射性セシウムが測定されたといいます。
草木灰は、園内で回収した竹や木などを燃やした際にできるもので、公園内施設「小谷戸屋」で3月から11月にかけて約120袋を販売していたため、回収騒ぎになりました。

身の回りにある当たり前の風景にも、放射能の影は確実に忍び寄っているのだなあと、今更ながらに不安をおぼえます。



これから、長期にわたって健康被害や目に見えない不都合が発生していくのでしょうか?
次世代を担う子供たちに影響が無いことを願ってやみません。

柄前製作(その2、柄下地&角頭)

2011-11-28 00:12:25 | 拵工作
柄巻き師と総称される職人には、様々なタイプ?があります。
柄巻きのみを専門に行う職人、鮫皮の加工と柄巻きを行う職人、柄前全てを拵える職人…と、実に多種多様です。
どのタイプの職人が、良い悪いというものはありません。
ただ、どのような技術を継承したのか?だけの違いだと思います。
ちなみに、私は後者の柄前全てを拵える職人ですので、柄巻き拵師だとか拵師という通称を用いさせていただいております。

そんなわけで、今回は柄前全てを新規作成するご依頼です。早速、柄下地の荒削りが終わりました。
工作がやけに早いなあ?とお思いになられた方もいらっしゃるでしょうか?
実は、柄縁が決まらないうちから、少しづつ柄下地を作っておきました。
前回のアップロードが遅かったため、すぐに出来た様な印象がございますが、実際にはじっくり時間をかけて工作しています。

今日は、荒削り工程を終わらせた状態です。
柄頭の材料も、事前に大体の大きさに削りだしておいた物です。




昨今の現代拵を拝見すると、角頭が型で押したように同じ形状をしています。
規格化された角頭なのでしょうか?

拵には時代毎・地域毎によって、角頭の体配に違いがあるはずです。
これは私見ですが、ゴロンとした角頭は、田舎臭い印象を感じます。
私の場合には、角を削りだす工程から、ほどよく薄めに作る様に努めています。

次は、鮫皮の加工に移ります。

柄前製作(その1)

2011-11-27 10:59:58 | 拵工作
ここのところ手がけていた仕事の目処が立ったこともあり、今日から少しづつ拵工作を開始いたします。完全にこの仕事が片付くまでは、気が抜けないというのが正直なところですが…。合間合間に本職をこなしていかなければなりません。

お待ちいただいているお客様のことを考えると、一日でも早い工作を心がけなければなりませんが、こと拵工作に関しては1mmの誤差で仕上がりに大きな影響を与えてしまいます。
そのため、細心の注意を払うための最善策として、納期を定めないのが私の方針です。
偉そうに『方針』などと言っておりますが、お待ちいただいているお客様!どうかご容赦くださいませ。

さてさて、今回修復を手がける作品は、俗に言うサビ身の脇差です。
付属する鞘・刀装具は素晴らしい状態で、江戸中期は下らない作品です。
刀身の状態も申し分なく、研磨により見違える程の輝きを取り戻すでしょう。

お客様よりお預りしたものは以下の通りです。



・刀身(サビ身)
・ハバキ(金着せ二重)
・鞘(江戸末期)
・時代刀装具(目貫、鍔、切羽、小柄、柄縁)
・鮫皮

当初、時代の柄下地も付属されていましたが、状態を確認しました結果、使用不能と判断。
柄下地を1から興すことといたします。

応挙館

2011-11-03 00:08:27 | 徒然刀剣紀行
昨日、国立博物館の茶室「応挙館」へ行きました。

国立博物館ホームページによると、尾張国(現在の愛知県大治町)の天台宗寺院明眼院の書院として寛保2年(1742)に建てられた建築物だそうです。
後に、東京品川の益田孝(鈍翁・ 1848~1938)邸内に移築され、昭和8年(1933)国立博物館に寄贈され、現在の位置に移されたといいます。
室内に描かれている墨画は、天明4年(1784)、円山応挙(1733~1795)が明眼院に眼病で滞留していた際に揮亳したものであると伝えられています。

確かに見事な障壁画でしたが、2007年に作品保護のため複製画に差し替えられたのだそうです。

当日は、ほぼ一日応挙館で過ごしたにも関わらず、最高級の刀装具が一堂の会していたことや、若干酔いも回っていたこともあり、ほとんど障壁画をみる余裕がありませんでした。

残念!