人類と鉄との関係は古く、紀元前4000年とも言われる太古の昔から生活に取り入れていたと考えられています。最初期の鉄器の製造は、製鉄によって得られた人工的な鉄を用いたのではなく、隕鉄を加工していたと考えられています。では、製鉄技術が確立したのはいつ頃かというと、紀元前2000年頃の現在のトルコ周辺とされていますが、高度に実用化の域にまで高めたのはヒッタイトという認識で大体一致しています。ここでいう「実用化の域にまで高めた」技術というのが、鍛造の工程です。代表的な鉄器に、鮮やかな鍛接模様で知られるダマスカスがあり、現在のシリアの首都周辺で製造されていました。その材料とされる鉄こそが、インド産のウーツ鋼です。
前振りが長くなりましたが、このウーツ鋼にて紀元415年に作られた強大な柱が、1600年の時を越えて今日も朽ちることなく建ち続けています。
アショーカ王の柱とも呼ばれるチャンドラヴァルマンの柱です。
世界遺産クトゥブ・ミナール複合遺跡の一角にあり、世界七不思議の一つだとかオーパーツだといわれる錆びない鉄の柱です。子供の頃、この手の古代ロマンに心ときめかせ、いつの日かこの目で実物を見てみたいと夢にまで見た鉄の柱が今、目の前にあります!
思えば、鉄好きになったきっかけは、ほんの些細なこの鉄の柱の記事だったのかもしれません。科学的な解説や考察は、様々な研究者が取り組んでいますのであえて私から発信することはありませんが、なぜか表面の画像を接写する人が少ないことも不思議でなりません。
というわけで、地表から約120cmあたりの接写画像です(ちょっとブレているのは、ご了承ください)。
よく練れたドロッとした肌には、鉄骨や働きが縦横無尽に認められ、落ち着いた錆び色が上古刀の中心のようなシットリ感を彷彿とさせます。残念なことにフェンスが張り巡らされており直接触れることはできませんでしたが、異常なほど柱から離れない私を見かねた現地人(インドスズキ社員)が、いろいろ話してくれました。彼によると、ほんの10年ほど前まで柵はなく、触ることも出来たといいます。
しつこいようですが、チャンドラヴァルマンの柱はデリー郊外の世界遺産クトゥブ・ミナールにあります。鉄愛好家なら一度は訪れたい聖域です。
話は変わりまして、この度のインドでの武家文化紹介活動にご支援くださいました皆様にお手紙をお送りいたしました。諸事情により、対応が遅くなりましたことを深くお詫び申し上げますと共に、改めて皆様のご好意に対しお礼申し上げます。
ただ今、ご支援くださった皆さんへの更なるお礼を考えています!
前振りが長くなりましたが、このウーツ鋼にて紀元415年に作られた強大な柱が、1600年の時を越えて今日も朽ちることなく建ち続けています。
アショーカ王の柱とも呼ばれるチャンドラヴァルマンの柱です。
世界遺産クトゥブ・ミナール複合遺跡の一角にあり、世界七不思議の一つだとかオーパーツだといわれる錆びない鉄の柱です。子供の頃、この手の古代ロマンに心ときめかせ、いつの日かこの目で実物を見てみたいと夢にまで見た鉄の柱が今、目の前にあります!
思えば、鉄好きになったきっかけは、ほんの些細なこの鉄の柱の記事だったのかもしれません。科学的な解説や考察は、様々な研究者が取り組んでいますのであえて私から発信することはありませんが、なぜか表面の画像を接写する人が少ないことも不思議でなりません。
というわけで、地表から約120cmあたりの接写画像です(ちょっとブレているのは、ご了承ください)。
よく練れたドロッとした肌には、鉄骨や働きが縦横無尽に認められ、落ち着いた錆び色が上古刀の中心のようなシットリ感を彷彿とさせます。残念なことにフェンスが張り巡らされており直接触れることはできませんでしたが、異常なほど柱から離れない私を見かねた現地人(インドスズキ社員)が、いろいろ話してくれました。彼によると、ほんの10年ほど前まで柵はなく、触ることも出来たといいます。
しつこいようですが、チャンドラヴァルマンの柱はデリー郊外の世界遺産クトゥブ・ミナールにあります。鉄愛好家なら一度は訪れたい聖域です。
話は変わりまして、この度のインドでの武家文化紹介活動にご支援くださいました皆様にお手紙をお送りいたしました。諸事情により、対応が遅くなりましたことを深くお詫び申し上げますと共に、改めて皆様のご好意に対しお礼申し上げます。
ただ今、ご支援くださった皆さんへの更なるお礼を考えています!