オストメイトで山賊と海賊・・・銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話

去年は100の山を愛し、今年は108の山に恋をする。
夏は太平洋の大波で泳ぎ続け、日本の自然を愛して66年。

コタツ布団を洗濯・乾燥する登山

2018-11-09 10:27:38 | 価値観

 

 銀座の俺の店では、長年にわたって山で撮って来た写真を見ることが出来る。

 暇な連中が一服しにやってきては、黙って眺めてることもあるくらいに、色々と見れる。

 ・・・良いな~

 ・・・素敵ね~

 それを見て山に行きたいな~という話になっても、その景色を見る為に歩く道の9割は酷い道なんだよね・・・とは、なかなか言えなくなってる。

 知識とは、知っていること、知っていないことはその人の思考や感情の起点にはならず、素敵な妄想に酔いしれてる人の前で、その妄想を木っ端みじんにするような話は出来ないのが本当さ。

 素敵だったよ・・・の俺の素敵は、決してあなたの・・・素敵!・・・とはならないだろう。

 不動産の仕事には守秘義務やら告知事項の説明やらいろいろあるが、告知事項とは殺人や自殺・孤独死があったとかいう内容が有名だけんども、鼻白む話でも、事実は事実として伝えなければ、違反行為になる。

 その点、山の話では、ニコニコ笑って居れば済むことばかりだから、いちいち余計な話はしないのさ。

 俺のまわりには人生経験の豊富な連中が多いから、笑って目を見合うだけで意味が通じることも多いが、経験や知識の足りない人がそこに居ると、その意味すら解らないだろうし、誤解や錯覚の元にもなる。

 現代の大人社会とは、そういう行き違いがひじょうに多くなってるのも、行動しない大人が多いからなんだな。

 テレビや新聞やネットのダダ洩れ情報だけで、生きてるつもりになってる、惨憺たるものさ。

 行動してたって、そのネタや解釈は又聞きや創作が元になっておれば、触れてる対象も歪んでるんだろう。

 学問が細分化されて小難しい話ばかりになるのは良いけんども、人間と言う生き物の通釈が出来る大人が減ってくると、人間社会はとても生き難くなってゆくさ。

 

 人間の社会は歪んだ解釈に洗脳と煽動、これに満ち満ちている。

 どんだけ多くの知識を身に付けても、その解釈や使い道を誤ると、なにも知らない無知よりもタチが悪くなる。

 斜面の山ばかり歩いておると、平衡感覚がおかしくなることがある。

 たまに立ち止まって、地球の重力の方向を確認する。

 胸を張って、遠くを眺めて、確認する。

 人間の社会でも、これは大事なことなんだよ。

 

 今朝はこれから売買の決済・所有権移転に出掛ける。

 まだ左の膝が完治しないが、天気図をまた眺めておるわいな。

 コタツ布団を洗濯・乾燥しなきゃ~ならんから、山への道すがら、大型コインランドリーにも寄るか・・・。


怪我や病気はとっとと治し、遊ぶ

2018-11-08 10:38:23 | オストメイト

 

 朝、深川の下町で煙草を買ってたら、地元の町会長、古馴染みに声をかけられた。

 10年ぶりくらいか・・・お互いに老けてぼやけた爺ィになってるけんども、眼光は鋭いまんまで、同世代の爺ィの厳しい前半生が現れておったけんども、煙草は止める気もさらさらないと笑って別れた。

 

 昨日までは、左膝を引きずるようして銀座の街を歩いておって、みなに どうした? といちいち言われてたが、山でタヌキに喰いつかれた・・・その一言でだいたいは通じてる。

 痛くとも、せっせと丁寧に使っておって、昨夜はパウチの交換でまたストマの横の皮が痛くなっておったが、痛い痛いは言っても仕方の無いことで、我慢して丁寧に使うことで治すしかないわけだ。

 毎晩パウチのガス抜きで、2時間以上は睡眠が続かない生活でも、3年も続ければ慣れて来る。

 そもそもパウチのフィルターを開けておけば済む話だが、少しでも臭うのが俺には許せない。

 退院して、5カ月間、毎晩生皮を剥いでおった痛みに較べれば、ずいぶんと可愛いもんさ。

 ・・・と、今朝は左の膝がほぼ完治に等しい具合で、普通に歩いてる俺が居る。

 あとは時間を見て、温水プールで後ろ向きに歩くことで仕上がるだろう。

 自分の身体のすべてを把握しておけば、その対処も常に自分で解る。

 これでまた週末の山行は愉しいことになる。

 この回復速度だったら、まだまだ若いということさ。

 

 2件の裁判を原告とともにやっておって、弁護士を立てないで俺にやらそうとする原告も勝手なもんで、だから経費という名目で小遣いはもらうようにしてる。

 両方とも勝てる裁判だから、なんのこともないが、エエ歳こいていちいち細かく何度も聞いてくる原告には、好い加減に飽きてきた。

 あんたらがしっかりしておれば裁判にはならなかった・・・それが解ってない。

 直接に何度も言ってるけんども、自覚しない大人は仰山おるんやで、阿呆やな。

 

 トランプはアメリカの世界覇権放棄が唯一の仕事だから、そのためにはなりふり構わない行動を続けて行くだろうし、あと2年で、その道筋を作るだろう。

 上院・下院でねじれを起こしたのは、事が起こった時に民主党に責任を押し付ける意味でもトランプの思う壺だろう。

 中国とロシアは一帯一路政策で協調し合い、世界の中心をアジアの北に持って来ようとしている。

 中東やEUの話は、常にみなそんな思惑の中で生まれてくる出汁でしかない。

 日本はどうするのか? 安倍や麻生に聞いて答えられるものなのかどうか・・・いまや米国債を買わなくなってしまってるFRBや中国の代わりに、これからも米国債を唯一買い続けるくらいのことだろう。

 負けると解ってた太平洋戦争を始めた時もそうだし、国民が愚民化した頂点では、なんでも許される訳だ。

 後悔する生は生きない、そう生きて来た俺には、別世界の話題だな。

 こう生きて来て間違いなかったと、今さらながらに想うことは多い。

 少子化の子や孫に託した? 精進や切磋琢磨の必要がなくなった少子化の現場では、残念ながら、皆さん親や爺婆には、後悔ばかりの道しか残ってはいない。

 いま、笑って生きておれないで、愉しい未来などあるものでもないだろう。

 予定や都合なんて、その通りにはならない気休めさ。

 

 不動産という仕事は、その時代時代の世相を嫌と言うほど身近で見るものだけんども、ここ10年の変遷は良いとか悪いとかではなく、反吐が出るような想いになる仕事が多い。

 親の財産や資産をアテにして生きてる30~50代の連中は多い。

 親や爺婆に従順に従っておとなしく生きて来たことの意味が、それだったと言ってるような輩だ。

 ・・・自分の子供が受験やらで家計が大変になり、だからと言ってまだ元気な親を実家から引き取って、その実家を売りに出そうと考えてるようなのが居てさ・・・

 そういう話をうっかりしようものなら、その会話の相手もそうだったという、笑い話にもならない。

 70歳、80歳、90歳の年寄りが、生きて作って来た家や家庭の顛末が、それだったなんて、哀れだな。

 自分の家庭のためにと姥捨て山、ゼニカネだけで繋がっていたという、平成の終わりの夕闇か・・・。

 

 ということで、あちこちの高齢者の面倒や、子供らの面倒や、仕事の面倒ばかり抱えておっても、週末は山に出掛ける、それは譲れない、当たり前のことだ。

 右を向いても左を見ても・・・ロクでもね~し、上を見ても下を見ても、ロクでもね~。

 ロクでもね~奴らに、俺の愉しみの邪魔をさせる訳に、いかね~んでござんすよ。


秋の日の、ヴィオロンの溜息・・

2018-11-07 09:28:03 | 地球と生きる

 

 予防医学だとか、予防接種というものは、ひじょうに大雑把なモノで、人体の健全な機能や免疫まで殺してしまうという意味では、いかがなものかと首を傾げてしまう。

 ちょうどそんな予防医学が流行り始めてから、免疫異常や癌や難病というものが同時に登場してる。

 その関連については、だ~れも口を閉ざして語らないけんども、それもどうかと思うぜ。

 無関係であるはずがない。

 

 登山靴の履き方には、登りに緩く、下りにキツク、というのがある。

 つま先を傷めないようにする意味があるけんども、キツク締めすぎて足首の自由を奪われて、滑落してしまった登山者もおるくらいで、なにごともほどほどが良いわけだ。

 鵜呑みにする、湯のみで飲む、じかに自分で味わうことが一番だよ。

 

 エナガという鳥はときどき1500m以上の山の森で見掛けることがあるが、シマエナガという北海道でしか見られない真っ白な種は、いま人気なんだそうな。

 人間の欲望の対象となると、獣には不幸なことが起こる、黙って独り独りが眺めておれば良いではないか。

 共有するという、感動を共有するという、ならば日常生活でも旦那や女房や恋人を共有してるのか? 独占してないのか? 人間の価値観なんてその時の風情でしかなくって、人類の在り方にはとどかない。

 現代社会で言えば、家や家庭はその愚かな生き様の最たるもんだろう? おかしな獣は、人類のほうだろう。

 互いに遠慮などせずに自由に生きて、それで共にいることに意味があれば夫婦であって、そうでなければとっとと別を探した方がエエんやないけ?

 陰でコソコソばかり、遠慮して気を使って神経すり減らし・・・って、阿呆やね?

 その時々の機微としてつく嘘には意味があるが、スケベ根性だけの嘘には意味などない。

 

 いろんな自分の子供たちを見て居って想うことがある。

 普通の親ならば、子が巣立っていったまんまの生活をそこで送っており、子は親のことを巣そのもののように想うんだろうが、俺はまだまだ色んなことをやっておって、離れて暮らす子らとの距離は拡がっているということ。

 子らが成長するスピードよりも、俺の変わるスピードの方が速いんじゃ~ないかとすら想う。

 たまに会うと、想うこと、会話が成り立たない。

 まだそんな次元にいるのか? そんな会話をさせられる俺は疲れるだけだな~、そういうこと。

 感情や思考の位置が、思考脆弱・経験不足過ぎる。

 すでに止まってしまってるのか? とさえ想うことがある。

 人間の社会の不思議さは、遺伝と言う、本来ならば親が生きた生の終わりから、次の子が生きる、そういう経験値がナニも遺伝されないことだ。

 繰り返すか、下がるか、突拍子もない生を送るか、そこに獣としての進歩や進化は、まるでない。

 これは自分自身を眺めて見ても、言えることだ。

 滞留している。

 結局、親であっても、上も下もロクでもね~、俺がここに生きてる、それだけのことさ。

 

 さ、今朝はこれから裁判所に原告と一緒に出掛けて来る。

 原告も被告も、みな身勝手な連中だと想いながら、空を眺めてると良い塩梅だ。

 草津の奥の紅葉の山に登って、草津の湯に浸かって来たいと、ふと想った朝だ。


銀座でもアライグマを見たが・・

2018-11-06 10:53:16 | 銀座

 

 銀座でもアライグマを見かけたな。

 江東区では以前からアライグマを深夜に見掛けることがあったが、とうとう隅田川を越えて銀座まで入り込んできてるが、どの橋を越えてきたんだろうか? とか言ってる俺は呑気過ぎるのか?

 築地の市場が豊洲に移転して、その廃墟の解体によって舞い上がるアスベストやらの埃と、何千匹と言われてるネズミの移動が、銀座にも押し寄せて来るともっぱらの立ち話だが・・・アライグマがネズミの天敵になれば、上手く行くのか??

 山ではいろんな獣たちと出会うから、別にアライグマだって銀座に居ても驚かない。

 地球は人間だけのものじゃ~ない。

 独特の甲高い声で鳴いておったな。

 

 柔らかいふかふかの紅葉の道のあとに、アスファルトの雨の道を長く歩いたせいかそうか、左の膝が痛くなってたから、昨日は仕事の合間にも左膝のストレッチを続けておったら、だいぶん良くなった。

 身体は病気や怪我や故障があると、安静にすることが一番良くない。

 自分で動かなくなったら、そこで自己治癒能力は低下する。

 読んで字のごとし、自己で治癒する能力。

 病院に行ったところで、おなじことさ。

 とにかく動かしながら治すのが一番だ。

 関節や筋は特にそうで、長引かせると癖になる。

 60歳も過ぎて来ると身体は甘やかせるとすぐに使いモノにならなくなってくる。

 で、今日もなるべくゆっくり歩いている。

 

 広島の厳島神社の紅葉は、あと2週間くらいか・・・90歳の爺様の大腸癌の見舞いに、行ってくるか。

 明日は裁判に原告と一緒に出掛け、売買の決済もあるし、銀座の店舗の契約打ち合わせもあり、他にも売買の契約打ち合わせやら決済の打ち合わせやら・・・時間がとれるかな・・・。


渓谷だらけの国で、紅葉見物渋滞

2018-11-05 10:38:49 | 地球と生きる

 

 紅葉の季節は、情報としてあちこちに紹介されている場所は阿呆みたいに混んでいる。

 その情報を現場に行くことで共有したい人たちが混んでいるわけで、別に俺みたいな他人のことなんざ興味もないオヤジには、つまらない渋滞に巻き込まれることすら迷惑な時間の無駄。

 日本はその国土の9割が山と谷で出来ておる。

 渓谷だらけだと言っても良いのに、ダダ洩れになってる情報では数えるほどしか渓谷はないようだ。

 馬鹿じゃ~ね~かとは、言わないが、阿呆じゃね? とは想ってる。

 そういう場所にでも素敵な景色があることもあるが、登る山の登山口が隣接することもあるが、ならば暗いうちから歩き始めて、混む前にとっとと移動する、これは当たり前のことだな。

 

 定年退職して、その後を考えてる世代、これが俺の世代だ。

 ところが俺にはそんなものがハナからなくって、創業10年・20年・30年でもナニもなく、生きて居っても区切りや催しなど別になんもなく、ずっと生きて居る、それだけしかない。

 葉や花や実がすべて落ちてしまって、立ち枯れの林のような感じだ。

 孫が生まれて急にお爺ちゃんやお婆ちゃんになってるのを見ると、アホか? そう想っている。

 いちいちまわりの変化に自分の生き方を衣替えしてるなんて、安っぽい置物か? 死ぬまで現役、これしかない。

 頭は真っ白ケッケ、年中真っ黒に日焼けしてケッケ、大笑いして生きてるのが一番だ。

 

 この週末は景色が望めないと踏んでおったから、10キロチョイの紅葉歩きと、7キロチョイの雨のアスファルト歩きで、山用の車を息子に奪われたから無理をしないで過ごして居った。

 夜に向かい合って寿司を喰いながら聞いたとこだと、同棲してる彼女とその母親と、横浜中華街に飯を喰いに行ったらしい。

 別にあんたの人生なんだから、好きにすりゃ~エエがな。

 ナニが起きても自分で解決するしか他に人生はない。

 子供らのこれからを悩む親や爺婆は多いけんども、俺にはそれがまるでない。

 あちこちにいるせいでもない。

 10歳前後まではキチンと一緒に遊んで育てて来てるが、それが終わったらあとはあんたの人生。

 成人すればどう生きようが自由なんだし、俺にはすでに関係の無い別物の話になる。

 俺も相変わらず自分の生をせっせと生きて行くだけのこと。

 森の獣たちとな~んも変わらない、それが人間社会では歪んでるだけのこと。

 冬眠から醒めた熊の母子は、春のうららかな森で木の実をむさぼり喰らうことから始まる。

 腹一杯に食べて、うっとりと眠る・・・その中で母熊は子熊からじょじょに離れて行き、永遠の別れをする。

 生きるとは、その繰り返しでもある。

 メンドクサイ名やモノを子に遺す人類とは、そのシンプルさが違う。

 俺も若い頃はそのメンドクサイ極みを生きて居った時期もあったな。

 硬いアスファルトの道は、ときどき歩いておると膝が痛くなることがある。

 高い橋の上から雨に煙った景色を眺めておったが、やっぱり俺は高いところから遠くを眺めるのが好きなんだとつくづく想った。

 老眼も酷くなってるから近くのモノはどうでも良くなってる。

 遠くが良く見える、これはとても良いことだろう。

 

 さ~、雪山になってるから、山用の車はスタッドレスに替えよう。