門前の小僧

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【日本文化のキーワード】第十一回 読み人知らず

2024-08-13 17:46:40 | 名言名句



 今回のキーワードは、「読み人知らず」。昔も今も、多く見られる無名の人々の名歌や名言・格言をご案内していきましょう。

 名言・名句のホームページ【言の葉庵】では、これまで偉人の言葉や文章を紹介してきました。これらは著名人の名言です。かたや、歴史に名を遺さぬ庶民・一般人にも多くの名歌や名言があり、記録・伝承されてきたのも事実。むしろ無名人の飾らぬ直接的な言葉や言い回しには、はっと胸をつかれるものが多いのではないでしょうか。

「実るほど頭(こうべ)をたれる稲穂かな」

 知識や教養が充実した立派な人ほど、他人に対して謙虚になる、というたとえです。『俳諧・毛吹草』に、「ほさつみがいればうつふく にんげんみがいればあをのく」とあります。
 「ほさつ」とは菩薩で、米のこと。稲穂は実れば、重くなって垂れてくることに対して、人間は実(金・地位)が入れば、頭が高くなり、人を上から見下すとの意味です。

 『俳諧・毛吹草』の言い回しが、人から人へと言い伝えられ、やがて同句の形をとるようになったと考えられています。作者不詳句です。

 以下、【古典篇】と【現代篇】の二部にて、〔無名人の名歌・名言〕をご案内していきましょう。


【古典篇】

1.万葉集

 日本最古にして、世界最大規模とされる詩歌集である万葉集。
 全4500首のうち、2100首以上が作者未詳歌(詠み人知らずの歌)です。名もなき人が詠んだ極めつけの名歌を〔挽歌〕の中から一首見てみましょう。

「さきわい(福)のいかなる人か黒髪の白くなるまで妹がこえ(音)を聞く」
(万葉集 1411番 詠み人知らず)

 伴侶に先立たれた夫が詠んだものと思われます。
 ああ。なんと幸せな人々なのだろう。黒い髪が白くなるまで妻の声が聞けるなどとは……。
 歌の修辞ではなく、直接的で切実な言葉が、しみじみと人の心に伝わってきます。もう二度と妻の声を聞くことができないのだ。今目の前を行く、あの老夫婦のようには。
 失くしてしまった人が、いかに自分にとって大切なものか、と気づく瞬間の思いは千年以上の時を経ても、変わらずぼくたちの胸を打ちます。


2.古今和歌集


 古今和歌集も全1100首のうち、約4割が読み人知らずの歌であるとされています。
 もっとも有名なのが、日本の国家「君が代」ではないでしょうか。この歌も読み人知らずで、明治時代にメロディーがつけられました。

 それでは、古今和歌集の中から次の一首を。

「春ごとに花のさかりはありなめど あひ見むことはいのちなりけり」
(古今和歌集 巻第二 春歌下 詠み人知らず)

 毎年春になると花は今を盛りと咲くのだけれど、このように花(あなた)とまた会えたのはお互い命あってこそなのですね。
 歌意はこのようなものですが、一時に満開になり、あっという間もなく散ってしまう桜に、日本人は命のはかなさを歌にたくしてきたのです。
 芭蕉の次の句も旧友との再会を喜び、かつ互いの命のはかなさを嘆じたものでした。

「いのちふたつの中にいきたる桜かな」
(野ざらし紀行 松尾芭蕉)



3.千載和歌集


 勅撰集に入れられた歌のうち、「読み人知らず」の作者には次の3つの分類があります。

(1) 作者不明の歌
(2) 一般人・庶人など身分の低い、無名人物の歌
(3) 世上に記載が憚られる、勅勘の人物の歌

 千載和歌集には上の(3)にあたる〔記載が憚られる〕作者の有名な歌があります。

「さざなみや志賀のみやこはあれにしを 昔ながらの山桜かな」
(千載和歌集 巻第一 春歌上 66 詠み人知らず)

 実は、この歌の作者は当時世上に名高い平家の一門、平忠度その人でした。
撰者である藤原俊成と忠度は和歌の師弟関係。平家が都落ちするに際し、忠度が師に託した自歌の巻物の中から俊成が千載和歌集に入れた一首です。
 しかし世は源氏。滅ぼされた平家一門の名を勅撰集に入れることを憚って、「読み人知らず」として扱われたのでした。

 能<忠度>は、読み人知らずがテーマの名作です。自らの歌が「読み人知らず」とされたことを怨んだ忠度の亡霊が、俊成門の僧の前に姿を現し、自分の名を和歌集に入れてほしい、と嘆願する物語です。「読み人知らず」というより、「読み人いえず」でしょうか。忠度の兄、経盛の歌も同様に「読み人知らず」として入選していました。

 世阿作の多くの名作能は、歴史の闇に葬り去られた〔救われぬ者〕にスポットライトを再び当て、無念の魂を救済しようとしたものなのです。



4.庶民の辞世の歌

 江戸期の無名の人々の秀歌を〔辞世の歌〕から選んで、以下にご紹介しましょう。


●商人の娘(年代不明 享年二十八)
辞世の句、三句
(題:湯灌いや)「おのづから心の水の清ければ いづれの水に身をや清めん」
(題:経かたびらいや)「生まれ来て身には一重も着ざりけり 浮世の垢をぬぎて帰れば」
(題:引導いや)「死ぬる身の教えなきとも迷うまじ 元来し道をすぐに帰れば」

「黒甜瑣語」にのっていた話。丹波の国の商人の娘、二十八歳で死亡したが、上の辞世の句三首を残していました。


●乞食女(一六七二没 享年不明)
辞世の句
「ながらえばありつる程の浮世ぞと 思えば残る言の葉もなし」

寛文12年4月、京都三条橋の下で二十歳あまりの乞食女の遺体が発見されました。自害とみられ、かたわらには上の辞世の句が残されていたのです。これが都で評判となり、ある貴族もこれに対して返歌を詠みました。

「言の葉は長し短し身のほどを 思えば濡るる袖の白妙」(新著聞集)

彼女の意図に反し、三百年以上も「言の葉」は残り、今も聞くものの心を打ちます。



【現代篇】


5.現代の名言


 普段、よい言葉、うまい言い回しを耳にし、目にした時、メモをしたりポストイットを貼ったりすることはありませんか。それが何の役に立つのかわからないまま、しかしどこか心の琴線に触れる文章は記録したくなるものです。

 故永六輔さんは、長年にわたって無名の人々の〔名語録〕を集めてきました。
以下、永六輔さんの『聞いちゃった! 決定版「無名人語録」』(新潮社 2003.1)より、ちょっと笑えて、ほろりと泣けて、パンと膝を打つ、無名の人たちの言葉をいくつかご紹介してみましょう。
 同書は雑誌『話の特集』と『週刊金曜日』に20年間にわたり、連載を続けてきた〈無名人語録〉の編集版です。永さんが自ら〔歩く盗聴器〕となって、全国津々浦々を旅して集めたものです。


◆永六輔の無名人語録 抜粋

「人間が生きていられるのは、地球が生きているからです。
地球が死んだら人間も死にます。
地震も台風も洪水も、あらゆる自然災害は地球が生きている証拠です」


「神さま、どうぞ、娘の生命をお助けください。
私の生命とひきかえにしてくださって結構です。
なんでしたら家にもう一人年寄りがいますので、この二人の生命で、娘の生命とひきかえにしてください」


「鉛筆のような人になりなさい。
芯がチャンとあって、まわりに気(木)をつかいなさい。
……うまいでしょ……?」


「無理させておいてよ、
無理するなよっていう奴、
いるよ」


「世の中、何を知っているかじゃありません。
……誰を知っているかです」


「二番目に好きなものを生業におしよ、
一番目は遊びで楽しむもんだ」


「もっと寝てたらどうなの。
今日から会社に行かなくていいのよ。
もっと、寝てなさいよ」


「お金は淋しがりやなんですよ。
だから、お金はお金のあるところに行くんですね」


「運命っていうけどさ、
運と命は違うものです。
命は決められたものです。
運は自分で決めることができます」


「愛することの反対は、憎みあうことではありません。
無関心になることです」


「日本は子供の国だ!
そう思うと納得のいくことが沢山ありますね」


「天才といわれる人は病気なんですよ。
でも、それを治すと、普通の人になっちゃいますからね」


「死んで貰いたい人は……死なんなァ」


「死ぬ前になりますと、人間は炭酸ガスが増えるんです。
この炭酸ガスに麻酔性がありますから、最後はそれほど苦しまずに終わるように出来ているんです」


「人間、息を引きとっても、暫くは耳が聞こえているんです。
だから通夜で偲んであげるんです。
ちゃんと聞いているそうですよ」


「読経でなくても、故人の好きな音楽でも音響でもいいんです。
故人を偲ぶのに手助けになればいいんです」

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第一回 もののあはれ
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※「侘び」については以下別稿参照

[目利きと目利かず 第三回]
http://nobunsha.jp/blog/post_25.html

[目利きと目利かず 第四回]
http://nobunsha.jp/blog/post_28.html