門前の小僧

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絶世の美女&古今無双の剛力「巴御前」

2016-03-22 18:59:45 | カルチャー講座
明日、3/23自由が丘産経学園にて能〈巴〉の鑑賞講座があります。

〈自由が丘産経学園〉
お能鑑賞 はじめの第一歩 ~能の奇跡を観る~
3/23(水)10:30-12:00
第六回:木曽義仲に恋する女荒武者「巴」
講師 水野聡
http://nobunsha.jp/img/kozalist.pdf

◆能〈巴〉
分類 二番目物(修羅能)
作者 不明(観世小次郎信光・世阿弥作の両説あり)
出典 「平家物語」木曽最期事、「源平盛衰記」
季節 春(旧暦一月)
場所 近江国粟津が原
登場人物
前シテ 里女
後シテ 巴御前

・構成
旅の僧が琵琶湖畔で、いわくありげな里の女にであい、その地が木曾義仲の終焉の地であることを知る前段、里の女が義仲の愛妾で家臣でもある巴御前の亡霊であるとわかる間狂言部分、巴の霊が義仲と最期をともにできなかった無念を語り、女武者としての奮闘を舞う後段からなる。

・主題
修羅物の中でも女を主人公とする唯一かつ異色の作品である。幽玄な女に武者が憑くことを世阿弥は『風姿花伝』で固く戒めているのだ。
木曽義仲戦死を愛妾巴の側から描いている。巴の献身的な愛が、主題といえよう。巴は主の義仲と”共に枕を並べて討ち死にする”ことが元来の望みであった。しかし義仲は巴が女であるという理由で、それを許さずわれのみ自刃し巴を郷里へ帰す。義仲の思いやりは巴にとってかえって恨めしい。その執心が今も残り、彼女の霊魂は浮かばれず戦死の場所に祀られた義仲の祠を守って仕え続けているのだ。

同じ木曽義仲の最期に取材した曲に「兼平」がある。これは通常の平太物で、ただ主人公の忠義と勇壮を見せるだけであるが、「巴」の勇壮は愛の奉仕に裏付けられた勇壮。よって、より一層複雑かつ、深刻な動機を含んでいるといえよう。

・全国の巴伝説

1. 駒かけの松(富山県高岡市戸出町)
伝説によると、義仲は倶利伽羅峠に向けて進軍中に、大清水村の一人の娘が川で布を晒しているところに通りかかった。そのときの義仲の無礼に腹を立てた娘は、義仲を馬もろとも持ち上げて戸出村の方へ投げ飛ばした。馬は田んぼ数十枚を越えて松の木の枝に引っ掛かった。この村娘は、義仲にその豪胆さを気に入られて召し抱えられ、後に巴御前となったと伝えられている。

2.巴御前の石 (新潟県津南町大平)
大井平集落に、巴御前が今井城から投げたという伝説の石がある。地元の人が「巴御前の手の跡がある」という。今井城を築城したとされている今井兼平の乳兄弟が木曽義仲で、源平合戦を最期まで共に戦った仲であったことから、義仲の愛妾、巴御前の伝説がここに残っているのかもしれない。

3.そでふりの松 (長野県南木曽町読書) 
南木曽町読書の神戸地区にある古松は、木曽義仲ゆかりの町史跡「かぶと観音」近くの旧中山道沿いにあった。樹齢約130年、根元の直径は約1メートル。「袖振りの松」と呼ばれてきた。町誌によると、義仲が弓を引く際に邪魔になり、巴御前が袖を振って横倒しにしたが、そこからまた芽が出て、何代目かになる-と伝わる。
近年、松くい虫の被害がはなはだしくやむをえず切り倒された。しかしこの松は水舟に加工され、かぶと観音境内に設置。義仲が腰掛けたと伝わる「腰掛石」の脇に寄り添うように置かれている。
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