門前の小僧

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太鼓は、神に向かって打つ。〔芸術文化はなぜあるのか 2.〕

2016-03-18 17:14:56 | 文化・芸術
小寺佐七氏(観世流太鼓方)は、祖父より「なぜ太鼓を打つのか」という問いに対して、次のように教えられたと述懐します。

「能の舞台で太鼓を打つのはお金のためじゃなくて、神様に向かって打ってるんだ」
(『能楽タイムズ』2016年3月号 能楽対談第五七三回)

【言の葉庵】でも以前、能という芸道はそもそも何のためにあるのか、という点について考察しました。

◆文化芸術は何のためにあるのか
http://nobunsha.jp/blog/post_111.html


『風姿花伝』より、世阿弥の言葉を再録してみましょう。

「そもそも芸能とは諸人の心を和らげて、上下の感を為さん事、寿福増長の基、仮齢延年の法なるべし。極め極めては諸道悉く寿福増長ならん」

「寿福増長の嗜みと申せばとて、ひたすら世間の理にかかりて、もし欲心に住せばこれ第一道の廃るべき因縁なり。道のための嗜みには寿福増長あるべし。寿福のための嗜みには、道まさに廃るべし。道廃らば寿福おのづから滅すべし。」
(『風姿花伝』第五奥儀讃嘆云)

「すべての芸術文化は、人類の幸せと長寿を招くためのもの」と、世阿弥は父観阿弥より、その本質を学びました。金儲けやただ己の名声を目指した芸は、それらが手に入らないどころか、やがて身の破滅を招くばかり、と肝に銘じたのです。

この教えは、六百年余の時を超え、今日の能の世界にしっかりと受け継がれました。上のように家訓として代々伝え、実践する能の家が多いのです。


音楽を“神への捧げもの”と考えた、若き日のバッハに以下の言葉があります。

「私がつね日ごろ究極目的といたしておりますのは、ほかでもありません、神の栄光のために、かつまたその御意思にそわんがために、整った教会音楽を上演いたしたい」
(J.S.バッハ/ミュールハウゼン 1708.)

天高く静止する、指揮者のタクトも、太鼓方の撥も、そこに音楽の神が宿る瞬間を待ち受けているのです。ただ、己を虚しくして。

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