門前の小僧

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次回【言の葉庵】現代語訳『十牛図』

2014-04-16 20:51:18 | 中国古典
禅の悟りを開く修行の手引きとして高名な『十牛図』。
わが国では、禅画の画材としてまず知られ、室町時代の禅画家周文の作品がもっとも有名です。

『十牛図』は、図、とあるように絵が主役。十枚の、牛と人間が登場する、現代風にいうならば“パラパラ漫画”。起承転結のある絵で追うストーリーなのです。
一枚一枚の絵に象徴的なタイトルと、短い「序」と「頌(じゅ)」とよばれる詩のような、解説のような短文が、それぞれ付されています。

古来『十牛図』には複数の系統があり、わが国へ伝来・普及しているのが、中国北宋代の禅僧、廓庵禅師のものです。
禅は本来「只管打坐」といわれるとおり、ただひたすら座禅する修行により悟りを開くもの。
しかし坐り続けるうちに、未熟な段階では自ずと雑念、妄念が湧いて出て、なかなか悟りを開くまでにはいたらないのです。そこで、修行の指針、導きの書として『無門関』のようなテキストが考案されました。しかし禅は、「不立文字」「教外別伝」を根本教義とし、文字や言葉による教えを嫌います。
よって、文字にくらべ、直覚的にイメージトレーニングできる、“絵”による修行のガイド、『十牛図』が誕生したのです。

『十牛図』、十枚の絵のタイトルは以下。

尋牛(じんぎゅう)
見跡(けんせき)
見牛(けんぎゅう)
得牛(とくぎゅう)
牧牛(ぼくぎゅう)
騎牛帰家(きぎゅうきか)
忘牛存人(ぼうぎゅうぞんにん)
人牛倶忘(にんぎゅうぐぼう)
返本還源(へんぽんげんげん)
入鄽垂手(にってんすいしゅ)

この絵の中の“牛”は、真の自己を象徴しています。真の自己はもともと自分の中にあるはずなのに、これを見失ってしまった主人公は、1枚目の「尋牛」より、延々と続く「自分探しの旅」へと困難な道のりに立ち向かうのです。
苦労の末、ようやく牛の足跡にたどり着き、求める牛をついに見つける。しかし、牛は嫌がって捕らえられた綱を引きちぎろうと暴れます。主人公は、牛をどうにか手なずけ、飼いならし、なんとか元の故郷へと牛に乗って帰っていきます。ところが、家についたと思ったとたん、牛は影も形も消えてなくなってしまう。さてその後…。

以上が、おおまかな十枚の絵のストーリー。
いうまでもなく、牛=真の自己を見つけることは、覚醒すること、悟りを開くことの比喩にほかなりません。絵に付された廓庵と弟子による「序」と「頌」は、それぞれ深いサジェスチョンを与え、ダイレクトに『十牛図』の世界へいざなってくれるもの。



【言の葉庵】では、廓庵『十牛図』を全文現代語訳にて読者のみなさまにご紹介します。
テキスト公開は4月末~GW頃の予定です。

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