「学びのフォーラム山科」で「丹後七姫伝承」乙姫から、光秀の娘細川ガラシャまでの
講座を聴講しました。
京都の北、丹後半島には、色々の伝承あるが、丹後にまつわる 「七姫」を観光と結びつけて
「町おこし」 として売りだそうという、試みだそうです。
七姫とは
1、浦島伝説と乙姫
2、間人(はしひと)皇后 (聖徳太子の母)
蘇我氏と物部氏の戦いの時に、戦火を逃れた。
しばらくの滞在し、退座したので、その地名が
間人(たいざ)と言われるうようになった。
3、丹後の羽衣伝承
「天の原ふりさけみれば霞たち家路まどひてゆくえ知らずも」
4、丹後の小町伝承
「花の色は移りけりな いたずらにわが身よにふる ながめせしなに」
小野小町の伝承は各地にのこされている!
5、義経と静御前 丹後網の町の伝承では、義経亡き後、母とともに
余生を送ったという! 全国各地に終焉の地の
伝承がのこされている!
6、安寿姫と厨子王 姉弟は、丹後の山椒太夫に売られ、安寿が追っ手
の目をくらますため、沼に入水し、安寿王は逃げ
丹後の国守になり、山椒太夫を処罰!
7、細川ガラシャ夫人
光秀の娘、玉は細川忠興に嫁したが、父光秀が本能寺の
変を起こしたがために、丹後国味土野の山中に幽閉された
キリスト教を信仰するようになり、忠興が上杉征伐に出陣中
に、石田三成の人質になるのをさけるため、自害した!
(クリスチャンのために、配下に、殺すように命じた!)
丹後には、色々な伝承が残っているのですね!
2月の「学びのフォーラム山科」 のスケジュール
講師の伝承学会会員 山崎 泰正氏
講座を聴講しました。
京都の北、丹後半島には、色々の伝承あるが、丹後にまつわる 「七姫」を観光と結びつけて
「町おこし」 として売りだそうという、試みだそうです。
七姫とは
1、浦島伝説と乙姫
2、間人(はしひと)皇后 (聖徳太子の母)
蘇我氏と物部氏の戦いの時に、戦火を逃れた。
しばらくの滞在し、退座したので、その地名が
間人(たいざ)と言われるうようになった。
3、丹後の羽衣伝承
「天の原ふりさけみれば霞たち家路まどひてゆくえ知らずも」
4、丹後の小町伝承
「花の色は移りけりな いたずらにわが身よにふる ながめせしなに」
小野小町の伝承は各地にのこされている!
5、義経と静御前 丹後網の町の伝承では、義経亡き後、母とともに
余生を送ったという! 全国各地に終焉の地の
伝承がのこされている!
6、安寿姫と厨子王 姉弟は、丹後の山椒太夫に売られ、安寿が追っ手
の目をくらますため、沼に入水し、安寿王は逃げ
丹後の国守になり、山椒太夫を処罰!
7、細川ガラシャ夫人
光秀の娘、玉は細川忠興に嫁したが、父光秀が本能寺の
変を起こしたがために、丹後国味土野の山中に幽閉された
キリスト教を信仰するようになり、忠興が上杉征伐に出陣中
に、石田三成の人質になるのをさけるため、自害した!
(クリスチャンのために、配下に、殺すように命じた!)
丹後には、色々な伝承が残っているのですね!
2月の「学びのフォーラム山科」 のスケジュール
講師の伝承学会会員 山崎 泰正氏