2015京の夏の旅で、「旧嵯峨御所大覚寺門跡の 秩父宮御殿が特別公開」
しているので行ってみました
旧嵯峨御所大覚寺門跡は平安時代に嵯峨天皇が営まれた離宮であった寺です。
静かで、今も王朝の雅な雰囲気を漂わせていますので、優雅な気分になれる寺でした。
秩父宮御殿は右側の建物
今回特別公開される「秩父宮御殿」は、大正12年に東宮仮御所の霞ヶ関離宮(現在の国会前庭)に建てられ、
後に大覚寺に貴賓館として下賜されたものです。8畳座敷と8畳次の間、10畳の間があり、
書院造の建物内部は上品な色彩の花鳥の襖絵で飾られています。
左側の建物は 秩父宮御殿
現在は皇室などがお見えになった時に、休憩所などに使用されているとのことです。
宸殿(重文)や、正寝殿(重文)、御影堂、五大堂などが回廊で結ばれ、今も王朝の雅な雰囲気を漂わせています。
宸殿
江戸時代、後水尾天皇より下賜された寝殿造りの建物。
宸殿
天皇に入内された徳川2代将軍秀忠の娘、東福門院和子が、女御御殿の宸殿として使用していたもの。
妻飾り、破風板、天井などに装飾がこらされている。廊下・広縁はすべてうぐいす張りとなっている。
宸殿
御影堂(みえどう)
御影堂(みえどう)内部
勅使門 台はなんのため?
ポスタ―がありました
)
安井堂
京都東山にあった安井門跡蓮華光院の御影堂を、明治4年(1871)に移築。
内部には後水尾天皇の像が安置されていた
天井に絵が描かれていました。
堂内部は、内陣の格天井鏡板に花鳥などを描き、その奥の内々陣の折上の鏡天井に壮麗な雲龍が描かれている。
安井堂天井雲龍図(やすいどうてんじょううんりゅうず)
五大堂
茅の輪がありました
参拝の仕方の説明文
五大堂から大沢の池が見えます
大沢の池
大沢の池
庫裏
しているので行ってみました
旧嵯峨御所大覚寺門跡は平安時代に嵯峨天皇が営まれた離宮であった寺です。
静かで、今も王朝の雅な雰囲気を漂わせていますので、優雅な気分になれる寺でした。
秩父宮御殿は右側の建物
今回特別公開される「秩父宮御殿」は、大正12年に東宮仮御所の霞ヶ関離宮(現在の国会前庭)に建てられ、
後に大覚寺に貴賓館として下賜されたものです。8畳座敷と8畳次の間、10畳の間があり、
書院造の建物内部は上品な色彩の花鳥の襖絵で飾られています。
左側の建物は 秩父宮御殿
現在は皇室などがお見えになった時に、休憩所などに使用されているとのことです。
宸殿(重文)や、正寝殿(重文)、御影堂、五大堂などが回廊で結ばれ、今も王朝の雅な雰囲気を漂わせています。
宸殿
江戸時代、後水尾天皇より下賜された寝殿造りの建物。
宸殿
天皇に入内された徳川2代将軍秀忠の娘、東福門院和子が、女御御殿の宸殿として使用していたもの。
妻飾り、破風板、天井などに装飾がこらされている。廊下・広縁はすべてうぐいす張りとなっている。
宸殿
御影堂(みえどう)
御影堂(みえどう)内部
勅使門 台はなんのため?
ポスタ―がありました
)
安井堂
京都東山にあった安井門跡蓮華光院の御影堂を、明治4年(1871)に移築。
内部には後水尾天皇の像が安置されていた
天井に絵が描かれていました。
堂内部は、内陣の格天井鏡板に花鳥などを描き、その奥の内々陣の折上の鏡天井に壮麗な雲龍が描かれている。
安井堂天井雲龍図(やすいどうてんじょううんりゅうず)
五大堂
茅の輪がありました
参拝の仕方の説明文
五大堂から大沢の池が見えます
大沢の池
大沢の池
庫裏