工房八重の部屋

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海の見える絶景のトルコ記念館、樫野埼灯台

2020年01月30日 | Weblog
ホテルを出て、最初に行ったのが、海が見える絶景のトルコ記念館と

樫野埼灯台です!

この場所は以前にミステリーツアーで行きました!この場所はオスマン皇帝の特使を乗せて

日本に派遣されたエルトゥールル号が、帰国の途にあった1890年(明治23年)

、樫野埼灯台近くで台風のために座礁しました。艦長以下犠牲者587名という大惨事であった.!

紀伊大島の島民たちの必死の救助で助かったのは、わずかに69人に過ぎなかった。

しかし、この献身的な救助活動は、トルコ国民に直ちに伝えられ、今でも時代を超えて語り継がれています!

トルコ人の遭難者に温かい対応を行ったことが、日本とトルコの友好の始まりとして有名なエピソードになっている。

トルコ記念館はこの出来事を記念し、1974年(昭和49年)12月に遭難現場付近の紀伊大島に建設されました!

トルコに旅行に行った時にトルコ人の現地ガイドの方から、このエルトゥールル号の話を聞かされました!

駐車場でバスを降りて、歩いて海の景色見ながら、トルコの碑や記念館など見ながら、

樫野埼灯台まで歩きます!

小学校の教科書にも載っている有名な話とのことです!

95年後この両国の「絆の物語」には続きがあります。イラン・イラク戦争で緊迫する状況の1985年、

イラン在住の日本人200人以上が脱出できず途方に暮れていた。

同年3月17日には、イラクのフセイン大統領が 「48時間後にイラン上空の全航空機を撃墜する」と世界に向けて発信した。

世界各国は自国救援機をイランに派遣したが、日本は自衛隊機もまだ法律的に直接派遣できず

民間航空会社も危険を理由に救援チャーター機にしり込みした。テヘラン空港に駆け付けた在留邦人は出国できず、

そのまま空港で爆撃されるかということになった。

その時、窮状を救ったのはトルコ政府だった。2機のトルコ航空機をテヘランへ派遣することを申し出て、

215人の在留邦人を無事に救出することができた。当時イランにいたトルコ人は、日本人よりはるかに多い500人以上で、

彼らは陸路を車で脱出するしかなかったという。この事実も当時の日本人は知らなかった。

在留邦人たちの感謝の言葉に対して、トルコ政府ははっきりと答えた。

「私たちは、95年前の日本人の恩を忘れていません」 このエピソードはNHKで見たことがあります!

トルコ人は恩を忘れない、という東洋的なところがあり、トルコ国内の旅行しても皆さんは親日的でした!
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バスでトルコ記念館、樫野埼灯台にむかいます


対岸に泊ったホテルが見える


トルコ記念館、樫野埼灯台の場所の地図




トルコの初代の大統領の像




灯台に行く道は海が美しい!




記念碑


水仙が満開です!




樫野埼灯台




樫野埼灯台の上に登りました!






絶景の景色です!