工房八重の部屋

京都の紹介、日々の出来事や思いを綴ってます

「京町家の再生と歴史的な街並み」の講座、景観の保存問題

2011年02月13日 | Weblog
山科アスニーでの、今週の講座は 「京町家の再生と歴史的な街並み」でした。

京都は、三方が山に囲まれて、自然溢れ、寺院などが残り、1200余年の歴史が

ある町並みです。今や、年間5000万人の観光都市になり、古くからある歴史ある

町家の景観を残そうという運動が、盛んに、行われています。

京都市内には、約5万軒の町家がありますが、年々2%位の町家が減少してる現状

だそうです。

4、8万軒の町家は、再生が可能ですが、その内1割~1,5割が空家とのことです。 

空家を無くしていったり、外観を伝統的な美しい町家に戻す改装や、新たに建つ

マンションの屋根を瓦葺きにし、1階を和風の外観にするなど、工夫することにより、

京都という土地柄にあった、外観を取り戻そうという試みが、なされています。

町家を再生する時の、補助金制度を確立する必要があります。

日本の気候にあった材料は、その土地に産する、檜や杉などの木材が、湿度や、シロアリ

に強く、木でしっかりと建てられた建物は、修理すれば100年でも、

耐えられるとのことです!

建物を壊すより、修理、改装して、住む方がエコなのです。

講師の方は、京都市景観・町づくりセンターの事務局長の 福島貞道氏で

今、京町家を保存する組織が、色々あるので、町家に住みたい等という希望ある人や、

今風に変わってしまった外観の京町家の改装などを、相談窓口に相談する事

が出来ます。



講師の方は、京都市景観・町づくりセンターの事務局長の 福島貞道氏


花街  宮川町の町家の町並み


京町家の建物


残っている京町家とビルの、無秩序な町並みの現状


外観を矢印の写真のように、改装した例


外観を矢印の写真のように、改装した例


民間建築物も和風にした例


公共建築物も、和風の外観にした例


マンションの屋根を瓦葺きにし、1階を和風の外観にするなど、工夫することにより、
京都という土地柄にあった、外観を取り戻そうという試みが、なされています。


ガレージもシャッターにせず、和風のガレージの外観に改装している!


看板の撤去


放置自転車は、町並みの景観を妨げ、人や車の通行を妨げている!


ブライトンシティのお値打ちランチバイキングは満席の人気!

2011年02月12日 | Weblog
山科駅前にある、ホテルブライトンシティのお値打ちランチバイキング(2000円)

に友人が、レストラン券を頂いたからと、招待してくださいました。

友人3人と、久しぶりのブライトンシティでの、ランチバイキングです。

店内は、平日のせいか、女性ばかりの満席状態で、予約しないと、席が取れない位の

人気のバイキングだそうです。

品数は20品と、少ないのですが、女性向けのあっさりとした優しい味です。

美味しく、2000円のお値打ち価格なので、人気があるのがわかります!

スワロフスキーで作った香水瓶の携帯ストラップに、友チョコを足して、御礼に

させていただき、もう1人の友には、友チョコをプレゼントしました。

もう1人の友も、ご馳走のお礼を、プレゼントしていて、私にも美味しい塩昆布を

戴きました。ゆっくりと、喋りも楽しんで、プレゼント交換会もあったりで、心暖まる

楽しいランチでした。  ご馳走様でした! 


店内は女性で、満席の人気のバイキングです。


品数は20品と少ないのですが、女性向けのあっさりとした優しい味です。


デザートも充実! バイキングに行くと、口が卑しいので、食べすぎてしまいます。
夕食は、スープのみにしましょう! 


メインディシュ3品から、1品選べます! 魚を選びました。


ステーキも、プラスの金額を支払うと、選べます。
柔らかく美味しいステーキとのことでした。

バレンタインは,友チョコ、感謝チョコを贈る機会です!

2011年02月11日 | Weblog
バレンタインまであと数日!

昨年、パソコン教室の方から、友チョコを戴き、思いがけなくて、嬉しかった経験が

あり、今年は、友チョコと感謝チョコを、贈ることにしました。

毎年、この時期には、特別養護ホームに入居している友人に、

お見舞チョコを届けていました。その友人には、13日の日曜日に届ける予定です。

いつも買って食べ慣れている、モロゾフのリンゴが入ったチョコなどは、300円代の

値段で買えるので、もらう方にも、負担にならないかもしれません!

予算は6000円位で、7~8人の方に差し上げる予定です。

人によっては、ドンクのバレンタインバージョンの、チョコ餅パンも、差し上げる当日に

購入して、チョコレートに足して、入れました。

新聞によると、自分チョコや、友チョコの割合が、今は、6割をしめているとか?

心を暖めてくれる友人や、お世話になっている方に、少しは感謝の気持ちが、

伝えられる機会です。

さらに、バレンタインは、贈るという楽しさをも、味わえるイベントかもしれませんね!


食べ慣れているモロゾフのチョコを買いました。値頃で味もわかっているので、
安心して贈れます!
バレンタイン用に売られているチョコは、内容の割りに高いし、美味しくないチョコがあったりします。


光悦寺は凛とした山中の静寂の中、七席の風雅な茶室が点在!

2011年02月10日 | Weblog
 光悦寺は、元和元年(1615)に本阿弥光悦が徳川家康から、鷹峰一帯の地を寄進され、

その地に、本阿弥家代々の位牌堂を、建てたのに始まったということです。

光悦は、桃山・江戸時代の芸術家で、この地に親族縁者や工匠などと移り住み、

芸術家村を築きました。

又、光悦は、刀剣の鑑定のほか芸術指導者として活躍しました。

晩年は、創作、雅遊の日々を送り、寛永14年(1636)八十歳で同地で没し、

翌年の寛永15年(1637)に、日慈上人(本法寺の十二世)を開山に請じて、

寺に改められ、光悦寺となりました。

凛とした冷気の山中にある光悦寺の散策路を歩くと、七っもの風雅な茶室が

点在していて、光悦が、芸術家村を築いた当時の、趣きが残っています!

寺という雰囲気がなくて、鐘堂も茅葺きで、すべてが、美的で風雅な雰囲気の光悦寺

は、自然と調和した、境内の清冽な美しさを、楽しませてくれる寺です。

他に一組の客が居たのみの、自然に溢れた静寂の中で、安らぎのひと時を過ごせました。


説明文


光悦寺の門


茅葺きの鐘堂


光悦垣


他に一組の客が居たのみの静寂の中を散策しました。
光悦が、芸術家村を築いた当時の、趣きが残っています!



風雅な茶室が山中に点在している


凛とした冷気の山中にある光悦寺の散策路


大虚庵


本阿弥庵


了寂軒


本阿弥光悦の墓


鷹ヶ峰・鷲ヶ峰・天ヶ峰の鷹峰三山


山を望む展望席


「観光バスによる団体の拝観はお断り」 とは、珍しい寺です

わら天神(敷石神社)の変わった名はどういう由来なのでしょうか?

2011年02月09日 | Weblog
わら天神(敷石神社)の変わった名は、どういう由来なのでしょうか?

以前から疑問でしたが、行ってみて、安産の神様と判明!

稲のわらで編んだ籠で、神撰を捧げ、落ちた藁を、妊婦が拾い安産のお守りにしたこと

から、安産のお守りとして、籠を切り取ったわらを、授与するようになり、

わら天神と呼ばれるようになったとのことです。

天長八年(831年)年が、起源の歴史ある神社です。

妊婦らしい女性の親子づれが、腹帯を買い求めていました!

仲の良い母娘の様子が、微笑ましい風景でした。


西大路に面した、一の鳥居


二の鳥居


由来


境内


舞殿


拝殿


境内からの二の鳥居


妊婦らしい女性の親子づれが、腹帯を買い求めていました!
仲の良い母娘の様子が、微笑ましい風景でした。

大将軍八神社のある妖怪ストリート(大将軍商店街)ってどんな通り?

2011年02月08日 | Weblog
以前新聞によく記載されていた、妖怪ストリートに行ってみました!

なんで?妖怪なのでしょうか?

この商店街は、妖怪グッズで、町おこしのために、妖怪の手作りの人情味あふれる

お化けたちを、店先に飾っていました。

通りにある大将軍八神社は、平安京造営の際、方位の厄災を解除する社として

内裏の北西角に、創建された神社とのことです。

平安時代は、疫病や、死、などを祟りと考えたり、陰陽師の活躍した時代で、

市内にある、御霊神社は、先祖の霊を祀り、御霊・怨霊を鎮めるために創建されたので、

この妖怪ストリートも、それに、ちなんだのでしょうか?

全国の商店街が活気を失っている昨今ですが、この商店街も、人通が少なく、閑散と

していました。 活気をとりもどすために、妖怪の色々なイベント、妖怪行列など、

を行っているとのことです!


妖怪ストリート(大将軍商店街) 
ごく普通の商店街でした。 閑散として活気がありません。


妖怪ストリートの、のぼり


大将軍八神社の鳥居


大将軍八神社は、平安京造営の際、方位の厄災を解除する社として
内裏の北西角に、創建された神社とのことです。


通にあった酢を製造していた店  こういう町家の店が並んでいれば、魅力ある町並みですが
ごく普通の作りの店で、特徴あるものを売っている店が、少ないので、魅力が無い!


天狗

 

 
店先に飾られた、妖怪達


妖怪ラーメン  
新聞にはこの店の記事があったのですが、昼時12時半の時間の店内には
一人の客もいないので、店に入るのは、二の足を踏んでしまいました。

「丹後七姫伝承」乙姫から光秀の娘、細川ガラシャまでの講座!

2011年02月07日 | Weblog
「学びのフォーラム山科」で「丹後七姫伝承」乙姫から、光秀の娘細川ガラシャまでの

講座を聴講しました。

京都の北、丹後半島には、色々の伝承あるが、丹後にまつわる 「七姫」を観光と結びつけて

「町おこし」 として売りだそうという、試みだそうです。

七姫とは

1、浦島伝説と乙姫

2、間人(はしひと)皇后 (聖徳太子の母)
               蘇我氏と物部氏の戦いの時に、戦火を逃れた。
               しばらくの滞在し、退座したので、その地名が
               間人(たいざ)と言われるうようになった。
3、丹後の羽衣伝承
   「天の原ふりさけみれば霞たち家路まどひてゆくえ知らずも」

4、丹後の小町伝承
   「花の色は移りけりな いたずらにわが身よにふる ながめせしなに」
               小野小町の伝承は各地にのこされている!

5、義経と静御前    丹後網の町の伝承では、義経亡き後、母とともに
               余生を送ったという! 全国各地に終焉の地の 
               伝承がのこされている! 

6、安寿姫と厨子王   姉弟は、丹後の山椒太夫に売られ、安寿が追っ手
               の目をくらますため、沼に入水し、安寿王は逃げ
               丹後の国守になり、山椒太夫を処罰!

7、細川ガラシャ夫人
              光秀の娘、玉は細川忠興に嫁したが、父光秀が本能寺の
              変を起こしたがために、丹後国味土野の山中に幽閉された
              キリスト教を信仰するようになり、忠興が上杉征伐に出陣中
              に、石田三成の人質になるのをさけるため、自害した!
              (クリスチャンのために、配下に、殺すように命じた!)

  丹後には、色々な伝承が残っているのですね!


2月の「学びのフォーラム山科」 のスケジュール


講師の伝承学会会員   山崎 泰正氏     

本能寺はビルの谷間にあり、広大な敷き地に末寺92もあった面影は無い!

2011年02月06日 | Weblog
大河ドラマで、本能寺の変が、放送されるので、青春時代の思い出深い、本能寺に、

40数年振りに、行ってみました。

市役所前の御池通に面して、若き頃、洋裁を勉強した、藤川学園の校舎はまだありました。

校舎の裏が、本能寺で、いつも境内を、教室の窓から、眺めたりしたものです!

織田信長は、日承に帰依して、本能寺を上洛中の宿所としていたが、1582年6月21日

(天正10年6月2日)、信長が明智光秀率いる軍勢に包囲され、自刃する事件が起き

(本能寺の変)、その際、堂宇を焼失しました。

1587年(天正15年)豊臣秀吉の命で、現在の寺域(中京区寺町御池下ル)へと、移転されて、

5年後には伽藍も再建され、現在の御池通と、京都市役所を含む、広大な敷地がありました。

江戸時代には、末寺92を数える大寺院になっていた。 という本能寺ですが、現在は

境内は、ビルの谷間にあり、塔頭は七寺のみです。

七寺の塔頭の後は、墓になっていて、千坪は越えているくらいの広い墓地は、ビルの中の墓地

で、ビルと墓との、ミスマッチの、ビックリするような光景でした。

信長の遺体は、発見されなかったので、全国に墓があると、大徳寺の総見院の信長一族の墓

にお参りした際に、聞いていましたが、本能寺には、廟とお墓がありました!

守衛さんから、色々興味深いお話を伺って、思い出深い、本能寺を、後にしました。


旧藤川学園の校舎は、本能寺文化会館になっていました。
卒業してまもなく、短大になるために、白川通に校舎を建て、移転されて、
現在は短大コースは無くなり、4年制の京都造形大学になっています。


御池通からの入口


本堂


展示会が開催されていて、信長や森蘭丸の刀や茶器が展示されていました。


七寺の塔頭が並んでいる!


境内
秀吉によって移転再建された本能寺は、現在の御池通と、京都市役所を含む、広大な敷地で、
江戸時代には、末寺92を数える大寺院になっていた。 現在は境内は、ビルの谷間にあり、
塔頭は七寺のみです。


七寺の塔頭の後は、墓になっていて、千坪は越えているくらいの、広い墓地はビルの中の墓地
で、ビルと墓との、ミスマッチの、ビックリするような光景でした。


信長廟


廟の奥には、信長の墓がありました


本能寺の変、戦没者の合祀墓


寺町通にある門


本能寺の門がある寺町商店街






東本願寺の御影堂は世界最大級の木造建築、阿弥陀堂は今修理中!

2011年02月05日 | Weblog
東本願寺は、親鸞聖人七百五十回御遠忌が近く行われ、全国からの信者が集まり、混雑するの

で、静かな間にと、10年ぶりに行ってみました。

世界最大級の木造建築の御影堂は、屋根の葺き替えなどの工事は終了していましたが、

スロープなどの工事中で、阿弥陀堂は、これから何年もかかっての、屋根の葺き替え

工事中なので、情緒のない景色の、東本願寺でした!

阿弥陀堂の工事が終えるのは、何年後になるのでしょうか?

次に、行く時は、工事が終了してから、行ってみたいものです!


京都タワーと、御影堂門


門前の掘りのある風景


御影堂門


親鸞聖人七百五十回御遠忌の看板


工事中の看板


境内 



世界最大級の木造建築の御影堂は、屋根の葺き替えなどの工事は終了していましたが、
遠忌に向けての、スロープなどの工事中でした。


御影堂と工事中の阿弥陀堂


御影堂内部


御影堂から、前にある御影堂門を望む!


工事中の阿弥陀堂


阿弥陀堂入口


阿弥陀堂内部


境内の鳩


菊の門  勅使門で開かずの門

京都国立博物館の敷地に李朝墳墓石像庭園、江戸時代様式茶室がある!

2011年02月04日 | Weblog
京都国立博物館に行った際に、敷地の案内のプレートがありました。

東側に、東庭園と茶室があるので、行ってみましょう!

東庭園には、李朝時代(1392~1910)の貴人達の墳墓に飾っていた、石像群があり

墳墓を再現した庭園に、なっていました。

大正時代に、大阪山本家の日本庭園に飾られていた石像で、廃園になったので、

昭和50年に寄贈されたとのこと!

茶室、堪庵(たんあん)も、庭園が公開されていました。

江戸時代の貴族文化の伝統を、受け継いだ茶室で、美術愛好家の上田氏より寄贈された、

茶室とのことです!

博物館に来る人は知らないのでしょうか? 散策しているのは、私一人で、静けさに

満ちていて、心静かな時間を、過ごすことが出来ました。

京都国立博物館の正面横に建っている、二対の十三重塔石塔は、源義経の家人の

佐藤継信、忠信、兄弟の墓で、近くの馬町にあった鎌倉時代のもの!

二対の石灯篭も、鎌倉時代のものだそう!  横に説明文がありました。

正面噴水近くに建つ、ロダンの考える人を。しげしげと眺めて、京都国立博物館の敷地内

の散策が終わりました!

いつも博物館内に直行していたのですが、敷地内を散策してみたら、色々と面白いものを、

発見した、収穫ありの日でした!


敷地の案内プレート


登録有形文化財の建物


石仏がありました! この敷地は、昔は豊国神社の敷地であった名残なのでしょうか?


東庭園から、京都国立博物館の建物が見える!


東庭園には、李朝時代(1392~1910)の貴人達の墳墓に飾っていた、石像群があり
墳墓を再現した庭園に、なっていました。


大正時代に、大阪山本家の日本庭園に飾られていた石像で、廃園になったので、
昭和50年に寄贈されたとのこと!


墳墓の配置図


茶室、堪庵(たんあん)も、庭園が公開されていました。


茶室門


玄関



江戸時代の貴族文化の伝統を、受け継いだ茶室で、美術愛好家の上田氏より寄贈された、
茶室とのことです!


茶室庭


東大路側に面している庭!


二対の十三重塔石塔は、源義経の家人の佐藤継信、忠信、兄弟の墓で、近くの馬町にあった
鎌倉時代のもの!


二対の石灯篭も、鎌倉時代のもの


ロダンの考える人   
型をとり、流しこんで作られたものなので、日本内には、あと数個はあるとのことです。

京都国立博物館「筆墨精神」展、中国書画の世界は国宝が十点もある!

2011年02月03日 | Weblog
「筆墨精神」展、中国書画の世界は、京都国立博物館で、2月20日まで開催されています。

お習字を習いはじめて、10ヶ月目なので、参考になればと、気楽な気持ちで行ってみた!

行って、ビックリ! 国宝に指定された、書が、十点もありました! 重文も数多い!

5世紀の写本は、国宝になっていたりなので、館内の学芸員らしい人に、色々と尋ねて

みました。 中国から、借りて、展示している展示会だと、思って行きましたが、

重文や国宝に指定されている、ということは、現在は日本にあるということです!

これだけの名品が、なぜ日本にあるのでしょうか?

上野コレクションが寄贈されて、50周年を記念しての展示会がそうです!

朝日新聞社の創業者の一人の、上野理一さんによって収集され、子息の朝日新聞社主

の上野精一氏から、京都国立博物館に50年前に寄贈されたとのことです。

収集に際しては、京都帝国大学の内藤湖南教授が助言して、系統的に集められた

上野コレクションということです!

書聖として有名な、王義之(おうぎし)の草書を、今に伝える法帖として、世界に名高い

「宋拓十七帖」 国宝、四世紀など、約110件が展示されていた、スゴイ展示会でした!

中国の名品が、数多くあるのを見て、日本の浮世絵の価値が、明治時代になっても

認められず、多くの名品が、海外へ2足3文で売られたこともありますので、

中国も、同じ経緯で、多くの書画が、混乱期に、海外に流失したのでしょうか?

中国から仏教や文化が渡ってきましたが、その時に日本にも、これらの書画が渡って

きたのでしょうか? 

5世紀からの、もろい紙の素材の書が、焼失や、粉々にもならずに、保存されているので、

貴重なコレクションですね!


看板


ポスター


京都国立博物館


入口


ロダンの考える人の像が建っている!



お値打ち価格でうまい牛肉と評判の「はふう」のランチは美味!

2011年02月02日 | Weblog
グルメ雑誌によく記載されていて、お値打ち価格で、うまい牛肉と評判の「はふう」のランチ

を食べに行きました!

この店の、極上和牛のステーキは3990円、評判のビーフカツレツは3990円です。

昼に行くと、ランチサービスで、ご飯、味噌汁、小鉢、サラダ、コーヒがつき、

ランチ時は、値頃のランチメニューがあるので、行列していることもある!とかで、

早めの、12時前に行きました。

何を食べましょうか?

隣では、ハンバーグ定食を食べていたので、私も注文しましたが、

ハンバーグはジューシーで、上にかかっている、デミグラスソースは絶品でした!

テーブル席もあるので、ゆっくりと友人とランチ食べに行くときは、名物のステーキや

ビーフカツレツを、食べてみたい店です。

もちろん、値頃なサービスが付くランチ時に!


はふう本店


ランチメニュー  ランチ時は、ランチサービスで、ご飯、味噌汁、小鉢、サラダ、
コーヒがつきます。


店内 
スタッフは、キビキビして活気があります。 カウンター席16席、奥にテーブル席
が20席あります。


ハンバーグはジューシーで、上にかかっている、デミグラスソースは絶品でした!
ハンバーク定食は、1580円のお値打ち値段!


食後のコーヒ






京町家で開催された、京町家から出た処分品の催しに行ってみた!

2011年02月01日 | Weblog
京都新聞に、京町家から出た処分品の催しがあり、京町家で開催されている、という記事が

あり、30日が2日目で、最終日というので、お昼頃に、行ってみました。

個人のお宅で、、京町家友の会のイベントらしいのですが、外には、貼紙もなく、

個人の家の表札だけなので、麩屋町通松原上ルの会場の京町家を、見つけるのが、

難しかった!

新聞に記事が載ったので、朝1番にお客が押し寄せて、30分で、ほとんどが売れて

しまったとのことです! 

小さな町家でしたが、2階も会場に、なっていたので、個人の町家を見学させていただく

機会になりました。  その家での催しは、今回が最後ということでした。

今、京都では、だんだん減っていく京町家を、保存しようという、取り組みが、盛んに

されています。


会場の京町家 
外には、貼紙もなく、個人の家の表札だけなので、麩屋町通松原上ルの会場の京町家を、
見つけるのが、難しかった!


玄関入った土間に、少しは、京町家から出た処分品の売り物がありました。
2階には、古着の洋服が残っていましたが、欲しい物は残っていないので、町家の内部を
見学させていただくのみに、なりました、