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悟りって何だろう?

2015-05-04 21:00:00 | 人間としての修業
タイトルに書いた事は、ここ最近、有るスピブログで「覚醒している人多いし!」と言う言葉を読んでからずっと考えていた事です。

覚醒、すなわち悟りと言うと物凄い事のように感じるかもしれません。

しかし、とどのつまりと言うかじゃあそれの実践と言うのはどう言う事なのか?悟り悟りとは言うけれど、具体的にどう言う事なのか?と言う事を突き詰めて考えていくと、それは今まで気がつけなかった事がらに気が付けるようになる。と言う事になるんだと思います。

例えば、道に生えている草樹から季節を感じ取ること。
例えば、日照時間の長さで季節の移り変わりを感じる事。

対人エンパスの得意とする誰かの心を読むと言う事ですら、多分この悟る事が出来るようになると言う事の一つのように思えてくる訳で、そう考えると、実は悟り、すなわち悟れるようになると言う事は全然大したことじゃないような気がします。

そして、悟りと言うのは決して開くものではない。
悟りとは、すなわち気が付けるようになると言う事。

自分自分と我を通している時期を乗り越え、なんでやっていたんだか良く解らない苦行の時期も乗り越え、自分も含めありとあらゆる事が気が付けるようになると言う事。

そう言う点で、人間と言うのは幼い頃は誰もが悟りの境地に達していると言えるのかもしれません。

今まで体験したことがない世界にいると言う事も有るのでしょうが、子供と言うのは常にささいな事に気が付きます。
発言も非常に哲学的で、時々驚くような事を言います。

一見すると物凄く良いように思うかもしれませんが、自分の経験を含めて考えると、一回これを手放さないとならないのがこの世の決まりごとなんだと思います。

正直、じゃあなんで手放さないとならないのか?と言う事に関してワタリはまだあまり良く解っていません。
ただ、一つ間違いなく言えるのは、あの世とこの世では色々な物が真逆であると言う事。
そして、この世に生まれてきた以上、その真逆を一度は受け入れないとならないと言う事。

おかしい話だとは思いますが、それが現実なんだからしょうがないといつも思います。

なんでしょうね、さっきからずーっと頭の中にあるのは、知覚を上げようとしていた頃、ツインが良く言っていた、そして多分今でもワタリがやるべき事として筆頭に挙げるであろう言葉なんですよ。

『見ようとするな。感じろ。』

悟れるようになると言うのは、すなわちこう言う事なんだと思います。

見ようとするのではなく、肌身で感じれる様になるほど様々な体験をしろ。
悟れるようになりたいのであれば、目の前にある事に集中しろ。
本を読め。勉強をしろ。何より体験をしろ。

そうこうしている内に、悟れるようになる時期、すなわち気が付けるようになる時期と言うのは必ず来るんだと思います。

そして、悟れるようになったからってそこでは終わりません。
悟れるようになったらなったで、また別の現実に直面します。

それをどう感じどう対処するのか?
それは個人の手にゆだねられていると言うのも、また悟れるようになった結果得られる現実なのですが。

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