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身内の葬式の時霊媒は気丈に見える

2019-03-25 21:00:59 | 霊媒としての日々
このブログを書いているのは、3月12日です。

本日3月12日午前4時、ワタリの二番目の猫であるヨーが猫又になりました。

享年16歳、人間年齢だと80歳に相当する大往生でした。

でも、今回の話題はヨーのことではありません。

弟の葬式の時もそうでしたが、あの世に片足を突っ込んでいるせいか、他の人と比べると身内の死亡というのにあまりショックを感じません。

そりゃあ、もちろん訃報を最初に知った時は驚きます。

でも、引きずるという事は一切なく、パッと片付けに走ることができます。

もちろん、ヨーも死後数時間後にはもう餌入れや介護に使っていたオムツなどの片付けを済ませていました。

霊媒に言わせると、死亡というのは別れではありません。

人間の場合ならあの世に行くだけであり、猫なら猫又になってワタリの周りにいるようになるだけです。

いつでも好きな時に話ができますから、別れという感覚は一切ありません。

長女もこんな感じで、ヨーの死亡を聞いても猫又になるんだね。と言って終わりました。

そして、学校に行き、帰宅したらみんなで庭先にお墓を作って埋める約束をしました。

宗教を持つ人は穏やかな死を迎えられるそうです。

霊媒も同じで、あの世を知っているから他人の死を穏やかに迎えられます。

多分、自分が死んだ時も同じで、ワタリはなんとなくツインがはっきり見えるようになったのを見て「ああ」と自分が死んだのを納得するような気がします。

そして、多分ワタリの葬式で長女は普通に振舞ってくれることでしょう。

でも、次女はそうもいかない。

まだあの世に片足を突っ込んでいないせいか、彼女はヨーの死亡が悲しくて今日は学校を休んでいます。

そうですね、ワタリは葬式の時長女を喪主として指定しておきましょう。

そうすれば、きっとワタリと同じようにさっさと片付けをしてくれるはずですから。
コメント
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