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愛せないのならぶちゃってくれればよかったのに

2022-09-19 00:00:00 | ワタリのエッセイ
ワタリの父親は猫舌です。
だから母親はいつも湯呑に入った熱々のお茶を水にさらして冷ましてから父親の前に出します。
毎朝毎朝繰り返される光景ですが、そのたびにワタリはこの人はワタリの父親、すなわち自分の旦那で心がいっぱいで、子供を育てるなんてできる人じゃなかったんだな。って思います。

それと同時に、タイトルに書いてあることを思う訳です。

前々から話題にしているとおりワタリは母親から愛情を受けずに育っています。
なんとか手に入れようとあの手この手していましたが、天然の男好きである母親は男兄弟しか無条件に愛しませんでした。
さらに、母親がワタリを粗末に扱っていた影響で男兄弟たちはワタリを粗末に扱っていました。

今考えると、そんなに愛せないのなら施設にでも入れて絶縁すればよかったのに。と思います。

実際ツインもワタリに無条件の愛情を注いでくれる環境を探していたらしく、小学生の頃自宅の隣にある親戚の家に数日間泊まっていた記憶があります。

何回も繰り返していたような記憶があるところから推測するに、多分当時のワタリにとっては駆け込み寺だったのでしょう。

でも、当時の大人たちはこんな風にワタリが自己主張をしても誰も気がついてくれませんでした。
土の時代式に相手が察するように仕向けていましたが、それでも分かってはくれませんでした。

だから今当時を振り返ると本当にタイトルのことを思う訳です。
そんなに子供が愛せないのなら、いっそ施設にでも押し込んで二度と会いに来なければよかったのに。と。

でもきっと、ワタリの家は表面的には何不自由ない生活だったので実際にそれをやっても受け入れてもらえなかったと思います。
さらに母親のきょうだいに知れる所となれば凄い剣幕でワタリを迎えにきて、問答無用で母親と同居させたんだと思います。

その位、表面的には普通の家庭でした。

毎朝水にさらされている湯呑を見ながら思います。

昔の私に必要だったのは、こういう思いやりだったんだな。って。
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