中さん

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日記(5.19)コラム「モモの種」

2018-05-19 16:05:05 | 日常
5月19日  (土曜日)   晴れ

北海道新聞コラムにあった。


モモの種

■中国では古来、モモは魔よけとして用いられたそうだ。
 春秋左氏伝という史書には、

 モモの木で作った弓でいばらの矢を射ると、
 災いを払うことができるという記述がある。


▼不老長寿の象徴でもあった。仙女西王母が漢の武帝に、

 3千年に1度実る不老長寿のモモの実を献じたという伝説が残っている。
 モモの異名が三千年草(みちとせぐさ)
 三千世草(みちよぐさ)なのは、そのためだ。

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▼奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡から出土した約2800個のモモの種
 科学的年代測定の結果、西暦135~230年のものだと分かった
 遺跡は、いまだに所在地がはっきりしない邪馬台国の有力候補地の一つである。

 卑弥呼の墓との説がある箸墓(はしはか)古墳があり、
 大型の建物跡や運河、各地の土器が見つかっている。
~~~~~~~~~~~~~~~~
▼2世紀から3世紀前半は、邪馬台国の時代と重なる。
 神聖なモモは祭祀に使われた後にまとめて埋められたとみられ、
 「邪馬台国畿内説」を後押しする有力な状況証拠とする
 専門家が多い。


▼もちろん「九州説」も負けていない。
 同時代のモモの種が見つかっただけで邪馬台国と
 結びつけるのは早計だとの反論だ。
 邪馬台国論争が再燃しそうな研究結果である。


▼モモは結婚や安産の瑞祥でもあった。
 美女の例えにも使われたという。
 大量のモモを前に祈りをささげたのは卑弥呼なのか。
 そうだとすれば、いったい何を祈ったのだろう。
 空想は約1800年前にさかのぼり、無限に広がる。
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日記(5.19)コラム「ウイスキーのこと」

2018-05-19 12:02:28 | 日常
5月19日  (土曜日)   晴れ

8時には雨も上がった。風もでて来た。

自治会の用事で買い物品の予約に出かける。
市場のお菓子業者に防災運動会で使う景品になるものを2種類で約260個予約。
クマスポで運動場用の石灰と紙雷管の予約。
そのあとコピー用紙や茶封筒など買って一段落。
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この時期に・・
BSで朝ドラの再放送で”マッサン”を放映している。
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丁度コラムがウイスキーの事を・・

日本のウイスキーの父」と呼ばれた竹鶴政孝


 北海道余市町に会社を設立したのは、昭和9年である。
 社名は大日本果汁株式会社だった。
 竹鶴はまず、地元産のリンゴの果汁からジュース作りを始める
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 ▼「ウイスキーをつくる仕事は、何年か先を目標とする気長な事業である」
 「よい原酒を時間をかけて育てるのであるが、
   熟成するまで事業がもちこたえるかどうか」。

 竹鶴は自伝に書いている。ジュースが事業の支えとなった。
 待望のニッカウヰスキーの第一号は6年後に完成する。
 「ニッカ」は、大日本果汁の略、日果からとった。
 ただ原酒はまだ若く、ブレンドには苦労したらしい。

 ▼「時は流れない。それは積み重なる。
  サントリーの往年の名コピーである。
  確かにウイスキーは、原酒が熟成する、
  十数年に及ぶ時の積み重なりを味わう酒といえる。
  
  そのサントリーが、主力ウイスキーの
  「白州12年」と「響17年」の販売を休止するという。

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   サントリーHD広報部によると販売休止の理由は、
   国内でウイスキー人気が高まったのに伴い
  、両商品の需要が想定を超えて拡大してしまったため。
  「白州12年」は最低12年以上、「響17年」は最低17年以上
   寝かせた原酒を使用する商品ですが、
   当時見込んでいた生産数量と実際の需要が見合わなくなり、
   熟成させた原酒が不足して製造が困難になってしまったといいます。
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 ▼ちょうど世紀の変わり目のころの日本といえば
 、焼酎類がもてはやされ、ウイスキー離れが起こっていた。
  原酒の仕込みは当然、控えめにせざるを得なかった。

 ▼ところが10年前から炭酸水で割る、ハイボールの人気が再燃する。
  さらに日本産ウイスキーの評価が国際的に高まって、ブームに拍車がかかった。
  チャンス到来とばかりに、
  すぐ増産に応じられないのが、ウイスキーの泣きどころである。
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 ▼「わしの眼は10年先が見える」。
  戦前の実業家で社会事業家でもあった、
  大原孫三郎の口癖だった。

  そうはいっても、十数年先の出荷量の急増を予想できなかったからといって、
  誰も責められない。

 10年先を見通すどころか、最近は明日も予想が厳しい時代に入った。
 10年前の記憶さえあいまいである。イヤ、昨日のことも記憶から飛ぶ。
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