6月8日 (木曜日) 晴
②
梅雨の長雨になる前に、10時には思い切って
耕運機掛けを第二畑に行った。
結構広い。今まで・ネギや玉ねぎ・イチゴの苗をおいていたところ
間に草がいっぱい出てきている。草を取りながら小さい耕運機では進まない・・・
2時間もかかってしまった。
丁度12時。シャワーを浴びて昼が美味しい。
だるくなった!

”ここ関東地方も今日、梅雨に入ったと思われる”とはっきりしない発表があった。
=========================
上毛新聞7日コラム
8月が近づくと戦争の悲劇の記事も目立ってくる。
▼亀甲をかたどった石畳を踏みしめ、山門をくぐる。
渋川市赤城町の古刹、福増寺。桜の名所としても知られる境内の一角に、
小さな庭園「周防の海」がある


▼波間に浮かぶ島を模して置いた石は、山口県周防大島町のもの。
遠く離れた瀬戸内の情景に込められているのは鎮魂と平和への願いである。
80年前の1943年6月8日、旧日本海軍の戦艦陸奥がその海に沈んだ

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~^
▼停泊中に起きた原因不明の爆発で、
乗組員1474人のうち生き残ったのはわずか353人。
姉妹艦の長門と共に「日本の誇り」と期待を背負った
巨艦の爆沈は軍によって秘密にされた。
生き残った者は近くの島で仲間の遺体を焼くよう命じられ、
しばらくすると激戦地への出撃命令が下った。
▼陸奥は沈没から27年後に引き揚げが始まった。
福増寺は戦時中に釣り鐘を供出しており、
新たな鐘の鋳造には偶然、陸奥の部材が使われた。
これを縁に沈没地に近い周防大島町の住民や元乗組員らとの交流が今も続く

▼「陸奥は戦時の風をくぐり抜け、犠牲者の悲鳴を聞いた。
沈んだ海の中で、広島に落とされた原爆の衝撃も感じたでしょう」。
住職の横山和弘さんは静かに語る。
「この鐘にはそれらがみな染み込んでいる」
▼戦争を語る人や伝える遺物は年々少なくなっていく。
だからこそ、陸奥の鐘が平和へのよすがになればと強く願う。
遠い海に思いをはせ、あす慰霊の鐘が響く。
=============
★ウクライナではダム決壊のニュースが流れる。
いつまで続くロシアとウクライナ戦争。
ある意味では兵器の性能試験をやっているように感じてもいる。
凄く怖い。これが自分たちの上空であったらと思うと鳥肌ものだ!
人は何故戦争するのか?を知りたい。

梅雨の長雨になる前に、10時には思い切って
耕運機掛けを第二畑に行った。
結構広い。今まで・ネギや玉ねぎ・イチゴの苗をおいていたところ
間に草がいっぱい出てきている。草を取りながら小さい耕運機では進まない・・・

2時間もかかってしまった。
丁度12時。シャワーを浴びて昼が美味しい。



”ここ関東地方も今日、梅雨に入ったと思われる”とはっきりしない発表があった。
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上毛新聞7日コラム

8月が近づくと戦争の悲劇の記事も目立ってくる。
▼亀甲をかたどった石畳を踏みしめ、山門をくぐる。
渋川市赤城町の古刹、福増寺。桜の名所としても知られる境内の一角に、
小さな庭園「周防の海」がある


▼波間に浮かぶ島を模して置いた石は、山口県周防大島町のもの。
遠く離れた瀬戸内の情景に込められているのは鎮魂と平和への願いである。
80年前の1943年6月8日、旧日本海軍の戦艦陸奥がその海に沈んだ

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▼停泊中に起きた原因不明の爆発で、
乗組員1474人のうち生き残ったのはわずか353人。
姉妹艦の長門と共に「日本の誇り」と期待を背負った
巨艦の爆沈は軍によって秘密にされた。
生き残った者は近くの島で仲間の遺体を焼くよう命じられ、
しばらくすると激戦地への出撃命令が下った。
▼陸奥は沈没から27年後に引き揚げが始まった。
福増寺は戦時中に釣り鐘を供出しており、
新たな鐘の鋳造には偶然、陸奥の部材が使われた。
これを縁に沈没地に近い周防大島町の住民や元乗組員らとの交流が今も続く

▼「陸奥は戦時の風をくぐり抜け、犠牲者の悲鳴を聞いた。
沈んだ海の中で、広島に落とされた原爆の衝撃も感じたでしょう」。
住職の横山和弘さんは静かに語る。
「この鐘にはそれらがみな染み込んでいる」
▼戦争を語る人や伝える遺物は年々少なくなっていく。
だからこそ、陸奥の鐘が平和へのよすがになればと強く願う。
遠い海に思いをはせ、あす慰霊の鐘が響く。
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★ウクライナではダム決壊のニュースが流れる。
いつまで続くロシアとウクライナ戦争。
ある意味では兵器の性能試験をやっているように感じてもいる。
凄く怖い。これが自分たちの上空であったらと思うと鳥肌ものだ!
人は何故戦争するのか?を知りたい。