2024 7月16日 (火曜日) ②
家庭菜園の野菜の収穫がピークをむかえている。
ちなみに”キュウリ・ナス・トマトが主力
そしてモロッコいんげん・パプリカ・シシトウ・ピーマン2種類などだ
・ズッキーニは終わる。随分食べた。
・オクラ・大玉スイカ・モロヘイヤ・ごま等はこれからだ。
~~~~~~~~~~~~~
〇獲れすぎたキュウリはキューちゃん漬けを作ってもらった。
今朝早速、独り者の従弟におすそ分けに持っていく。
梅雨時期で座骨神経痛が出て寝ていた。
~~~

私が子供のころのは貧しかった・・キュウリは夏の主食であったような
当時の食生活を思い出してその食べ物を少し再現。
〇シンプルな”キュウリもみ”、を作る。
懐かしい食感。新鮮材料はうまい
子供のころは母親が病弱であったこともあって
自分で随分包丁を随分握ったものだ!
今も意外に包丁使いはうまい。
~~~~~~~~~~~~~~~~
トマトは改良が進んで独特の匂いが薄くなったなあ~!
ズッキーニは子供のころ口にしたことはなかったものだ!
チーズもなかったなあ~・・
~~~~
〇口直しにマンゴウをいただく。一寸贅沢を

本当に完熟していてなんとも。
=====================
下野新聞 雷鳴抄に・・
アンガウル島の美女
遠くを見るような目で、白い歯をみせてほほ笑む和服姿が印象的だった。
少なくとも80年以上前に撮影された写真である。
気品のある顔立ちは、戦前から戦後に掛けて活躍した女優の原節子にも似ている
▼写真は南太平洋のパラオ共和国・アンガウル島で日本人埋葬地から昨年出土した。
太平洋戦争の激戦地で、本県出身者が多い陸軍第14師団第59連隊の
第1大隊約1200人がこの島で亡くなった。
中には少数の海軍部隊もいたが、本県出身者の副葬品である可能性が高い。
▼遺骨のそばに金属製のたばこケースがあった。内ぶたに色あせた写真が貼られていた。
密閉容器の中にあったため保存状態は奇跡的と言えるほど良い
▼アンガウル島は隣のペリリュー島ともに「玉砕の島」とも言われ料料。
両島合わせた日本側の死者は1万1213人。兵力の9割以上が失われた。
ほとんどが第59連隊所属である
~~~~~~~~~~~~~~~
少し調べてみた。




まだ国外の遺骨収集の未回収が多い事。

=====================================
▼写真の女性は兵士の妻か。それとも恋人だろうか。
兵士はどんな思いで写真を持ち続け、南の島で散ったのか。
遺骨と遺留品は本人が特定されないと返還されないため、
今も島で保管されている
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▼写真のコピーが宇都宮市の宇都宮城址(じょうし)公園清明館にある。
79年前の7月12日、中心市街地が焼け野原になった
宇都宮空襲の記憶を伝える企画展で展示されており、同館で情報を求めている。
=======================
★宇都宮の城址公園には元宇都宮の市議会議長のT氏の案内で
行ったことがあるが随分前になった。
昨年、出土というので機会を見て行ってみてきたいものだ。
80年前の美女写真を。
家庭菜園の野菜の収穫がピークをむかえている。
ちなみに”キュウリ・ナス・トマトが主力
そしてモロッコいんげん・パプリカ・シシトウ・ピーマン2種類などだ
・ズッキーニは終わる。随分食べた。
・オクラ・大玉スイカ・モロヘイヤ・ごま等はこれからだ。
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〇獲れすぎたキュウリはキューちゃん漬けを作ってもらった。
今朝早速、独り者の従弟におすそ分けに持っていく。
梅雨時期で座骨神経痛が出て寝ていた。
~~~

私が子供のころのは貧しかった・・キュウリは夏の主食であったような
当時の食生活を思い出してその食べ物を少し再現。
〇シンプルな”キュウリもみ”、を作る。
懐かしい食感。新鮮材料はうまい

子供のころは母親が病弱であったこともあって
自分で随分包丁を随分握ったものだ!
今も意外に包丁使いはうまい。

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トマトは改良が進んで独特の匂いが薄くなったなあ~!
ズッキーニは子供のころ口にしたことはなかったものだ!
チーズもなかったなあ~・・
~~~~
〇口直しにマンゴウをいただく。一寸贅沢を

本当に完熟していてなんとも。
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下野新聞 雷鳴抄に・・

アンガウル島の美女
遠くを見るような目で、白い歯をみせてほほ笑む和服姿が印象的だった。
少なくとも80年以上前に撮影された写真である。
気品のある顔立ちは、戦前から戦後に掛けて活躍した女優の原節子にも似ている
▼写真は南太平洋のパラオ共和国・アンガウル島で日本人埋葬地から昨年出土した。
太平洋戦争の激戦地で、本県出身者が多い陸軍第14師団第59連隊の
第1大隊約1200人がこの島で亡くなった。
中には少数の海軍部隊もいたが、本県出身者の副葬品である可能性が高い。
▼遺骨のそばに金属製のたばこケースがあった。内ぶたに色あせた写真が貼られていた。
密閉容器の中にあったため保存状態は奇跡的と言えるほど良い
▼アンガウル島は隣のペリリュー島ともに「玉砕の島」とも言われ料料。
両島合わせた日本側の死者は1万1213人。兵力の9割以上が失われた。
ほとんどが第59連隊所属である
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少し調べてみた。




まだ国外の遺骨収集の未回収が多い事。

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▼写真の女性は兵士の妻か。それとも恋人だろうか。
兵士はどんな思いで写真を持ち続け、南の島で散ったのか。
遺骨と遺留品は本人が特定されないと返還されないため、
今も島で保管されている
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▼写真のコピーが宇都宮市の宇都宮城址(じょうし)公園清明館にある。
79年前の7月12日、中心市街地が焼け野原になった
宇都宮空襲の記憶を伝える企画展で展示されており、同館で情報を求めている。
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★宇都宮の城址公園には元宇都宮の市議会議長のT氏の案内で
行ったことがあるが随分前になった。
昨年、出土というので機会を見て行ってみてきたいものだ。
80年前の美女写真を。